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考える広場

峠の下り方

 人生という一本道を歩いていけば、頂上を過ぎ、やがて下り始める。峠の下り方はさまざま。さらに上ろうと努力する人もいれば、状況を受け入れて歩み方を変える人もいる。今や人生八十年時代で、下り坂は長い。どう下ればいいか、心構えを三人の論者に聞いた。 

 <峠の下り方> 人生の上り下りがはっきりしているのはスポーツの世界。多くの選手が40代前後で引退する。元広島の黒田博樹さん(41)も昨季引退した。そんな中、今年50歳、現役で頑張るサッカーの三浦知良選手、50歳まで投げた元中日の山本昌広さんは、ひと味違う生き方を示した。サラリーマンは定年退職が峠の下り始め。日本人の寿命は戦後すぐと比べると30歳も延び、第二の人生の現役期間は長い。どう生きるかが問われている。

◆夢を持ち上を向いて 野球評論家・山本昌広さん

山本昌広さん

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 長くやれたのは、野球が好きなことと、両親にもらった丈夫な体、そして、良い人たちとの出会いのおかげです。元大リーグ・ドジャース会長補佐の故アイク生原さんや星野仙一さん、三十歳過ぎてから通った鳥取のトレーニング施設「ワールドウィング」の小山裕史先生ら、節目節目で恵まれました。

 入団五年目。芽が出ない僕を米国に野球留学させてくれたのが、ドラゴンズの監督だった星野さん。そこにアイクさんがいてクビ寸前の僕を鍛えてもらった。帰国したら、星野さんがどんどん使ってくれた。叱られもしましたよ。叱られなくなったら終わりだと思っていました。

 体力的なピークは三十歳前でした。最多勝とか、成績が良かった。でも、メンタルとか技術の面は、五十歳で現役をやめる寸前が一番高かったと思います。常にモチベーションを高く持って頑張ってきた。それに尽きると思います。技術面は、小山先生といろいろ勉強しました。

 モチベーションの源泉は、ファンの声援や契約を続けてくれるドラゴンズでした。特に現役終盤では「勝てば最年長記録」ということが多かったので、期待してくれるファンや球団、監督、コーチらに恥をかかせてはいけないと思っていました。

 四十歳を過ぎて、峠を下りている意識はもちろんありました。若い選手と一緒に何本も走ったりができなくなったな、練習がきつくなってきたなと。四十五歳を超えて最後の五年間は特に。それでどうしたかというと、休みを取らなくなりましたね。休みが怖くなった。一日休むと、次の日の練習がしんどくなってしまう。毎日毎日少しずつ練習する。大きな努力ができなくなったので小さな努力を続けるように変わってきました。「下りているけど、上を向いて」という気持ちでした。

 中高年の方には、モチベーションを持って頑張っていただきたいですね。こんなに幸せな野球人生だった私でも、まだ悔いがあったりするんです。やりきったと思っていても。一般の方も、仕事への取り組みなどは、年を取るほど要領を得てきます。定年を迎えるころが一番うんちくもあるし、やることもちゃんとしている。最後まで走りきってほしいです。定年が終わったら、自分のしたかったことをしてもいいんだし。楽しみや夢を持ち続けてほしいです。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <やまもと・まさひろ> 1965年生まれ、神奈川県出身。84年中日入団。93、94、97年セ・リーグ最多勝。41歳でノーヒットノーラン、49歳で勝利投手など最年長記録多数。219勝を挙げ50歳で現役引退。

◆今を受け入れること 女優・風吹ジュンさん

風吹ジュンさん

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 司会を務めるNHK・Eテレの番組「団塊スタイル」では、さまざまな方の第二の人生を紹介しています。前向きに、下りを楽しんでいる方が多いですね。趣味を楽しんだり、日常生活を豊かにしたり、体を鍛えようとしたり。新しい人生を歩んでいらっしゃる。

 「下り」といいますが、何が下りか、どこから下りかなんて、実は分からないんですよ。私の場合も、耐用年数ということでは下り坂なのでしょうが、それでも生きている。上りとか下りとかではなく、今を。

 五十、六十になった時は、確かに失ったものはあるんだけど、一方で得たものもあると感じました。それは人生に対する考え方。振り返らない。過去の価値観に縛られない。前を見て集中していれば自然とそうなります。すると、新しい自分に出会えます。

