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公文書は誰のもの?

 その文書は「ない」のか「ある」のか。公開されても黒塗り−。南スーダンの日報や森友問題などで、公文書のあり方が問われている。六年前、公文書管理法が施行されたものの「諸外国より公文書への意識が薄い」「公文書館は紙くず箱」との指摘もある。

◆記録への意識が欠如 ジャーナリスト・春名幹男さん

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 九年前、日米安保条約締結時に交わされた密約文書を発見しました。米軍部隊が日本国内の基地から出撃するときには日米の事前協議が必要なのですが、朝鮮半島有事の際は一刻を争うので事前協議はしなくてよいという内容です。フォード元米大統領の在任中の文書を保管している図書館に別の用事で行った際、たまたま安全保障関係の文書を見ていたらあったんです。

 この発見は米国の公文書館だから可能だったと言えます。日本の公文書館との一番大きな違いは、米国には「ファインディングエイド」が整備されている点です。文書をファインド(発見)することをエイド(援助)する手引のことです。それを読めば、探している文書がどこにあるかが大体分かるようになっている。日本では、外務省の外交史料館にすら整備されていません。

 これは公文書に関する意識の問題です。米国では、公表されると大変だろうと思うような文書も保存され、しかるべき年限を過ぎると公開されます。米国の政治家や官僚はプライドを持って文書を残している。公開するかどうかについても自分たちで決めず、外部の有識者を入れて決めています。

 一方、日本は歴史を記録する意識が薄い。先の戦争で日本の敗北が決まった直後から、膨大な公文書が焼却されたことは有名です。米国が保存する大日本帝国とナチス・ドイツの戦争犯罪に関する公文書が公開されていますが、ナチの文書が八百万ページに対し、日本の文書は二十万ページにすぎません。

 そうした役所の精神的風土は戦後も変わらずにきたと言わざるを得ない。私は日米の核持ち込みの密約問題に関し、有識者委員会の一員として調査に当たりましたが、あるべき幾つかの文書が存在しませんでした。私たちが知らない間に廃棄された可能性が高い。最近も森友問題、自衛隊の南スーダン国連平和維持活動(PKO)でずさんな文書管理が問題になりましたが、むべなるかなです。

 日本の公文書管理法の第一条には、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であると明記してあります。民主主義を維持していくために必要な資源。そのことを政治家、官僚は十分理解し、文書を残していくことを常識にしなければなりません。

 (聞き手・大森雅弥)

 <はるな・みきお> 1946年、京都府生まれ。共同通信ワシントン支局長、名古屋大教授などを歴任。95年にボーン・上田記念国際記者賞。著書に『仮面の日米同盟』『秘密のファイル』など。

◆公開妨げる忖度文化 前国立公文書館長・高山正也さん

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 公文書は、国民のためのものです。主権を行使するため、つまり投票のために必要な情報を得ようと公文書を見る。歴史的に西欧などでは王権が確立していた時代は、王家の占有物でしたが、市民革命を通じて、公文書は主権とともに国民のものになったわけです。

 官僚は「公文書は国民のもの」と頭では理解しても「この記録は俺たちが作ったのだから」という意識が抜けません。うっかり公開すると、上司や先輩の栄誉に傷が付く。忖度(そんたく)が働くわけです。日本文化そのものです。

 日本では、公文書はきちんと作られる伝統があります。江戸時代には武士階級だけでなく、町民や農民の記録もたくさんあった。ところが、記録の価値が分かりすぎているために、逆のことが起きる。第二次大戦の記録が焼かれたり、東日本大震災時の原発会議の記録が残されていなかったり。「本当に大事だったら記録など取ってられないよ」という言い訳が通用する文化だと思います。

 使われなくなった公文書は、官庁での保存年限がくると、官庁が廃棄するか、国立公文書館に移管されるか。年限が来ても使われる文書は、手元で保管を継続する。館長時代(二〇〇九〜一三年)などに感じたのは「必要な文書が移管されない。価値の低い文書が回ってくる」こと。そんな状況を「公文書館は紙くず箱」と表現したことがあります。

