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考える広場

仮装の深層 ハロウィーンを前に

 三十一日はハロウィーン。最近はクリスマスを上回る盛り上がりようだ。その中心は、仮装。若者を中心に、思い思いの衣装や仮面を身にまとい、街を練り歩く。人はなぜ、仮装するのか。三人に聞いた。

 <ハロウィーン> ルーツはケルト人の伝統行事。秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的な行事だったが、現代では民間行事として定着した。カボチャの中身をくりぬいてランタンを作り、米国やフィリピンなどでは仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないと、いたずらするぞ)」と唱えて近所を回る。1992年には、米国でハロウィーンの仮装をした名古屋市出身の日本人留学生=当時(16)=が射殺される事件が起きた。

えなこさん

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◆非日常の自分に魅力 コスプレーヤー・えなこさん

 コスプレはまず、アニメやゲームといった作品ありきです。好きなキャラクターにどれだけ近づけられるかが大事。いかに作品の世界観を表現するか。海外に行ったり、雪山だったりと撮影場所からこだわって、作品のためならとアクティブな方も多いです。一方で、表には出ないで自宅で着る「宅コス」もあります。一人一人、満足度もちがう。幅が広いですね。

 アニメやゲームが好きだから始めるというのがほとんど。私もそうでした。コスプレとの出合いは、中学生の時。友人に薦められた深夜のアニメにはまって。その友人がコスプレをやっていました。初めて行ったのは、名古屋でのイベントです。コスプレ友達もオタクなので、好きなアニメの話ができて。十年ほど前ですが、まだオタクは気持ち悪いと見られがちで、話の合う人に会える、共有できるというのは貴重でした。

 ハロウィーンの仮装が人気になったのは「いつもと違う自分になれる」というコスプレの要素が、アニメとかに興味のない方にも受けたのではないでしょうか。私自身はコスプレーヤーですが、ハロウィーンでの仮装も楽しみますし、そういうお仕事もあります。ハロウィーンの仮装は、自分たちが主体。コスプレは作品がメイン。そこが違う。自分をかわいく見せる、よく見せるような“道具”ではないです。

 もともとアンダーグラウンドからの文化。もっと知ってもらいたい、メジャー化したいなと思ってコスプレーヤーをやっています。一般の方も巻き込んで楽しめたらいいなと。職業としては努力も必要です。目指しているのは、コスプレーヤーが一つのジャンルになることですね。アイドル、グラビア、コスプレーヤーというような。

 どんな趣味であってもマナーの悪い人というのは一定数います。母数が多ければ多いほど。コスプレでも、低いアングルからの撮影などイベント時のマナーは問題になってます。会場にも迷惑が掛かっちゃう。肌を露出しないようタイツをはいたり、ポーズを工夫したりと心掛けているコスプレーヤーもいます。見られているという意識を持って気をつけたいですよね。

 ハロウィーンの仮装でも同じではないでしょうか。マナーを守って楽しむということ。それって、趣味とか以前の問題ですよね。

 (聞き手・佐々木香理)

 1994年、愛知県出身。名古屋を拠点に活動するコスプレーヤー。モデルや声優としても活躍。シンガポールや中国など、海外のアニメイベントにも積極的に出演している。

木下ちがやさん

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◆新たな連帯感の登場 政治学者・木下ちがやさん

 渋谷のスクランブル交差点に、ハロウィーンの仮装をした大勢の若者が集まって楽しむ。安売り量販店で衣装を買い、公衆トイレで着替えて。安上がりな娯楽です。この新しい現象は、脱原発や安保法制反対の国会前のデモと共通すると感じます。「つながり」を求めて、人々が路上に出てきているからです。

 渋谷のハロウィーンに参加している若者の多くは、個人ではなく何人かでチームをつくって参加しています。今のデモも同じ。昔みたいに組合のゼッケンつけて組織を強調したりするわけじゃない。かといって完全に個人単位ではない。なんとなくその場にいて、周囲とのゆるい連帯感を感じて安心している。

