トップ > 特集・連載 > 考える広場 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

考える広場

パラリンピックを前に

 五輪の熱気がさめやらないブラジル・リオデジャネイロで七日から、パラリンピックが始まる。開幕を前に、障害者スポーツの抱える課題と、大会のみどころを三人に語ってもらった。

◆同じ出発点、用意して アテネ大会出場のパラアスリート・鈴木ひとみさん

鈴木ひとみさん

写真

 今、取り組んでいるのは射撃とカーリングです。モデルの仕事をしていた三十二年前、事故で車いす生活になりました。当時はバリアフリーという言葉も存在せず、障害者スポーツは、車いすのバスケか陸上しかないというような時代でした。

 一年七カ月間の入院中、自分の将来が不安になって、誰も来ない病院のスロープを車いすでひたすら走りました。それで陸上競技をやって、国内大会で優勝し、英国で国際大会に出て、スラロームが「金」など四個のメダルをとりました。二〇〇四年のアテネ・パラリンピックには、射撃で出場しました。

 障害者スポーツの裾野は広がってきましたが、まだハードルがあります。車を運転できるか、公共交通機関でも良いのですけど、会場へ一人で行って一人で帰らなければならない。インフラも違います。大都市と地方で。欧州と比べて、北欧の方が進んでいると言う人がいますけど、東京の方が上。移動のしやすさが、大いに関係します。

 家族の理解も必要。反対されてまでやりたいのかとなると、ちょっと。私は「もうモデルには戻れない。私の目標は専業主婦になることかなあ」と考えていました。でも、夫は「仕事を持つことがひとみの喜びだ」と私に大きな期待をしてくれた。

 障害者だから保護してあげなければ、という時代ではないと思います。夢を実現させるかドロップアウトするかは、本人次第。そこで一番大事なことは、一般の人と同じスタートラインに立てることです。今は、残念ながらそうではない。インフラや社会の理解…。だから、教育が大事です。例えば、普通学級と特別支援学級の交流。教科書よりむしろ、まず一緒に過ごすことが教育だと思います。

 リオで最も注目しているのは、車いすマラソンです。障害者スポーツをリハビリととらえている向きがありますが、この競技はすごい。人間業じゃない。下りなんか時速五十キロを超えます。健常者がやって、かなうかどうか。

 座右の銘は「百年たったらみんな骨」。スポーツをやめようと思った時にこれを聞き「骨でない今、私には何ができるだろうか」と考える余裕ができました。カーリングは一八年の平昌大会を目指して頑張っています。射撃は、東京を視野に入れて練習しています。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <すずき・ひとみ> 1962年、大阪府生まれ。84年、交通事故で頸髄(けいずい)を損傷し、車いす生活に。2004年、アテネ・パラリンピックに射撃で出場。著書に『命をくれたキス』など。

◆五輪と一つにしよう 社会貢献プロデューサー・竹井善昭さん

竹井善昭さん

写真

 パラリンピックはその役目を終えたと思っています。大会が始まって五十年余。障害者をめぐる状況は激変しました。昔は障害者を働かせることが虐待で、なるべく社会に出さないでおこうとした。そんな風潮の中で障害者にスポーツの門戸を開いたことは画期的だったと思います。しかし、今や多くの障害者がオフィスで健常者と一緒に働いている。そんな時代に健常者と障害者の大会を分ける意味はあるのでしょうか。

 一九六〇年に始まったこの障害者スポーツの祭典は当初、別の正式名称があり、「パラリンピック」は六四年に開かれた東京大会の際に愛称として日本で名付けられたものです。東京で生まれたパラリンピックを二〇二〇年の東京で終わらせようというのが僕の主張です。

 今は五輪の後にパラリンピックが開かれていますが、これを統合し、同じ期間に開けばいい。例えば、健常者の種目の直後に障害者の種目をやる。もっと言えば、パラリンピックには車いすバスケット、車いす陸上など、独自の進化を遂げ、新競技と呼んでいい種目がある。そういう種目に健常者が参加してもいいと思うのです。実際、車いすバスケの場合、「日本車椅子バスケットボール大学連盟」に加盟している選手のほとんどは健常者だそうです。

