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考える広場

終活しますか?

 自らの人生の終末に向けて準備を整える「終活」。言葉として社会に定着し、実際に取り組む人も増えている。背景には家族の姿が変わってきたことがありそう。あなたは自分の死にどう向き合いますか?

◆年寄りは自由である 脚本家・倉本聰さん

倉本聰さん

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 今、死ぬ気はないですよ。体も大きな問題はない。でも、死はいや応なく来るわけです。僕は子どもがいません。ほっておくと法定相続という形になり、それにはまらないものは国に没収されてしまうという。国から何かしてもらったわけでもないのに、それはつまらないなと思って、おととしぐらいから終活を始めました。

 実際やってみると知らないことがいっぱいありましたね。戸籍謄本を取って、法定で遺産を残さなくちゃいけない人間を調べると、そういうところにも遺産が行くのかと。例えば、きょうだいが死んでいる場合、その奥さんには行かない。子どもに行くんですね。だけど、きょうだいの子どもなんて、まあ直接関係ない。あまり普段も付き合ってないし。それより、毎日世話をしてもらっているマネジャーなどの人たちに残してあげたいと思いましたね。

 かみさんは僕より一つ上だから、どっちが先かという話になり、かみさんの終活も一緒にやりました。両方が同時に死んだ場合、どっちかが残った場合、いろいろ想定して。公証人にちゃんと公正証書を作ってもらわなければいけない。大変ですよ。皆さんも覚悟された方がいい。

 僕の理想の死は、山の中で死んで動物に食べられ、骨まで虫や微生物に食われてなくなり土に帰るというもの。生きることに未練はない。だから、死ぬことは怖くないんです。この前、鹿児島で終末医療に携わっている医師が面白いことを言いました。死ぬときの一番の問題は、結局、自分の死に納得できるかどうかじゃないかと。僕は死ぬことに納得しています。もちろん、もっとやるべきことはあるかもしれないけど、やり終えたっていう感じはある。

 創作者の終活? 年を取るにつれ、今まで身に付いてきたものをどんどん捨てている感じはありますね。一種の断捨離です。平たく言えば、お客にこびる姿勢、笑わせようとか、何々させようとかじゃなくて、自分がおかしければいいという。規制緩和を自分でしているわけです。ある意味、わがままですよ。子どものわがままよりたちが悪いんだけど、それをあえて遠慮会釈なく正直に吐露していくということが老人の文学だと思うんです。年寄りは自由ですよ。自由であるべきです。だって、すぐ死んじゃうんだから。

 (聞き手・大森雅弥)

 <くらもと・そう> 1935年、東京都生まれ。テレビ朝日系で放送中の最新作「やすらぎの郷(さと)」が話題を呼ぶ。16日から8月20日まで、広島県のウッドワン美術館で点描画展を開催。

◆最期を見つめる作業 エンディングセンター理事長・井上治代さん

井上治代さん

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 二〇一〇年の国勢調査から、家族の形態は「夫婦と子どもからなる家族」を抜き、「単独世帯」が最多になりました。晩年は家族を頼れず、自分の最期を自分で決め、準備しなくてはならない時代になりました。

 親や配偶者の介護を経験し、自分の子には同じ思いをさせたくないと思う人も多い。それは悪い例しか見ていないから。終活は、子どもがいてもいなくても、死を見つめることで自分の最期をよりよく過ごすための前向きな作業。遺言や葬儀、お墓の準備だけではない。一番大事なのは意味や志です。終活の究極の目的は「死の受容」だと思います。日本には死を受容するシステムがありました。「死んだら家の先祖になり、代々の子孫によってまつられていく」という先祖祭祀(さいし)です。それがスピリチュアルケアになっていた。死後も存在が意識され、時間と子孫との関係が続いたんです。

 その意味を考えず「こんなのならいらない」と儀式を全てやめる傾向もある。でも私たちは、家族の在り方や世代を超えた、新しい死生観とケアシステムを創らなくてはと考え、桜葬を始めました。死んだらこの桜の木の下で一緒に眠る「墓友」との付き合いが、生前から始まります。その仲間意識のおかげで死が怖くなくなり、死を受け容(い)れられる。墓友が家族機能の低下した部分を補うのです。

