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メモリー・フリー 忘れられる権利

 忘れてほしい。でも忘れてもらえず拡散する。インターネットが生活に密着した現代。画面から消せるなら消してほしい情報があるだろう。新しい概念、忘れられる権利について考えた。

◆国民的な議論が必要 中央大准教授・宮下紘さん

宮下紘さん

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 プライバシーを人は忘れます。でも、インターネットは忘れません。「忘れられる権利」という言葉は二〇〇九年、フランス国内の法案解説で初めて使われました。二十一世紀の権利。そして欧州発祥の権利です。欧州連合(EU)の最高裁にあたる欧州司法裁判所は一四年、この言葉を使い「情報が(1)不適切(2)無関係(3)もはや関連性がない(4)過度−なら、ネットから消すことができる」と認めました。

 検索エンジンによる拡散を防ぎ、ネットの世界から忘れさせる内容です。判決後、グーグルでは百八十万件のURLが対象になり、その43%が消されました。ヤフーは件数は未公表ですが、削除基準を公表しています。プライバシーを守ることが欧州の伝統。ナチスがユダヤ人の個人情報を乱用した歴史を反省する意味もあります。

 それに対して、米国では「忘れられる権利」の議論が起こらないほど「表現の自由」が強くて「真実をネット上に公表することを止めるのは表現の自由を侵害する」という伝統があります。米国ではネット検索での自由が保障されていれば、それは表現の自由だという考え方です。

 日本では、下級審での意見が割れ、最高裁で係争中の事案がいくつかあります。さいたま地裁は一五年十二月に「社会から忘れられる権利を有する」と以前の児童買春で逮捕された報道を検索エンジンから削除するよう命じました。それが一六年七月の東京高裁では「忘れられる権利はわが国で法律上明文根拠がない」とひっくり返りました。上告され、今度の最高裁決定が統一判断になります。二者択一の判決にはならないのでは。ネット時代に表現の自由とプライバシーのバランスをどうはかっていくのでしょうか。

 「忘れられる権利」は、犯罪報道に関連する問題に限られません。SNS全体の問題として広くとらえてほしいです。ネットを使う人全てに関係します。未成年時代の飲酒写真をついうっかり載せてしまい、就活に影響することもありえます。「ウェブは忘れない」という現実はしっかり理解しておくべきですが、万一の場合、私は特に未成年者には認めて良い権利だと思います。

 新しい概念です。どんな場面やケースが考えられるかは、国民的な議論で皆さんに考えてほしいと思います。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <みやした・ひろし> 静岡県生まれ。内閣府個人情報保護推進室勤務やハーバード大ロースクール客員研究員などを経て現職。専門は憲法、比較憲法、情報法。『プライバシー権の復権』など著書多数。

◆適切な処罰が前提に 性被害サバイバー・卜沢彩子さん

卜沢彩子さん

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 インターネットの特性を考えると「忘れられる権利」が必要となる局面は、いろいろあるように思います。発信がこれだけ手軽にできるのに対し、つりあわないほど重い結果も生じるのがネットの世界ですよね。

 私は昨年、自分のブログを移転して、昔書いたものをそのまま削除しました。問題があったわけではありませんが、何年も前の記事は今読むと、言葉が足りないと感じたり、考えが変わったりしている部分があったからです。ただ、一度アップした情報は、意図しない形で残ることがあり、時として思わぬ使い方をされてしまいます。

 たとえば私はブログで、性被害の体験も記しています。実態がどういうものかを伝え、周囲の人が無理解によって被害者をさらに傷つける「セカンドレイプ」の状態になることを少しでも減らしたいという思いからです。でも意図とは正反対に、ネット掲示板に無断でリンクを張られ、ポルノのように扱われているのも目にします。

 また、女性が性被害に遭うと「被害者にも落ち度があった」などと言われがちです。事件とは直接関係のない過去のSNSなどの書き込みを掘り出し、落ち度探しの材料にされることもあります。自分に関するネット上の情報をもう少しコントロールできるようになれば、対処がしやすいかもしれません。

