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考える広場

ポケモンGO、その先に

 ポケモンGOの日本上陸から二カ月。大ブームは少し沈静化したが、スマートフォンを手にした「探検家」たちは今も町にあふれている。このゲーム、私たちの未来にどんな獲物をくれるんだろうか。

◆みんなをハッピーに 歌手、女優、タレント・中川翔子さん

中川翔子さん

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 もめ事や争いが多い今、「ポケモンGO」によって地球全体が「ポケモンが楽しい、好き」という気持ちと笑顔でつながるようになったことは、人類の歩みの中でもかつてないことで、教科書に載るような出来事だと思います。大人になっても楽しむことや遊び心を持ち続けていいんだよということが国や世代を超えて広まった気がします。

 ポケモンGOの魅力は、子どものころの「ポケモントレーナーになりたい」という夢をリアルにかなえたという点ですね。スマホの画面を通じてだけど、現実にポケモンがそこにいて、それを捕まえ、育てることができる。しかも、出てくるポケモン約百五十匹は初代のゲームに出てきたもの。新しいポケモンがいっぱいいるのに。懐かしいという気持ちを揺さぶられて、子どもだけじゃなくて大人も夢中になっています。「こうやって夢がかなうなら、長く生きることも悪いことじゃない」と思えます。

 すてきなことに、時間やお金をかければかけるほど強くなるということにしないで、みんながハッピーにやれることを一番に考えてくれています。ポケモンGOのアプリをダウンロードするだけなら無料。一部アイテム(ゲーム内で使える道具)を販売していますが、そんなに課金しなくても十分楽しめる。優しいなあと思います。

 ゲームに関して「現実逃避」と批判する方が昔からいます。しかし、私は子どものころから、ゲームからはイマジネーション、夢、こつこつ努力する喜び、達成感といった良いことしかもらっていなくて、感謝の気持ちしかありません。楽しんだり夢中になったりできるのは人類の特権だから、全力で遊ぶべきだと考えています。

 それにゲームは、音楽を聴いたり、パッケージのロゴを見たりしただけで、昔の光景がよみがえってくるんです。私にとって、そういう記憶が未来への背中を押してくれたんです。特にポケモンGOは一人ではなく、みんなでやっていますから、今の瞬間、みんなと時間を共有したことがそれぞれの心に記憶として刻まれていくでしょう。

 私もポケモン映画の声優を十年やりました。落ち込んでいる人の心に刺さる思い出。その中に何か輝きを添えることができるお仕事の中にいられたというのは本当に幸せです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <なかがわ・しょうこ> 1985年、東京都生まれ。ゲームやアニメなどへの愛情と知識を生かし、多方面で活躍。今年は舞台に初挑戦し「ブラック メリーポピンズ」などでヒロイン役を好演した。

◆社会に目覚める道具 関西学院大准教授・鈴木謙介さん

鈴木謙介さん

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 ポケモンGOがブームになって、さまざまな可能性や影響が見えてきました。一つは、ビジネス面の可能性です。スマホの新しい使い方の扉を開いたように思います。これがプラットフォームとなって、娯楽が広告や集客などと結びつく可能性が広がりました。例えば、ある店で商品を購入するとゲームで使えるアイテムが手に入るという形での販売促進など、ビジネスへの展開です。

 もう一つは、公共の空間への影響です。夜中に公園に集まったり、神社や戦跡など厳粛な場で遊んだりといったことが起きている。これをどうするか。社会全体で考える必要があると思っています。今起きているのは、若い人がスマホで特殊なことをしているという話ではありません。公共空間のTPO(時間、場所、状況)をスマホの画面の情報が超えてしまっているという新しい事態です。

 今私たちが生きている現実空間には、外からさまざまな情報が入ってきます。ありふれた例では、ある人と話し合っている最中にも、携帯電話にはメールや通話が入ってくる。私はこれを「多孔化した現実」と呼んでいます。たくさんの孔(=穴)を通じて情報が入ってくる。穴が開いていることを前提に、今の時代にふさわしい公共空間はどうあるべきか。ポケモンGOは、それを考えるきっかけになると思います。

