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ヘイトスピーチは今 対策法1年

 特定の人種や民族に対する差別的言動の解消を図る「ヘイトスピーチ対策法」の施行から一年。「魂の殺人」ともいわれるこの蛮行に変化はあったのか。根本的な解決の道はあるのか。三人の論者に聞いた。

 <ヘイトスピーチ対策法> ヘイトスピーチと呼ばれる差別的な言論の中でも、日本以外の国や地域の出身者に対するものの解消を目指して、昨年6月に施行された。警察庁によると、法施行から今年4月末までのヘイトデモは35件で、前年同期の61件に比べ半数近くに減少した。しかし、「理念法」といわれるように禁止規定や罰則がなく、その効果は疑問視されている。自治体の中には独自に条例などで対策に取り組むところも出てきた。

◆向き合い方 逆に後退 在日本大韓民国民団中央本部・企画調整室長 権清志さん

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 在日二世で、福島の田舎で育ちました。幼い頃から民族差別は当たり前で、「ニンニク臭い」「チョン」「帰れ」…。大学時代にアパートを借りようとすると、「あちらの方は困ります」。こうした差別に怒りや悲しみを感じても、「怖い」と思ったことはなかったのです。

 そんな私が初めて恐怖を感じたのは二〇一三年の三月、東京・新大久保でした。二百人近くのヘイトデモがパトカーの赤色灯に先導され、地響きのような音をたててゆっくり近づいてくる。「死ね」「出て行け」と叫び、楽しそうに笑う人々が、警察に守られ、道路使用許可を取って白昼堂々と公道を歩いてくる。

 それを見た瞬間、「この国で、この同じ路上で、たった九十年前にわれわれの同胞が殺されていたんだ」と思った。生まれて初めて、その場から逃げ出したい恐怖を感じました。足がガクガクするのを必死で抑えました。

 昨年、ヘイトスピーチ対策法が成立・施行されましたが、日本社会のヘイトへの向き合い方は逆に後退しているように感じます。小池百合子東京都知事は朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を取りやめました。ネット上でもまだまだひどいヘイトがまん延している。ヘイトスピーチは、やがてヘイトクライム(差別犯罪)になり、ジェノサイド(虐殺)につながります。ナチスを見ても分かる。東日本大震災では外国人の犯罪が多発しているというデマが数多く飛び交いました。絵空事でなく「殺される」という恐怖が日々募ります。

 在日コリアンは北朝鮮のミサイル発射事件などのたびに攻撃されます。「帰れ」という言葉は私たちを本当に深く傷つけます。なぜ私たちがここに存在するのかという過去を否定し、異なるルーツを持って日本社会で生きようとする人間の、未来への希望を断ち切るからです。

 これからは自治体レベルで反ヘイトの条例を制定する動きを進めつつ、現行法には罰則規定を設けるなど、より実効性を持たせたい。最終的には人種や性別、障害の有無など、すべての差別を禁じる人種差別撤廃法を成立させなければと思います。多様な価値観や文化が混在する社会と、人権や尊厳が踏みにじられて、人々が分断された社会。その、どちらがよいでしょうか。より重層的で、潜在的な可能性のある社会を目指す、それがヘイトを許さないということです。

 (聞き手・出田阿生)

 <ごん・ちょんじ> 1957年、福島県生まれ。青年時代から外国人登録法改正や地方参政権運動、民族差別撤廃に取り組む。2014年、国連人種差別撤廃委員会の対日審査会合に陳情団として参加。

◆言動だけ対象不十分 弁護士・北村聡子さん

 法律の施行後、ヘイトデモの数は減りました。発言内容も、白昼堂々「朝鮮人を殺せ」というような、直接的に生命への危害をあおる表現は減りました。その点では一定の抑止効果、啓蒙(けいもう)効果はあったと思います。

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 しかし、この法律には根本的な不備があるため、抑止効果も一時的なものに終わる可能性があります。まず、ヘイトスピーチを禁止する条項がありません。そのため「○○民族」など不特定多数に対するヘイトスピーチに対して刑事・民事ともに責任を問えないという現行法の限界を超えていないのです。

