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ほどほど道

<ほどほど道> (1)明るすぎない

暗い館内にランプの明かりをともす今井俊博さん=岐阜県中津川市の渡合温泉で

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 暗い。手元の文字すら読みにくい。日がすっかり落ち、板張りの部屋を照らすのはオレンジ色の薄明かりだけ。「しばらくすると目が慣れるよ」。岐阜県中津川市の山奥にある旅館「渡合(どあい)温泉」の主人、今井俊博さん(53)が笑った。

 電気も水道も、ケータイの電波も来ない。一つだけある衛星電話は、沢の水を使った小水力発電で動かす。出力わずか三キロワット。冷蔵庫もテレビもない。お風呂上がりのドライヤーは…。「そんなの使ったらえらいことになる」

 そこで活躍するのが灯油ランプ。館内に五十はある。「ランプの宿」と呼ばれるゆえんだ。創業は江戸末期。湯治場として地元の人や林業者の体を癒やしてきた宿には最近、都会からの客が絶えない。

 仕事に追われる飲食店のオーナーや医師、「鬱(うつ)になりそう」と三、四カ月ごとに足を運ぶ会社の重役…。東京で酒造業を営む常連の谷口英久さん(51)は、今井さんの勧めで自宅にもランプを買った。風呂上がりのひととき、電気を落とし、やわらかい光に杯を傾ける。

 「火の光を見ていると、気持ちが安らぐんですよね」

 コンビニに自動販売機、ネオン街。眠らない街に光があふれる現代ニッポンを、照明デザイナーの面出(めんで)薫さん(64)は「光のメタボリック症候群」と表現する。

 その昔、人々は太陽の下で働き、夜は火のわずかな光で体を休めた。戦後、灯火管制の反動と蛍光灯の普及が重なり、「白くまぶしい光」が求められた。面出さんによると、太陽光に近い白は「働き者の光」。人工の明かりは、夜でも働けと人々を駆り立てた。福島第一原発の事故直後、省エネ機運の高まりで街は暗くなったが、また元の明るさに戻りつつある。

 かつては麓の自宅から通っていた六代目の今井さんは子育てを終えた七年ほど前から、旅館に住んでいる。五百人ほどいた集落の住民は昭和三十年代までにすべて去り、今は妻と二人だけ。「なぜ山に残るかって? そりゃ、快適だから」

 テレビのない夜、客を誘い出してちょっとしたゲームを一緒に楽しむ。知恵の輪だったり、射的だったり。客同士が仲良くなり、「次は一緒に泊まろう」と約束することも。限られた明かりの下、人々は集い、縁を育む。

 もう一つ自慢の明かりがある。星空だ。

 空気の澄んだ夜。頭上には無数の星が輝き、天の川の中の星雲まではっきり見える。地上が暗くてこそ、そのきらめきは美しい。

 <日本と世界の明るさ事情> 世界各国の照明文化を調べている研究グループ「照明探偵団」(東京)によると、日本の夜は欧米より明るい。その違いは照度基準にも表れる。例えば、小売店では、国際照明委員会は販売エリア、レジ周辺を300〜750ルクスとしているのに対し、日本工業規格では750〜1000ルクス。北欧には、間接照明だけのコンビニもあるという。

 

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