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遅咲きの人 伊能忠敬的生き方

 今年は伊能忠敬の没後二百年。隠居した五十歳から実測による日本地図作製という偉業を果たした人生に勇気づけられる人は多い。忠敬のように遅咲きの花を開かせた人たちの生き方に迫る。

 <伊能忠敬(いのう・ただたか)> 1745〜1818年。現在の千葉県の農村に生まれ、伊能家の婿養子となる。酒造などの家業を再興した後、50歳で隠居。暦学、測量の研究に打ち込み、ついに日本全国の沿海部を測量する大事業に着手した。歩いた距離は4万キロ近くといわれる。地図は死後、弟子らが完成させた。

◆あきらめず人生幸せ 漫談家・綾小路きみまろさん

綾小路きみまろさん

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 高速道路のサービスエリアで自作のカセットテープを配り始めたのは、五十歳を迎えるころでした。昔なら人生五十年。終わりが見えてくる年代です。

 振り返れば、今まで花を咲かせることもなく、テレビ・ラジオに出演することもなく、賞をもらったわけでもなく、人に感謝されることもなく。何か中ぶらりんでやってきたなあ、と。司会を中心に仕事はありましたよ。お金に困っていたわけでもない。でも、もう一度、芸人の初心に戻ろうと思ったんです。

 なぜ、ゼロから始めたか。芸能界の知り合いはいましたが、私は人に何か物を頼むというのが駄目なタイプ。それにプライドが低いんですよ、鼻は高いけど。だからテープ配りも気にならなかった。

 なせばなるですよ。動かないと足跡は付かないんだから。それに、お金は追いかけちゃ駄目。あれは後から付いてくるものだから。追うと逃げちゃう。

 同じころ、寄席への出演を目指しました。そしたら落語の師匠に弟子入りしないといけないという。あこがれていた鈴々舎馬風師匠に入門します。一番下っ端ですよ。でも全然気にならなかった。

 そのころ既に、歯はない、毛はない、先はない、抜けないのは疲れだけという状態だったけど、変に純粋なところがあるんです。常にチャレンジャー、五十になっても伸びしろがあるぞと。絶対おれの面白さを分かってくれる人がいると。

 当時は「大丈夫か」「売れなかったらどうするの」と言われましたよ。でも、楽しかった。潜伏期間の三十年は果てしない草原を歩いているような感じで、山あり、谷ありじゃなくて谷ばっかりだったけど、その時は切り開いていこうという夢があったから。そして、売れた時に、空を見上げて言ったんです。「そら見たことか」

 売れるのに必要なのは、縁と運と努力。売れてる人は皆、努力しています。しかし、努力が必ず報われるかというと、そうではない。だって、努力は目に見えないから。自己申告なんですよ。

 では、咲けなかった人生はむなしいのかというと、そうではない。幸せも自己申告なんです。幸せと不幸せは両隣。おれはもうだめとか、時代は終わったとか思わないで。あきらめないで生きましょうよ。

 (聞き手・大森雅弥)

 <あやのこうじ・きみまろ> 1950年、鹿児島県生まれ。演歌歌手の専属司会者などを経て、2002年に中高年を題材にした毒舌漫談でブレーク。近著に『しょせん幸せなんて、自己申告。』(朝日新聞出版)。

◆長寿いつでも咲ける 多摩大副学長・久恒啓一さん

久恒啓一さん

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 人生百年時代と言われます。それを健康面やお金の問題からリスクと捉える人が多いのですが、私はチャンスと捉えるべきだと考えています。自分のライフワークが完成する可能性が高くなるからです。長寿時代を生きるためのモデルとなるのが遅咲きの人です。四十代で咲かなければ五十代で咲けばいいし、その先でもいい。いつでも咲けると思いながら生きていけばいいと思うんです。

 遅咲きの人には、いろいろなタイプがあります。「二足のわらじ型」は、職業を持ちながら別の分野にも取り組み、最後はその分野で歴史に名を残すような人です。伊能忠敬はこのタイプでしょう。脱皮するようにどんどん変わっていく人、一心不乱に一つのことに取り組み、時間をかけて立派な業績を上げる人もいます。