 そこでは「どんどん穴を開けて情報を取り入れろ」でも、逆に「穴を全部ふさげ」でもないバランスが取れた議論が必要です。開けなければいけない穴、開いているとうれしい穴があるはずなのです。例えば、広島の平和記念公園でのポケモンGOを禁止するのでも放置するのでもなく、遊んでいる人たちに原爆投下の事実を紹介し、黙とうを求めるメッセージを流すことも可能だと思います。

 ポケモンGOにはユーザーの行動を促す力がある。これによって、今まで注意をしてこなかったものに意識が開かれることもあり得ます。例えば、東京の新大久保にポケモンを探しに行ったらヘイトスピーチに出くわした、というような。結果的に、今まで意識しなかった社会の多様性に目を開かれるかもしれません。IT(情報技術)は今、パーソナル(個人的)な面に使われていますが、本来、ソーシャル(社会的)なものなのです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <すずき・けんすけ> 1976年、福岡県生まれ。2009年4月から現職。専門は理論社会学。『ウェブ社会の思想』『ウェブ社会のゆくえ』(いずれもNHKブックス)など著書多数。

◆僕は食うために捕る サバイバル登山家・服部文祥さん

服部文祥さん

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 夏は釣りざお、冬は猟銃を持って長期間、山に入ります。時計は持ちません。太陽の位置とコンパスで時刻を読みます。コメや調味料は持参し、タンパク源は現地調達です。僕は、獲物を食べるために捕る。おいしい。あしたも山に登るエネルギーになる。それがポケモンGOとの決定的な違いでしょうか。

 夏の獲物イワナでも、冬に撃つシカでもそうなんですけど、前後から合わせ鏡のように自分を映し出す。自分が食べるため、生きるために殺す。不思議な矛盾があります。自分の命を優先させている。なぜそれが許されるのか。「自分とは何か、世界とは何か」を考えて悩みます。答えは出ない。獲物が自分を映す鏡に見える。捕った喜びと「命とは何か」という問い掛けと。自分の表の面と裏の面を両方映されちゃう感じです。

 全員がそんな本物の獲物を追いかける社会じゃないですからね。僕はポケモンGOもスマホもやりませんが、面白いのなら、やるのは自由ですよね。面白さというのは、本能のようなものに刷り込まれている。宝探しやカード集めは、狩猟採集の喜びとほとんど同じかも。それが携帯でできれば、見ながらフィールドへ出て「あっ、いた」みたいに面白いのでしょう。

 ポケモンGOでものを探す喜びを知って、「食べるための獲物」の世界に入ってくる人が1%でもいれば、自信を持って「本物は楽しいよ」と言える。簡単には勧められませんけれど。リスクが大きいので。ライバルというか、仲間が増えると僕の獲物が少なくなりますし。

 やっぱり似て非なるものですかね。サバイバル登山とスマホを持って公園に行くのと比べるのは。登山はリスクを自分で受け入れて、正しく理解して、その上で何かを成し遂げたいと思って行くわけです。

 下界の自宅では、鶏五羽とイヌ、ネコ、西洋ミツバチとか飼っています。ミツバチは先日、スズメバチに襲われて三千匹ぐらいやられました。生きものを飼うって手間がかかります。死んじゃうことも、怒って飛び掛かってくることもある。ゲットしてボールに入れておけば持っていられるのとは違う。

 僕は社会から出て山へ行き、登山道から外れてさらに奥を歩いています。ポケモンGO、面白ければやるべし。でも僕は本物の獲物を追います。食べるために。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <はっとり・ぶんしょう> 1969年、神奈川県生まれ。96年カラコルムK2登頂、同年「岳人」編集部に参加。著書に『サバイバル登山家』(みすず書房)『百年前の山を旅する』(東京新聞出版部)など。

 <ポケモンGO> スマホなどで遊べる拡張現実(AR)型のゲーム。カメラと位置情報機能を使い、画面中の現実の風景に登場するポケモンを捕まえたり、図鑑に登録したりできる。駅ホームでの「ながらポケモン」や、自動車運転中のプレーで交通事故が起きるなど社会問題化する一方、池に落ちた高齢者を発見、救助したグループも。

 

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