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相模原事件からみる「養育」 佐藤直子論説委員が聞く

 神奈川県の障害者施設で昨年夏、一人の若者が四十六人を殺傷した「相模原事件」は私たちの社会に深い傷を残しました。長年にわたり若者の事件を家族や親子の座標軸から見つめてきた評論家の芹沢俊介さんは背後に親子の関係など養育の問題をみています。今大切な養育とはどんなものか。芹沢さんの仮説を踏まえて考えます。

◆受けとめ手 存在が鍵

芹沢俊介さん

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 芹沢 事件から半年がたって見えてきたことがあります。

 注目したのは二十六歳の植松聖容疑者の体に彫られた入れ墨です。ファッションのレベルじゃなくて、体中の色彫りです。社会に通用しない自分に変える「自己抹殺」の行為です。

 「自己処罰」でもあるでしょう。自分と誰かに向けた激しい怒りを感じる。いつ彫ったのか。報道などから推察し、教員採用試験に落ちて、施設に勤めるまでとみるのが自然です。

 佐藤 衆議院議長に宛てた手紙や日頃の言動から、「世の中の役に立たないものは存在すべきでない」という彼の優生思想に触れた論評が目立ちました。

 芹沢 彼が優生思想にとらわれていたのは事実です。でもその思想は内面に抱えた問題の発露で、もう一段掘り下げてなぜ優生思想にとらわれたのかを考えたい。私は入れ墨に象徴される親子の問題があったと思う。

 佐藤 親についての情報は事件前に引っ越して植松容疑者とは同居していなかったとか、まだ断片的でしかありません。

 芹沢 確かにそうです。でも一九八〇年代から家族や親子関係を考察の軸にしてきた者としては、情報がないから論じないというわけにはいかない。

 もし優生思想が動機なら事件は植松容疑者でなくても起こせる。優生思想を持つ人は他にいても、みんなが同じことをするわけではない。ほかでもない彼が殺害に関与した、そう言うためには彼固有の要素がいる。

 その手掛かりが入れ墨です。彫るには何日もかかり、彼の激しい怒りは痛みの体験をくぐり、人を殺害するエネルギーに変わったのではないか。マゾヒズムからサディズムへ、自己破壊から他者破壊へと移った。

 佐藤 事件の解明には少年事件で行うような詳細な生い立ち調査が必要です。国の検討会は精神障害者の措置入院や措置解除後の対応、つまり「安全」の問題に議論をシフトした。安全は大切な課題だとしても、内面に踏み込む作業が欠かせない。

 芹沢 問題は「安全」ではなくて「安心」です。私は相模原事件を養育の問題としてとらえ直したい。植松青年の特徴は、自我の根底を支える「ある」という感覚の希薄さです。

 佐藤 「ある」とはどのような感覚ですか。

 芹沢 自分が安心して自分でいられる存在感覚です。それは乳幼児期から自分のためのみに存在する人から「受けとめられた」という体験があって育まれる。英国の精神分析医ウィニコットが「being」という言葉で表現しているもので、九〇年代から児童養護施設の職員らと養育、親子関係づくりについて議論しながら、彼の考え方から多くの示唆を得ました。

 さて、子どもは根本的に受け身です。顔や体形からして誰の子か遺伝子に書き込まれて生まれる。意志や選択はない。これを親子間の原初の「暴力」と見なし、私は親子論や家族論の基本にしてきました。

 赤ちゃんは親から受けた暴力を「自分が受けとめられたいという欲求」で返そうとしておっぱいを欲しがる。親が離れると泣く。でも、受けとめられたいという欲求は受けとめられたときに消える。逆に、受けとめられないと安心できず「ある」をつくれない。再び欲求を自分の内に返すしかなく、欲求の表し方は過酷さを増していくんです。