 二〇一一年四月にあった東京・高円寺の脱原発デモはネットで一万人ほどが集まりました。原発事故から一カ月、メディアへの疑念や事故収束の困難さを感じた人々が、思いを共有したかったからでしょう。もちろん動機は全然違うけれど、ハロウィーンで集まる若者たちもそんなに変わらないと思います。身の回りで充足できる空間がないから集まるところが同じです。

 サッカーの試合で日本が勝つと大騒ぎするでしょう。あれで人が集まる下地ができたのでは。組織と関係なく自然発生的にああいう場ができたので、警察も弾圧できない。DJポリスは出てくるけれど事実上容認せざるを得ない。国会前デモも似ている。新しい律動を感じます。

 かつては大学の寮仲間やサークル、企業の労働組合、町内会や商店街組合といった横のつながりがあった。六〇年安保のとき、後背地として機能したのはそれらの中間集団でした。学園闘争があり、労組のデモがあり、商店街のシャッターストライキがあって安保闘争になった。

 ところが今、コミュニティーがどんどん弱くなっています。孤独と孤立を克服しなければ民主主義は実現できませんが、現代社会に一番欠けているのが横の連帯です。

 路上に人が出てくる現象は、新たなつながりが生まれようとする可能性でもあります。渋谷の仮装した若者たちは大人から見たら気持ち悪いかもしれないけど、ある意味でこれも民主主義の土台になり得るんですよ。民主主義の最大の敵は孤独と孤立です。人々が連帯や団結をする場ができるのはよいことだと思っています。

 (聞き手・出田阿生)

 <きのした・ちがや> 1971年、徳島県生まれ。明治学院大国際平和研究所研究員、工学院大非常勤講師。近著に『ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義』。

鳥原学さん

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◆書き換え可能な自己 写真評論家・鳥原学さん

 ハロウィーンとコスプレは、仮装という点で似ているように見えて対極にあります。

 ハロウィーンは一九九〇年代後半、ディズニーランドのイベントを機に広まりました。集団で参加し、街中で仮装するという意味で開かれている。そこで繰り広げられるのは、公に承認された「日常からの逸脱」。いわば、リア充(実生活が充実している人)のお祭りなのです。

 これに対し、コスプレの世界は少し特殊。教えている写真学校でコスプレを作品にする学生がいたので知ったのですが、アニメや漫画の気に入ったシーンを忠実に再現することを目指してファンは細分化され、厳しいルールが存在するそうです。それは閉ざされた世界。彼らは仮装というギミック(仕掛け)を通じて社会と接点を持つ。仮装というマジックミラー越しに世界を見つめているというか。

 そんな違いはありますが、なぜ仮装が若者の心を捉えるのか。それは彼らのセルフイメージ(自己像)に関わります。

 著書『写真のなかの「わたし」』(ちくまプリマー新書)で、写真を通じて若者のセルフイメージを考察しました。写真は今や、デジタル処理でいくらでも作ること、書き換えることが可能です。もはや「真」を写すものではない。若者はそのことをよく知っているのです。

 写真共有アプリのインスタグラムがはやっていますが、そこに映える写真を載せたいという「インスタ映え」の流行は、自分の生活をよく見せたい、装いたいという気持ちの表れ。作り上げた写真で、自分が何者であるかを証明しようとしている。

 写真は世界を認識するための装置ですが、一方で、写真が発明された当初、「写されると魂を吸い取られる」という迷信があったように呪術的な装置でもある。今、写真はその意味でとても原始的になっている。何かを知る装置ではなく、撮る人、見る人の欲求に忠実な装置。

 誰もがきれいな写真を撮れるようになった、つまり民主的になった中で、出てきたのが原始的、情緒的なものだったというのは、今の政治情勢も考えると象徴的です。短い言葉で「私が正しい。あいつはだめだ」と言う人が支持を得られる。しかし、本当に重要なのは正しさではなく、考えることを通じて問題に気づくこと。今こそ、写真を、イメージを読み解く力(リテラシー)が必要だと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <とりはら・まなぶ> 1965年、大阪府生まれ。日本写真芸術専門学校などで講師。著書に『日本写真史』『時代をつくった写真、時代がつくった写真』など。今年、日本写真協会賞学芸賞を受賞。

 

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