 それ以外にも、差別的言動を受ける対象を「本邦外出身者」かつ「適法に居住する者」と限定した点が問題です。「本邦外」とすることでアイヌなど日本にルーツを持つ人たちが漏れてしまいました。「適法」という限定は、難民申請者も含む非正規滞在者への差別は許されるという誤ったメッセージと取られかねない。差別を撤廃する法律に差別の芽があるのはナンセンスというしかありません。

 また、差別の中でも「言動」だけを対象としていることも問題です。日本には居住や就職などの場面で深刻な差別が存在しており、言動だけを対象にするのは不十分です。

 ヘイトスピーチを刑事罰の対象とすべきかに関しては、表現の自由との関係から反対する声が学者や弁護士からも聞かれます。表現の自由はもちろん重要ですが、だから法規制はできないという結論で議論を終えることは被害者に泣き寝入りを強いるもの。差別の実態を知れば、何とかしなければいけないと思うはずですが…。この問題への共感の低さが気になります。

 日本は国連の人種差別撤廃条約に加入しながらその国内法となる包括的な差別禁止法の整備を長年、怠ってきました。「そこまで深刻な差別はない」というのが政府の説明でした。しかし、今年三月に法務省が発表した調査で、日本に住む外国人の多くが入居や就職の場面などで深刻な差別を受けていることが明らかになっています。もはや政府の理由は通用しません。

 差別に苦しんでいる人たちは法律の不備を十分知りつつ、「何もないよりは」と涙をのんでこの法律の成立に賛成しました。その人たちの思いに応えるためにも、国会はより実効性のある法規制に向けて動くべきです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <きたむら・さとこ> 神奈川県生まれ。2000年に弁護士登録。東京弁護士会・外国人の権利に関する委員会委員長、日弁連・国際人権問題委員会副委員長などを歴任。

◆政治家対応日米に差 社会学者・明戸隆浩さん

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 米バージニア州シャーロッツビルで先月、白人至上主義者らと反対派の衝突事件が起きた時、ちょうど米国にいました。そこで感じたのは人種差別に対する日米の温度差です。

 米国にはヘイトスピーチを取り締まる法律がありません。言論の自由を大事にしているためです。ヘイトスピーチに関しても、ほぼどんなものでも許されている。しかし同時に、多くの人が反人種差別のメッセージを出すのです。また公民権法もありますし、暴力に至ればヘイトクライム法も適用される。

 日本ではどうか。言論の自由の観点からヘイトスピーチの規制に反対する意見があります。そこは米国と同じですが、では米国と同じぐらい市民社会のレベルで反人種差別のメッセージが出ているかというと、全く弱いと言わざるを得ない。

 一番違うのは政治家の対応。米国ではシャーロッツビル事件の後、トランプ大統領以外の多くの政治家が明確に差別側を非難しました。一方、日本は? 昨年の相模原障害者殺傷事件は障害者に対する差別的な犯罪でしたが、そこをはっきり批判できた政治家がどれほどいたか。

 日本人には、この国には人種差別がないということが強固な前提になっているのではないか。だから、差別事件が起きたときに、反応がワンクッション遅れる。この一歩の遅れが大きい。そして、頭のいい人ほど、この遅れをごまかすために、差別をなかったことにしてしまう。

 差別への向き合い方に日米で大きな差がある一方で、差別する側、特にインターネットで拡散される差別的表現は日米で共通性がある。変な話ですが、自国を一番と考える彼らこそがネットによってグローバル化している。今後、差別への対応のポイントはネットだと思います。

 ネットは自由な表現の場であるべきだということが信じられてきたわけですが、それはもはや神話です。ネットは地下の世界ではなく、もう世の中の真ん中にある。社会的な責任が発生しています。差別禁止のために、政府も関与して責任あるネット社会を構築すべきです。

 政府が関与することに疑問を持つ人もいるでしょう。考える足場にすべきなのは「差別をしてはいけない」ということ。その理念の確認です。それなしに規制や罰則だけ増やすべきではない。日本に欠けているのは、まさにこの理念なのです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <あけど・たかひろ> 1976年、愛知県生まれ。専門は社会学・多文化社会論。関東学院大などで非常勤講師を務める。訳書に『ヘイトスピーチ』(共訳、明石書店)。

 

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