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米大統領選と草の根民主主義 青木睦論説委員が聞く

 米大統領選は十一月八日の投開票が迫ってきました。有権者は一票をどう行使するのでしょうか。海野素央・明治大教授は民主党のクリントン陣営のボランティアとして全米十一州を回り、うち十州で三千軒以上の戸別訪問をしました。海野氏に米社会の草の根の声を聞きながら、米国流民主主義の在り方を考えます。

◆ジレンマ抱く有権者 明治大教授・海野素央さん

海野素央さん

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 青木 戸別訪問は買収などの不正行為を招き、選挙の自由・公正を害するとして日本では禁じられています。米国では戸別訪問がどんなふうに行われているのですか。

 海野 米国では戸別訪問はコミュニケーションの場であり、他者を説得する機会です。主力となるのは体力のある高校生や大学生のボランティア。若者は自分が支持する政策と自分が信じていることを自分の言葉で伝える。そして有権者の意見を拝聴しつつ説得を試みる。戸別訪問は若者が政治参加できるシステムです。インターンシップ制になっているので、戸別訪問で学校の単位が取得できます。

 それでも戸別訪問は訪問販売と間違えられてうさんくさく見られがちです。そこでクリントン陣営は戸別訪問研修の際に、こう指導しています。「戸別訪問は憲法修正第一条によって保障されている表現の自由であることを認識してほしい」と。

 それを聞いて私は考え込んでしまいました。日本も憲法二一条で表現の自由は保障されているが、公職選挙法一三八条で禁止されている。憲法と公選法のどちらが上なんだろうか、と。

 青木 クリントン陣営は組織力による「地上戦」で勝ります。戸別訪問で工夫している点はありますか。

 海野 有権者には「あなたの一票に頼ってもいいですか」と尋ねます。そう聞かれたら有権者は「自分は頼られているのか」と責任を感じるんです。これは二〇一二年の大統領選でオバマ陣営が行ったやり方です。「クリントンに投票しますか」なんて下手に聞けば、有権者に「そんなことあんたの知ったことじゃないだろう」と言われるのがおちですから。

 青木 共和党候補のトランプ支持者宅も訪ねたでしょうが、反応はどうでした。

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 海野 この八、九月に首都ワシントンに近いバージニア州フェアファックス市で戸別訪問をしました。クリントン陣営の帽子、Tシャツを着用して回ったのですが、戸口に現れたトランプ支持者に「おまえは犯罪者の味方をするのか。出て行け!」といきなり怒鳴られました。クリントン氏は国務長官在任中、私用メールアドレスを公務に使い、扱ったメールには機密情報も含まれていた。トランプ支持者は国の安全保障を危うくした犯罪者だと見なしているわけです。

 それとクリントン氏を「エスタブリッシュメント(既得権益層)」とする批判も強い。

 青木 クリントン、トランプ両氏とも不人気です。好感度の低い者同士の対決を有権者はどう見ているのですか。

 海野 私は一二年の大統領選でもオバマ陣営のボランティアとして同じフェアファックス市で戸別訪問をしました。会った人たちはオバマ氏と対抗馬の共和党・ロムニー候補のどちらを支持しているかを進んで語ってくれました。ところが、今回は全く様子が違います。

 ある中年女性は「悲しい選挙です」と言いだしました。これほど話題満載の選挙はないのに、どうして悲しいのか? その人は「クリントン家が再びホワイトハウス入りすることを望んではいない。第三政党に投票しようか考えているが、そうするとトランプを利することになる。大きなジレンマを抱えています」と説明しました。

 別の女性も「トランプが主張する国境の壁建設には反対だ。一方、クリントンはシリア難民受け入れを主張しているが、テロリストが忍び込む危険があるのでこれも反対だ。ジレンマに悩んでいる」と言ってました。

 二人とも無党派層のようでした。両候補とも嫌だが、当選する見込みのない第三政党に票を投じて死に票にしたくない−。そんなジレンマにいる無党派層は多いですね。

 戸別訪問をして無党派層の顔を見た思いです。勝敗の行方を握るのは、決めかねている無党派層です。彼らの葛藤を解くことができた候補が勝つでしょう。

 青木 今回の大統領選では専門家やメディアの予想が外れてばかりです。ラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる中西部ミシガン州で三月に行われた民主党予備選では、事前の世論調査で20ポイント以上もあった差をひっくり返してサンダース上院議員が勝利。「世紀の番狂わせ」と言われました。

 海野 そのミシガンでも、民主党支持層である労働組合員に的を絞った戸別訪問をしました。ところが、一軒目ではトランプ支持者に怒鳴られ、二軒目は共和党のクルーズ上院議員の支持者でした。三軒目はサンダース支持者。クリントン支持者がなかなか現れなかった。トランプ、サンダース両陣営の環太平洋連携協定(TPP)反対の主張が浸透していましたね。

 世論調査と言えば、八月に米有力紙がサンダース支持の若者を対象に、クリントン氏に投票するかどうかを調査しました。72%が「イエス」と答えましたが、これも私が戸別訪問した実感とは大きな乖離(かいり)があります。

 青木 サンダース支持の若者を取り込めるかどうかは、クリントン氏には大きな課題です。

 海野 ところが、サンダース支持者はクリントン陣営に応援に来ないのですよ。陣営は中高年が多くて若者が足りないので、労組員を使ってます。ですが運動に熱が入ってませんね。

 あるサンダース支持の青年が「クリントンが大統領に就任し、共和党と組んで超党派でTPPを批准する−。これが私にとって最悪のシナリオだ」と言ってました。クリントン氏を信用していないのですね。

 青木 一方、メディアへの露出やネットを通じた「空中戦」が得意なのがトランプ氏です。

 海野 戸別訪問をしているトランプ陣営の運動員に私が出会ったのは、サンフランシスコ(カリフォルニア州)で一回だけです。陣営の足腰は弱いですね。

 無党派層のトランプ支持者が「トランプは職業政治家ではない。だから政策を詳細に語る必要はない」と言ってました。これはトランプ氏には大きな利点です。クリントン氏がいくら政策論争を仕掛けても得点にならないのです。

 無党派層は評価する点がメディアや専門家とは違うのです。彼らはまず候補者が本物かどうかを判断し、次に情熱的かどうかを見る。トランプ支持者はトランプ氏がまがい物ではない本物だと見なしているのです。「トランプはアメリカンドリームを実現した成功者だ」と。

 青木 異端児のトランプ氏によって共和党は大混乱です。

 海野 ある意味、それはトランプ氏の功績です。トランプ氏は置き去りにされた白人労働者層にとって救世主です。党主流派は労働者層を票としか見ていなかった。共和党は体質を改めないと、生き残れないかもしれません。

 <うんの・もとお> 1960年、静岡県生まれ。明治大卒。専門は「異文化コミュニケーション論」。研究のため2008年と12年の米大統領選でもオバマ陣営でボランティアを務め、戸別訪問に携わった。著書に「オバマ再選の内幕−オバマ陣営を支えた日本人が語る選挙戦略」(同友館)。

 <米国憲法修正第1条> 1787年に制定された憲法に、人権保障の規定となる「権利章典」として、修正第1条から10条までが、1791年になって追加された。第1条は国教樹立の禁止、信教・言論・出版・集会の自由、請願権を規定している。一方、日本国憲法第21条第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。

 

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