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親の責任、どこまで?

 いわゆる「二世タレント」が刑事事件で逮捕される不祥事が相次いだ。そのたびに親の責任が問われ、中には活動自粛に追い込まれた親もいる。日本独特の密着型の親子関係が浮き彫りになるこの騒ぎ。子の不始末について、親はどこまで責任を持つべきなのか。 

 <2世タレントの不祥事> 俳優高畑淳子さんの息子の俳優が昨年8月、強姦(ごうかん)致傷容疑で逮捕された(その後、不起訴)。これを受けて高畑さんは記者会見で謝罪。一時、活動自粛に追い込まれた。今年6月には、俳優橋爪功さんの息子の俳優が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された。橋爪さんは謝罪コメントを発表した。この二つの事件は、いずれも成人になってからの犯行で、親の責任を問うべきかどうか議論になった。

◆罪を償うのは難しい 作家・薬丸岳さん

薬丸岳さん

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 ある日突然、わが子が殺人犯になってしまった父親を主人公に、小説『Aではない君と』を執筆しました。多くの人は、身内が何らかの事件の被害者になるかもしれないと思っても、加害者側に立つことを想像する人は少ないと思います。

 物語では、別れた妻と暮らす中学二年の息子が、同級生を刺殺した容疑で逮捕されます。刑事にも弁護士にも、両親にさえ何も語らぬ息子。なぜ−。父親は世間の非難を浴びながら、真実を知ろうと苦悩します。

 執筆はしんどかったです。自分に子どもがいたとして、幼い頃からどう接するだろう、その子が人殺しを犯してしまったら…と想像して。物語をきついところ、きついところに持って行きました。少年事件をニュースで見る一人として、作品では加害少年の親にかなり厳しい見方をしたかもしれません。

 芸能人の三十代の息子が覚醒剤で逮捕されたようなケースでは親の責任といわれてもやや違和感があります。でも、まったくないとは言い切れない。周囲はそう思わなくても、親自身は悩みや兆候に気付かなかったと自らを責めるかもしれません。

 若い加害者の裁判を傍聴すると、情状証人で出てくる親に対して「この親にして…」と感じることがある。一方、重大事件では自殺する親もいます。人によって責任への温度差が大きいし、事件の大小もあります。そう考えるとすべて「親だから責任を」というのは難しい。

 この作品では、謎解きだけでなく、罪をどう償うべきなのかという深いテーマにも踏み込みたかった。僕自身、現実の事件の加害者は絶対に幸せになってほしくないと思います。でも、ちょっとでも幸せを感じないと自分が奪ったものの大切さに一生気付かないかもしれない。「決して許されない」前提で、親子ともに一生、反省しながら謝り続けるしかないのでしょう。

 子どものときに万引して、母親に泣きながら殴られたことがあります。悪い道に行かなかったのは、親を悲しませたくなかったから。犯罪抑止の面でも「犯罪者になって悲しませたくない」と思える人間関係をつくることは大事だと思います。

 親の生き方や接し方で子どもは変わると思うけれど、子育てに正解はないのでしょう。子を持つというのはそれだけ覚悟がいることなのだと思います。

 (聞き手・出田阿生)

 <やくまる・がく> 1969年、兵庫県生まれ。2005年、『天使のナイフ』で江戸川乱歩賞。著書に『闇の底』『虚夢』、ドラマ化された『刑事のまなざし』など。『Aではない君と』(講談社)が文庫化されたばかり。

◆日本も個人を単位に ライター・イラストレーター 吉田潮さん

吉田潮さん

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 芸能界って、本当にたくさん二世がいますよね。その中で犯罪までするというのは、すごく少ないと思うんですよ。それを特殊な目で見ていいのか。話題になった二世タレントの事件は、芸能人としてというよりも人間として欠けているものが大きすぎました。一緒にされるほかの二世は大迷惑でしょう。

 私は、二世の事件で親の責任を問うような正義感に、うさんくさいものを感じるんです。芸能人の不倫もそうです。怒るべきは不倫された人なのに、関係ないみんながたたく。気持ち悪いのは、みんなが変な正義感ばっかりあおられて、自分の主語を失っているように見えることです。たたいたり、怒ったりしているのは「私」じゃなくて「世間」というか「空気」。「ああいうのは世間が許さない」と言ってたたいている。