 多くの映画・ドラマは若い人を中心に回っています。「私もああいう時があったな」なんて、そばから眺めていますよ。今は、いつ、どんな声が掛かっても応えられるタフな役者でありたい。そのための修業には終わりがないんですよね、残念だけど(笑い)。

 私は芝居のとき、演技をするというよりは役に近づこう、気持ちを近づけようとします。すると表情も動きも自然にそうなってきます。私自身の現実になり、生身の存在になる。私たちは「お使い」なんです。メッセージを伝えるためのお使い。病気になっても何をしても表現できる。それこそ年を取っても、落ち目になっても。

 これからは演技に味を出したいですね。年を重ねることで出るものがある。私の場合、若いころは出なかった低い声が出せるようになりました。年を取るのは悪くないなと思います。

 いろいろあらがった時期もありました。でもね、大事なのは、受け入れることと分かりました。だめなことも、弱いところも、老いることも。それはあきらめることではない。何が来ても逃げ出さないということ。それで強くなれましたよね。今は、あるがまま。人に迷惑さえ掛けなければ何でもしちゃう。

 同世代の人に言いたいのは「自分を捨てるぐらいの気持ちで一回自由になりましょうよ」ということ。周りと比べたってしょうがない。日々に集中して、前に進むことですよ。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ふぶき・じゅん> 1952年、富山県生まれ。73年に芸能界デビュー。今春テレビ朝日系で放送される倉本聡さんの新作ドラマ「やすらぎの郷」に出演する。著書に『風吹ジュンスタイル』など。

◆大事なのは学ぶ情熱 作家・童門冬二さん

童門冬二さん

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 人生の後半を「下り」だと決める必要はないですよ。孔子の教えだと、四十歳が心に迷いがなくなる「不惑」、七十歳は心のままに生きても間違わない「従心」です。けれど、なかなかこうはいきません。私は今年で九十歳ですが、やっていることや考えていることは、不惑にも達していない。いろんなことにわくわくするし、まだ静かに下ろうなんて思わない。修業が足りないんだなあ。

 もともと私は、小学校の教師になりたかったのです。でも戦争が始まり、元気な男は軍隊に入れといわれた。それなら飛行機に乗りたいと、海軍の予科練に入りました。そして特攻隊に入ったのですが、空を飛ばないうちに終戦を迎えました。思った通りに進まないことの連続です。切り替えて次に進まなくてはいけない。「下る」ためには、まず頂点を極めたいところですが、上り続けるのも、なかなか難しいものです。

 歴史上の人物で、人生の後半をうまく生きた人物というと、伊能忠敬です。全国を測量して、日本初の本格的な国土地図を完成させました。それを成し遂げたのは隠居後です。彼は、幼いころから計算が得意で、天文学者になる夢を持っていました。けれどまずは養子に入った伊能家で、破産寸前だった家の再建に尽くします。計算の能力を生かして飢饉(ききん)も予測し、見事に財政を好転させるのです。現役のうちに自分が必要とされることをやりながら、お金と力を蓄えた。そして人生の後半で、理想に向かって歩き始めた。若いころから心の準備がある人は、やはり強いのでしょうね。

 私は五十一歳まで、東京都の職員として三十年ほど勤めました。長く仕えた知事の退任に合わせて辞めたのですが、その時点では作家とは思ってもいませんでした。でもいつの間にか、組織と歴史というテーマが、自分の中に蓄積していたんです。声をかけてくれる人がいて、書き始めました。個人的に同人誌活動を続けてきたこと、マスコミの窓口の仕事だったこと。すべて今につながっています。

 人生の後半戦に入ると、体力は衰えます。下ると捉える必要はないですが、加齢に逆らうことはしない。大事なのは学ぶ気持ちだと思います。残された能力と相談しながら、情熱は絶やさずに完全燃焼していきたいですね。

 (聞き手・中村陽子)

 <どうもん・ふゆじ> 1927年、東京都生まれ。都職員時代は広報室長、企画調整局長などを歴任。著書に『小説 上杉鷹山』(集英社文庫)、『二宮尊徳の経営学』(PHP文庫)など。

 

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