 「忘れられる権利」は一方で、加害者の更生にとっても、必要だと思います。きちんと罪を償って更生した後は、加害の情報を消し、社会復帰しやすくすることも、認められるべきだと私は考えています。けれど、その前提として、適切な処罰と更生のシステムが必要なはずです。現状でそこがしっかり機能しているようには思えません。

 性犯罪は、裁判で立証しづらい部分も多く、認められてもほとんどの場合、被害者にとって「軽すぎる」と感じる刑罰しか科せられません。十分に罪が償われたと思えない状態で記録が消されてしまうのは、とても納得できるものではないでしょう。

 被害後の心理には、さまざまな段階があり、人によって異なる感情があります。私の場合は、許させてほしいのです。加害者が真に自分の罪の大きさを認識し、償いたいと思い、繰り返さなくなること。「忘れる」ことを認めるべきだと断言できる社会の状況になることを望んでいます。

 (聞き手・中村陽子)

 <うらさわ・あやこ> 1987年、埼玉県生まれ。自身の体験をもとに性暴力をなくす活動に携わる。NPO法人「しあわせなみだ」副理事を経て、現在は「A−live connect」代表。

◆「記憶の義務」も大切 哲学者・東京大教授・高橋哲哉さん

高橋哲哉さん

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 「忘れられる権利」で問題になっているのは過去の犯歴です。被害者は忘れられることを望まないかもしれませんが(逆に被害者の方が望む場合もあります)、刑に服し、社会的に罪を償った人の犯歴が永遠にさらされるのは問題です。それに犯歴は完全に忘れ去られるわけではありません。しかるべき場所に記録され、必要とルールに応じて開示されうるのですから。

 「表現の自由」の観点から、この権利に消極的な意見もあります。しかし、これはインターネットが盛んになった現代社会特有の問題です。バッシングとして個人情報をネットにさらすことが行われる時代に、「表現の自由」の名でどんな言説も許容してよいのか。ヘイトスピーチもそうですが、個人の身体への脅威につながるような言説は法的に規制するのもやむを得ないと考えます。

 ネットは記憶のあり方を変えつつあります。記憶はもともと肥大化や変化をするものですが、ネットにはフェイク(捏造(ねつぞう))の情報があふれている上、利用者も自分の都合の良いものばかりを見る傾向があります。先入見を補強する情報ばかりを好んで見る結果、デマが真実の記憶として流通しかねない。

 懸念されるのは、歴史学者などが学問的手法で確定してきた「事実」というものが、社会的記憶のレベルでは影響力を失ってきていることです。ポピュリズム、ナショナリズムが激化しやすい時代になってしまった。

 こういう時代に大切なのは「記憶の義務」かもしれません。忘れてはならないことがある。例えば、3・11の津波の記憶であり、原発事故の記憶です。二度と繰り返さないよう、犠牲になった人々の無念の思いを記憶し続けること。

 問題は、記憶をどう意義づけるか。被害が起きた責任を問い、再発防止の対策を取るなどして、被害の記憶を社会的に共有する必要があります。さもないと、記憶は対立をもたらすために繰り返しよみがえってきてしまうでしょう。

 そういう喪の行為をどう行うか。何を記憶し、何を忘却するか。それは、誰が何を、どういう意思で、どういう文脈で主張しているのかで、結論が変わります。戦争犯罪の問題がそうですが、そういう文脈を抜きに、記憶と忘却を一般論で論じるのは危ういことだと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たかはし・てつや> 1956年、福島県生まれ。南山大講師などを経て現職。『記憶のエチカ』『靖国問題』など著書多数。近著は、作家・辺見庸さんとの対話をまとめた『流砂のなかで』(河出書房新社)。

 <忘れられる権利> インターネットの上に残る不都合な個人情報を検索できないよう求める権利。「拡散」「炎上」で侵害されたプライバシーを救済するため、グーグルやヤフーなどの検索エンジンから、ネット上の個人情報を削除してもらうよう、検索事業者に要請できる権利。定義は、論者によって異なる場合がある。

 

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