 もちろん現実には統合は難しい。競技種目を減らすなど運営上の問題が起こるでしょうし、何よりも統合すると困る人がたくさんいます。貧困がなくなると、貧困に取り組んできた非政府組織(NGO)は仕事がなくなって困るというのと同じ図式です。でも、やるべきです。

 こんなふうに考えるようになったきっかけは、知的障害者の支援団体との出会いでした。支援スタッフは障害者を「特殊能力者」と呼んでいたのです。障害者は不自由かもしれないが、かわいそうな人たちではない。人間の尊厳とは、どんな人でも持っている尊重されるべき価値のこと。その価値において健常者と障害者に違いはありません。

 かつて障害者は座敷牢(ろう)に安住させられ、障害者もそれを当然と思っていました。それに対し、「いや、自分たちだって仕事をしたい、社会の役に立ちたいんだ」と外へ出て行ったわけですね。だから、障害者の皆さんはパラリンピックにも安住しないで、声を上げてほしいです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たけい・よしあき> 1957年、和歌山県生まれ。一般社団法人「日本女子力推進事業団」(ガール・パワー)のプロデューサー。著書に『社会貢献でメシを食う。』(ダイヤモンド社)など。

◆競技の迫力、心動かす NPO法人「STAND」代表理事・伊藤数子さん

伊藤数子さん

写真

 「障害者をさらし者にしてどうするつもりだ」−。十三年前のその言葉が、私の原点でした。当時、電動車いすサッカーの全国大会で会場に行けない選手がいると知り、インターネット中継を企画しました。体育館のロビーで映像を流していると、見知らぬ男性に怒られたんです。思わず、とんでもないことをしてしまったのかと震えました。

 でも、「さらし者」の意味を調べると「人前で恥をかかされること」とある。野球の松井秀喜選手の映像が世界に流れても「さらし者にされた」とは言いません。なぜ障害のある人だと恥になるのか。その男性が悪いわけではなく、社会のどこかに間違いがある。障害者スポーツがもっと多くの人に見られるようになれば、そのゆがみはなくなると思ったんです。

 以来、数々の競技を中継してきました。パラアスリートたちを間近で見ていると、「障害者」という言葉に違和感を覚えるんです。こんなにすごいプレーができるのに、五センチの段差があると前に進めない選手がいる。そんな場面に出合うと、「障害」は人でなく段差の方にあることに気が付きます。パラリンピックを観戦すれば、みんなそう感じるはずです。

 実際に東京パラリンピックの開催が決まって、環境は大きく変わりつつあります。障害者を企業アスリートとして雇用し、同僚として応援しようという機運が出てきました。ある選手が上司に嫌な顔をされながら、欠勤扱いで出場していた八年前とは大違いです。

 選手たちがスポーツ紙や週刊誌で取り上げられることも増えました。昔は情報がないから、多くの人が、義足の人や目の見えない人は別のコミュニティーの人だと感じていた。でも例えば、陸上の高桑早生(さき)選手なんて足が速いだけでなく、知性あふれたすてきな女性です。そんな彼女がたまたま中学時代に左脚を切断し、頑張って日本代表になった。私たちと同じところに暮らしている人の中から、パラリンピック選手が出たんだという意識が芽生えつつある。

 とにかく、競技を見てください。選手たちのパフォーマンスには私たちの気持ちを動かし、社会を変えていく力がある。私はいずれ、「障害者」という言葉自体がなくなる時代が来ると思っています。

 (聞き手・樋口薫)

 <いとう・かずこ> 1962年、新潟県生まれ。2005年にSTANDを設立、障害者スポーツの普及に携わる。スポーツ庁スポーツ審議会委員、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会顧問。

 <パラリンピック> 身体や知的に障害がある選手たちによるスポーツの祭典。五輪と同じ年に同じ場所で開催される。リオ大会には160以上の国・地域から4000人を超す選手(日本からは132人)が参加し、9月7〜18日に22競技でメダルを争う。公平性を高めるため、各競技には障害の程度などに応じた「クラス分け」がある。

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索