 国立公文書館の所蔵資料の利用は、一一年に施行された公文書管理法で、国民の権利とされました。画期的なことですが、三十六も付帯決議が付き、法はまだ完全とは言えません。

 日本の公文書館員数は、米国の十分の一、韓国の三分の一です。今度、建物は新築されて広くなりますが、人も大幅増してほしい。増えないと管理の一部を外注する事態もあり得ます。

 公文書管理には、国の文化が反映します。米国では、政権に不都合な文書も公開されていますが、二大政党制が影響しているかもしれません。前政権で都合が悪い文書も公開しようという思惑があるかも。でも、公開主義は見習うべきです。

 公文書をどう利用するか。お役所言葉や考え方をひもとくのには骨が折れますが、メディアが掘り起こし、主権者たる国民を啓蒙(けいもう)してほしいです。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <たかやま・まさや> 1941年、大阪府生まれ。慶応大教授を経て同名誉教授。公文書管理法創設への研究報告書作成に携わった一人。近著は『歴史に見る日本の図書館』(勁草=けいそう=書房)。

◆民主主義の根幹軽視 ジャーナリスト・博士(工学)・まさのあつこさん

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 南スーダンPKOの日報の問題でも、森友学園の問題でも、行政文書の管理がしっかりできていないことが、とても気になりました。「大事な文書でも捨てられちゃうんだ」って、多くの人が公文書管理に関心を持つきっかけになったと思います。

 日報は最初、保存期間が三カ月だったから捨ててしまったとされていました。陸上自衛隊の省内規則では国際平和協力業務の保存期間は三年とされ、しかも「戦闘」について記載されていたのに、です。

 後世の検証のため、文書を作成、保管するという民主主義の根幹である「公文書管理法」の目的が果たせていない。それなら政治家が正すのが三権分立の姿ですが、その政治家を忖度し、都合のいい文書はある、そうでないものはないことにするご都合主義で運用されています。

 日報は後で出てきましたが、稲田朋美防衛相は防衛省が「廃棄した」と説明した時点で、捨てる行為を問題視しなければいけなかった。でも、そうはしませんでした。同じことが財務省にも言えて、省内規則を普通に読めば森友学園への国有地払い下げの文書は保管していないとおかしい。それなのに破棄されたことになっていて、麻生太郎財務相も何も言いません。

 二十年前、米国七都市を回って情報公開制度を勉強しました。米国には公文書管理の専門職員がいて、国立公文書館にはメモであろうがファクスであろうが重要なものは残っている。

 何が公文書かという基準からして違うんです。日本の情報公開法や公文書管理法は、とても狭く行政文書を定義している。「職員が職務上作成、または取得」「職員が組織的に用いる」「行政機関が保有」。この三つの要件を満たさないと行政文書だと見なされなくて、情報公開請求をしても出てきません。

 森友問題では、首相夫人付き職員が公務時間内に職場から森友学園に送ったファクスなのに、個人のもので、行政文書ではないとの説明をゴリ押ししようとしました。定義の狭さを、抜け道にしたのです。

 米国では、公務員にとって私文書とは何かを先に定義して、それ以外のものを公文書と定めています。それなら日本のような言い訳はできません。今回の問題をきっかけにして、制度の見直しを考えていくべきです。

 (聞き手・小佐野慧太)

 1962年生まれ。衆院議員の政策担当秘書を経て東京工業大大学院博士課程修了、博士(工学)。情報公開、原子力問題などを取材。近著に『あなたの隣の放射能汚染ゴミ』(集英社新書)。

 <公文書管理法> 公文書は、公の機関や公務員が、その職務上作成した文書。2000年代に入り“消えた年金”の問題や、防衛省が文書を誤って破棄、厚生労働省が薬害肝炎患者の資料を放置−など、公文書管理の問題が続発した。

  このため08年1月、当時の福田康夫首相は国会で「年金記録などのずさんな文書管理は言語道断だ」と施政方針演説で表明。全34条の公文書管理法が09年7月に公布され、11年4月に施行された。

 

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