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考える広場

私には夢がある

 穏やかな年明けとなった二〇一七年。昨年は「分断」や「格差」が表面化したが、今年はどうなるか。先が見通せないせいか、日本は他国に比べ、未来に希望を持つ若者が少ないという。そんな現実から物語を紡いできた映画監督二人に「夢」の在りかを聞いた。 

◆穏やかに暮らせる国 映画監督・山田洋次さん

山田洋次さん

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 僕にとって一番の夢は、こんな暮らしです。

 お父さんは日が暮れると家に帰ってくる。子どもたちに迎えられて。お父さんは着替えます。着物に。子らはおなかをすかせて待っている。お父さんはちゃぶ台に座って「さあおあがり」と。子らは「いただきます」と、がつがつ食べる。

 「きょう、こんなことがあったの」と子ら。お父さんは難しい顔で聞いている。日曜日はお父さんは家にいて「映画を見に行くか」と子連れで行く。お父さんが転勤すれば、子らも引っ越す。日が暮れるまで外で遊びほうけて、お母さんにしかられて帰ってくる。そんな穏やかな暮らしができるような国であることが僕の夢です。

 それが、僕の映画の根底になっているかもしれない。寅さんは時々、望郷の念で帰ってくるけれど、安定した暮らしに耐えられず、結局はじき飛ばされていなくなってしまう。映画を作りながら、幸せな家族って何だろうかと僕は夢見ていた。家族が穏やかであるためには、安定をかき乱す人間がいても仕方ないんじゃないか。帰ってきたら優しくしようね、と言っていても帰ってきたらけんかになり…。その繰り返しも含めて、平和な家族があると思います。

 今の日本人の多くはそんな生活ができていないんじゃないでしょうか。寅さん映画を作り始めた昭和四十年代は「核家族」のはしり。高度成長でお父さんたちは忙しくなる。受験競争で教育費がかさみ、お母さんもパートで働く。家の中はきれいになりますよ。リビングルームにテーブルと腰掛けでご飯を食べ、エアコンや車を買って。その代わり、家族そろって晩ご飯を食べる暮らしが、ぜいたくと引き換えに消えていきました。

 トラブルが多いほど、家族や近隣の関係は練れていきます。寅さんは、隣のタコ社長とけんかしても、たちまち仲直りする。傷ついた人間関係を修復する技術を知っていたのです。今の日本人はそれが分からなくなってきている。いったんひびが入ると永遠に直らないというのかな。関西のマンションで、子どもに声を掛けると不審者に間違えられる可能性があるから「あいさつをやめましょう」と提案があったとか。破壊された地域、家族を象徴しています。

 近作の「家族はつらいよ」では「口で言わなくたって分かる」という父さんと「言わなけりゃ分からない」と言う母さん。彼は最後に「おまえと一緒になって良かったよ。ありがとう」と言って二人の関係が変わった。こうした面倒くさい過程をへて家族は強固になっていく。それを取り戻すのが夢ですね。

 年配者にも夢を。八十五作目になる今度の映画「家族はつらいよ2」(五月公開)は、父さんの運転免許の返納から始まります。父さんは「絶対嫌だ」と。大げんかになります。自動車各社は、老人が運転しても安全な装置を考えるべきでしょうね。年寄りにとって免許を持ち続けることは夢でもあるのです。

 毎日が苦しくて夢を持てない人もいます。でも、人間、何かあるから、何とかなるから生きているのです。寅さんはおいの満男に「人間は何のために生きているのかな」と問われ「ああ生まれてきて良かったなあって思うことが(人生で)何べんもある。そのために生きているんじゃないか」と答えました。

 大切に毎日を暮らせば、幸せな瞬間は向こうから来ます。詩人・吉野弘さんに「夕焼け」という作品があります。電車の中で立て続けにお年寄りに席を譲る娘さん。三人目には譲れず、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにした彼女を見た幸福を描いた詩です。ぜひ読んでみてください。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <やまだ・ようじ> 1931年、大阪府生まれ。東京大卒。54年松竹入社。全48作の「男はつらいよ」シリーズや「家族」「故郷」「母と暮せば」など計84作を監督。2012年文化勲章受章。

◆人が「つながる」社会 映画監督・呉美保さん

呉美保さん

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 十代のころ、私には夢はなかった。漠然とであれ「これになりたい」というものがありませんでした。ただ、今の私の出発点として、中学二年の夏休みの映画体験があります。