 佐藤 子どもが歩けないといって抱っこをねだりますね。

 芹沢 そのときの「受けとめられ欲求」の過程です=図参照。

 佐藤 思春期にいい子が急に親に暴力を振るいだす「家庭内暴力」も起こりますね。

 芹沢 いい子でいるには自分を殺すしかない。受けとめられなかった欲求が不安のうちに負のエネルギーになる典型です。暴力を向けられる多くが母親なのは、無意識のうちに自分を産んだことを問うからでしょう。目に見える形で暴力が出現するずっと前に、親から受けとめられた体験が希薄で安心をもらえなかったという問題がある。

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 佐藤 親たちは子育てに悩んでいます。相模原事件でも直感的にわが身に引きつけて不安になった人は少なくないはずです。経済的な格差が広がり、生活不安から安定しきれない。子育ては過酷さを増しています。

 芹沢 今まで以上に親たちが将来の安定のために教育的なことを先行するようになります。子どもに「ある」を提供するよりも「する」「できる」を求めてしまう。親はただ子どものそばで自分を差し出す存在であってほしいのですが。

 佐藤 多くの母親が出産後も働きます。芹沢さんの養育論は「三歳になるまでそばにいるべきだ」という神話のようなプレッシャーになりませんか。

 芹沢 子どもの目から考えると最初の受けとめ手が自分を産んだ母親なら幸せです。でも、父親でも祖父母でもいい。家庭にいないなら児童養護施設の職員らがなる。肝心なのは受けとめ手が自分のためにのみ存在すること。でも親たちをみていると時代精神もあるでしょうが、自分本位が強くなるようで…。

 佐藤 といいますと。

 芹沢 最近は二、三歳児の親から「子どもとの関係がよくない」と相談される。優先順位が逆なんですね。子どもが呼んでいるのにスマホを見ていませんか。これって親がいるのに受けとめ手がいない不安な状態。

 佐藤 子育てはつい善悪の物差しで語られがちですが、直面している問題を自覚できるような助言があればと思います。

 芹沢 子どもは不安になると親の足元に寄ってくる。受けとめ手と一緒につくられる「ある」という感覚は信頼や対人関係の基盤になる。養育の課題は不安を退け、「ある」という感覚を育てることに尽きると思う。

 佐藤 失敗するとダメな人間で、何かができてはじめて自分の存在が認められるような価値観に私も影響を受けています。

 芹沢 植松容疑者の親は教師で彼も障害児らの養護教諭を目指していたそうです。これは推測ですが、彼が教員試験にたった一度失敗しただけで、入れ墨を入れるほどに自分を追い詰めたのだとしたら、私はその自我の弱さに、親から受けとめられた体験の乏しさをみてしまう。彼はダメな自分が社会から処分対象になったとおびえたのでは。そのおびえに負けて優生思想という一種の自己愛主義に走ったのではないでしょうか。

 佐藤 「する」「できる」に偏る価値観が優生思想の土壌に吸収されたということですか?

 芹沢 私たちの内なる敵は「する」が「ある」に先行した人間観や考え方です。これを転換させることなしに事件の再発は防げない。ところで、私たちの養育論は無力ですが高齢者介護にも生かせますよ。

 佐藤 え? 子どもだけでなくお年寄りにもですか。

 芹沢 年を取るとできなくなることが増えますね。社会や家族の片隅に追いやられ孤独になったとき、その孤独を受けとめてくれる受けとめ手がいれば、それだけでうれしい。安心して「ある」の感覚が生まれるから。自分に対する「存在への敬意」を感じられたら人は生きられる。モノなんていらない。

 (佐藤直子・論説委員)

 <せりざわ・しゅんすけ> 1942年、東京都生まれ。98年から児童福祉に関わる有志と「養育を語る会」を主宰し、2014年に議論の集大成となる『養育事典』を刊行。『子どものための親子論』『家族という意志』、秋葉原無差別殺傷事件を考察する『愛に疎まれて』など著書多数。

 <相模原事件> 相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で昨年7月、入所者19人が刃物で刺殺され、27人が重軽傷を負った。逮捕された元施設職員の植松聖容疑者は犯行を予告するような手紙を衆議院議長に届け、障害者差別ともとれる言動を繰り返していた。国の検討会では措置入院の判断や解除後の支援、警察などとの連携の不十分さが指摘された。

 

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