 育児や介護と同様、死や葬祭でも、手を差し伸べ合えるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)を創りたい。「ケアされる」という受け身ではなく、自分もだれかの「ケアをする」ことで、「お互いさま」の精神を感じ合えます。

 私たちの活動拠点はエンディングセンターといいます。進行形の「ing」を付けて、「死にゆく過程」「死後も続く関係」を表しました。理念は「血縁から結縁へ」。家族以外の人々とも縁を創る。伝統社会での権利と義務といった強固なつながりの共同体ではなく、墓地を核としたゆるやかな共同性を目指しています。

 私は、死期がわかるような病気になったら、ごく身近な人たちの誕生日に、死後、私からの花束が届くようにしかけたい。子どものいない人が親友の孫に絵本を送るよう準備した例もありました。そうやって、時間や大切な人との関係を、死後も自律的につないでいけるのです。

 (聞き手・稲葉千寿)

 <いのうえ・はるよ> 社会学博士。元東洋大教授。エンディングデザイン研究所代表。著書に『墓と家族の変容』『最期まで自分らしく』『子の世話にならずに死にたい』など。

◆お浄土への心構えを 仏教思想家・ひろさちやさん

ひろさちやさん

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 私は今八十歳ですが、いわゆる「終活」は何もしていません。子どもには「お父さんが死んだら、お骨はどうしてもいいよ」と言っています。私は死んだ瞬間に極楽浄土に行き、阿弥陀仏の弟子になると信じています。物質などどうでもいいのです、私にとっては。それが信仰です。

 人生には二つの物差しがあります。一つは「世間の物差し」。金持ちや優等生は良くて、貧乏人や劣等生は悪い。悪い人間には存在価値がないという物差し。終活している人は、世間の物差しで一生懸命やっている。死後の自分を良く見せたいとの願望はありませんか。「もういいじゃないか」というのが私の意見ですね。

 もう一つは「仏様の物差し」。金持ちでも貧乏人でも、優等生でも劣等生でもいいんだよという物差しです。「じたばたするな。死後のことは仏様にお任せしておけばいい」。私が信仰する浄土宗では、阿弥陀仏が、金持ちも貧乏人も、悪人も善人も、優等生も劣等生もみんな迎えてやるよ、そのまんまでいいんですよと言っています。

 遺言状があれば、うまくいきますか。かえって家族がもめる。「こうしてほしい」というのはエゴイストだと思います。遺言やエンディングノートがなくても、「死んだら、よろしく頼むね」とだけ言っとけばいいんです。

 仏様を信じ、お任せするのが仏教。日本人の多くは「皆さんそうしているから」と世間の物差しだけで物を考えている。『終活なんておやめなさい』(青春新書プレイブックス)という本を出したら、お坊さんからは「営業妨害だ」と言われました。

 母が二〇一二年に九十六歳で世を去りました。その数年前に「お浄土へのお土産は準備した?」と聞いた。母は「お土産って何を?」と言う。私は「美しい思い出を持っていくんだよ」と答えました。お浄土は光ばかりの世界。光ばかりでは物が見えない。影があることで物が見えるんです。美しい思い出とは「影」です。苦労や悲しみ、不幸といった「影」があって初めて、幸せが分かるんです。それを持っていく。そう言ったら母はうれしそうに「ありがとう」と言いました。

 真の終活は、お浄土に持っていくお土産の準備や、お浄土に行く心構えづくりだと思います。それこそが仏様の物差しです。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <ひろさちやさん> 1936年、大阪府生まれ。東京大大学院印度哲学専門課程博士後期課程修了。浄土宗の信者。気象大学校教授などを歴任。『仏教に学ぶ老い方・死に方』(新潮選書)など自共著600冊。

 <終活> 人生の終末に向けて、自ら準備すること。「就職活動=シューカツ」をもじって名付けられた。2009年の「週刊朝日」の連載記事から知られるようになり、12年の「新語・流行語大賞」トップ10に選ばれた。もともとは葬儀や墓の準備のことだったが、終末医療や介護、身辺整理、相続など多岐に及ぶようになり、自分の希望を記す「エンディングノート」の利用も増えている。背景には超高齢社会の到来、独居世帯の増加などがあり、一時的なブームではなくなっている。

 

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