 終戦記念日でした。風呂から出たら、テレビで第二次大戦中が舞台の映画が放送され、母親が一人で見ている。チャンネルを変えようとしたら「今、見てるから!」。渋々見始めたら、映画が終わるころにはすっかり感情移入していました。

 篠田正浩監督の「少年時代」。田舎に疎開した東京の子と、地元の子どもたちの触れ合いを描いた作品です。最後、主人公が東京に帰るため汽車に乗る。外を見ると、がき大将で嫌われていた子が横を追い掛けて来る。主人公は必死に手を振り、がき大将の名前を呼ぶ。そこで井上陽水の「少年時代」が流れるんですよ。もう涙が流れて。

 それまで自分のことでしか泣いたことがなかったのに、初めて別のこと(映画)に心を動かされ、涙を流している。ふと隣を見ると、母も泣いていました。それで思ったんです。私も人の気持ちを動かしたいって。翌日から家族に手紙を書いたり。家の廊下に掲示板を作って、「皆さん、今日もいい天気ですね」なんて書いたり。

 この体験もあって、大学では映像学を専攻しましたが、映画監督になろうなんて気はありませんでした。監督になる人って二つのタイプがある。監督になりたいと言ってなる人と、物を作りたいと言ってなる人。どっちがいいかではなくて、私は作って伝えたい方。だから、大学で仲間と映画を作った時も監督ではなかった。実は、会計係でした。

 今こうなれたのはたまたま、というところもあります。大学四年の時、就職できなくて大学に残ろうと思ったら、研究室にいろんな映画コンクールの募集が来ていた。大林宣彦監督が主宰していた北海道の映画祭の「ビデオ大賞」に、撮りためていた祖父の映像を編集して送ったら入賞。それをきっかけに大林監督のスクリプター(記録係)になって、映画の世界に入りました。その後、フリーのスクリプターになったら、たまたま仕事が一カ月空いた。頑張って書いた脚本がサンダンス・NHK国際映像作家賞を受賞。この賞は脚本を自分で監督できるため、監督になれたんです。

 たまたま映像という体験があったからそこに結び付いたけど、映画じゃなくても良かったのかもしれない。一番は人に喜んでもらいたいということ。ある意味、周りの人に流されて、ほだされてやってきたのです。

 日本は将来に希望や夢を持っている若者の割合が他国より低いということですが、自分の過去を振り返ってもそうかなと思う。でも、日本には日本の良さがある。ずけずけ自分の主張を押し出さず、周りが見られる。

 映画「きみはいい子」で描きたかったのは、幸せに一番必要な「つながり」がない人たち。そういう人がどうやったら報われるか? 血がつながってなくていい、隣に誰かがいること。日本人は「大丈夫?」って誰かを見守ることができると思う。

 「つながり」への夢は、子どもが一歳半の今、さらに強くなっています。私の親は遠方で育児への協力は望めません。だから、近所のおばちゃんたちが勝手に家に出入りして「私がやってやるよ」と手助けしてくれるような関係を夢見ます。でも逆に、今は大人が街を歩いている子どもに話し掛けることさえ駄目みたいな時代。犯罪の予防ということですが、子どもの心を狭くし、人と人の関係を閉鎖的にしています。もう少し開けていくといいなあ。

 (聞き手・大森雅弥)

 <オ・ミポ> 1977年、三重県生まれ。大阪芸術大卒。2006年に「酒井家のしあわせ」で監督デビュー。14年に「そこのみにて光輝く」でカナダ・モントリオール世界映画祭最優秀監督賞。

 <若者の将来像> 内閣府が2013年度に実施した各国の若者の意識調査によると、「将来に希望がある」と答えた若者の割合は日本で61.6%にとどまった。米国、英国、韓国など他の6カ国は8割を超えており、ずぬけて低い水準。日本の若者は自分への満足感も低いことが関係しているとみられる。特に、非正規雇用の若者で満足感が低く、現在の雇用形態の影響が大きいようだ。

 <2016年の重大ニュース(本紙選定)>

 国内 (1)天皇陛下が退位の意向(2)米大統領が広島訪問(3)熊本で2度の震度7(4)相模原で障害者殺傷事件(5)参院選で改憲派が3分の2超える

 海外 (1)トランプ氏が大統領選で勝利(2)英国がEU離脱決定(3)韓国大統領を弾劾(4)各国でISテロ(5)北朝鮮が核実験強行

 

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