 タイプを問わず、共通するのは、だんだん良くなっていくという点です。磨かれ、蓄積されて高みに上っていく人がほとんどです。早咲きの人は途中でダウンして、そのまま上がってこないケースもある。遅咲きの人には蓄積があり、その間に成熟していく。土台がしっかりしているのです。

 遅咲きとは、凡人が時間をかけてこつこつと蓄積し、非凡になっていく過程でもあります。これが遅咲きのいいところです。学生に講義をしていると、早熟の天才より遅咲きの人に関心を示します。天才は普通の人間の参考にはなりません。若者はみな不安で悩みも多いのです。だから、人生の途中から頑張った人の話に感銘を受けるのでしょう。遅咲きの人は若い人にも勇気を与えてくれます。

 伊能忠敬は五十歳を過ぎて家業を離れたとき、勉強のため家を出ると言いました。周囲から「そんな年齢になって測量なんてやめてくれ」と反対されましたが、彼は「わしは五十一歳になったばかりだ」と言い、年下の学者に弟子入りする。彼は、余生はいらないと言ったそうです。自分のやりたいことをやるという意味でしょう。

 忠敬のような生き方が今後、もっと注目されてもいいと思います。仕事を中心にしながら自分の興味のある分野を深掘りしていくことです。それが遅咲きの花となるかもしれません。大輪の花でなくても、自分が満足できるレベルになればいいのではないでしょうか。

 (聞き手・越智俊至)

 <ひさつね・けいいち> 1950年、大分県生まれ。九州大卒。日本航空を早期退職。宮城大教授を経て2008年から多摩大教授。15年から現職。『遅咲き偉人伝 人生後半に輝いた日本人』など著書多数。

◆主婦から80歳で起業 不動産会社社長・和田京子さん

和田京子さん

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 私が七十七歳の時、夫が亡くなりました。十年ほど介護していた夫が逝き、何もする気がなくなりました。これで自分の人生も終わったと感じたんです。気力を失い、毎日、寝てばかりでした。

 そんな生活が一年半ぐらい続いたころ、孫が「寝てばかりではぼけてしまう。何か勉強したら」と言うんです。孫と話すうち、小学校時代はよかったなあ、女学校は戦争でまともに勉強できなかったなあと、学校時代を郷愁をもって思い出しました。やってみようという気持ちになったんです。

 では、何を勉強しようか。宅建を選んだのは、資格が取れるし、住民票さえあれば誰でも受験できるからです。もともと住宅に関心があったことも理由の一つです。専門学校に通い、人の三倍も四倍も勉強しました。勉強や通学は楽しくて、大変だとは思いませんでした。試験ではミスをしましたが、運良く合格。信じられませんでした。

 せっかく資格を取ったのだから、自立のために働こうと決めました。まずは修業のためどこかの不動産会社に就職しよう。でも、履歴書を書く段になって気が付いたんです。八十歳のおばあちゃんを雇ってくれる会社はありません。

 それなら自分で会社をつくるしかありません。孫は賛成してくれましたが、ほかの家族、親戚は「その年になって、何を今さら…」と大反対です。でも、私はどうしても働いてみたかった。二十二歳で結婚してから五十五年間、専業主婦。働いた経験がなかったからです。

 起業後、二年間は成約がなく、収入ゼロでした。買い主からは仲介手数料をいただかないというやり方が、業界の常識と違っていて、業界の中で干されたような状態でした。無料にした理由は、もうけとかではなく社会への恩返しです。それが分かってもらえたのか、だんだん事業は軌道に乗りました。

 新しいことを始めるのに年齢は関係ありません。自分のしたいことは、やってみるべきだと思います。経験の積み重ねは武器になります。若いときはがむしゃらに突進しますが、年を取ると慌てなくなる。私は長いこと専業主婦でした。主婦は待つ生活です。その経験から仕事でもお客さまがじっくり考えて決断するのを待ちます。主婦の経験も役に立つんです。

 (聞き手・越智俊至)

 <わだ・きょうこ> 1930年、愛知県生まれ。2009年、宅地建物取引士(宅建)試験に合格。10年に和田京子不動産を起業し、社長に。著書に『85歳、おばあちゃんでも年商5億円』(WAVE出版)。

 

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