 もう一つ気になるのは、バッシングに表れた日本独特の親子の距離感です。高畑淳子さんの息子の事件(高畑さんは今、無実を主張しているようですが)では、母親の淳子さんが責任を取って芸能活動を一時自粛しましたが、その必要があったのか。息子は二十歳を過ぎ、犯行も母親には関係ない話でした。しかし、記者会見では親の責任が問われた。親と子は共同体とか、太いきずなで結ばれているとか、みんな言うんですよね。愛情があって一生切れない縁というのは分かります。でも運命共同体で連帯責任制みたいな感じは正直、気持ちが悪い。

 テレビドラマでも、一九八〇、九〇年代は二十代の主人公たちが大体、一人暮らしだったんですよ。ところが最近のドラマって、働いている二十代の主人公たちが普通に親と同居しているのが目立つんです。最近では、今春放送された日本テレビ系の「ボク、運命の人です。」のヒロインがそうです。

 背景には、東日本大震災以後に強まったきずな礼賛、家族礼賛があるのでしょう。親子の距離が近すぎると思うんですが、これが標準になると、子の不始末の責任は親が取るのが当たり前ということになってしまう。親に依存する子どもを受け入れる形で親も子に依存し、共依存が起きているようです。いずれ家族関係に疲弊するもとにならないか心配ですね。難しいかもしれないけど、日本も家族ではなく個人を単位とする方向に変わるべきだと感じます。

 (聞き手・大森雅弥)

 <よしだ・うしお> 1972年、千葉県生まれ。週刊新潮で「TVふうーん録」連載中。東京新聞「風向計」筆者。著書に『TV大人の視聴』など。近刊に『産まないことは「逃げ」ですか?』(ベストセラーズ)。

◆「責任」が過剰に拡大 育児雑誌編集者・岡崎勝さん

岡崎勝さん

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 「子どもの責任を親がどこまで負うのか」の問いには、「一人前になるまで」が一つの答えでしょう。一人前とは年齢に関係なく、「誰かの役に立つ仕事をしてお金を稼ぎ、自活して納税の義務を果たす」などの状態を指すと思います。自力で暮らすには、それなりのお金を継続して稼ぐことが重要です。

 しかし多くの親は、その道筋を示せなくなりつつあります。正社員など安定した仕事を持つ親はあまり多くないんですよ。アルバイトを三カ所も掛け持ちするシングルマザーがいます。

 なりたい職業を尋ねると、冗談半分で「受け子」と答える小学生がいるんです。「ニセ電話詐欺」で現金を受け取る役の犯罪者ですよ。これは極端ですが、「楽で、好きなときに辞められそうだから」と「コンビニのバイト」という答えもある。身近な大人から得た知識なのでしょう。「先生、会社で働くっていっても、簡単に雇ってくれないよね」と言う子もいます。一人前になるストーリーを描けないのです。

 「親離れ、子離れ」は子どもから親の世話を拒み、自由を求めて羽ばたいていくのが健全というのが経験則。でも世話を拒むと生きていけず、親に甘える時間が長くなっている。成人した子の責任を親が取る必要はありませんが、同居などで依存していれば世間は「親は何をやっているんだ」となりがちです。

 さらに親の責任が過剰に拡大している気がしてなりません。学校に着ていく服は派手ではいけません。目立つと、SNSで非難されます。上手なキャラ弁を作ると、それを目にした子どもの友達が自分の母親に「作って」と求め、その母親が「あんな弁当作られると困る」とSNSに書きます。同調圧力におびえ、周りの求める“平均”から子どもが外れると、その責任が親に降り掛かってきます。

 だから責任の所在にとても敏感。例えば、宿題をやらない子どもがいたとします。何回も続けば、「ちゃんとやれるように見てあげてください」と連絡帳に書いてサポートをお願いします。すると、ある親に「やるべき範囲や分量は適正ですか」と反論されました。「宿題をしないのは先生のせいだ」と言いたいのでしょう。拡大する責任から少しでも楽になりたいのです。いまの親は大変です。

 (聞き手・諏訪慧)

 <おかざき・まさる> 1952年、愛知県生まれ。愛知教育大卒業後、小学校教諭に。98年に育児雑誌「おそい・はやい・ひくい・たかい」を創刊、編集長を務める。本紙生活面「子どもってワケわからん!」連載中。

 

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