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政治的公平とは何か 桐山桂一論説委員が聞く

 「言論の自由」に危うさを覚えます。権力はこれを脅かし、コントロールしようとしてはいないか。現実に「政治的公平」という言葉が、放送メディアなどを縛り付けています。反すれば「電波停止」もありうると総務相が言及した影響もあるでしょう。公平、公正とは何か、言論法が専門の山田健太専修大教授と考えます。

◆放送の自由、制約ない 専修大教授・山田健太さん

 <桐山> アベノミクスに不満だという街角の声を放送したら、「偏っている」と首相が不満を述べたことがあります。自民党は二〇一三年と一四年の選挙前に公平・公正な報道を求めて抗議をしたり、要請文を出したりしています。今夏の参院選に、その影響はあったでしょうか。

 <山田> 放送番組で街角インタビューの数や討論番組が減ったり、政策論争について正面から番組をつくらないようになったと思います。自民党の要請文には、出演者の発言回数や時間を公平にすることなどを箇条書きにしてありました。仮想の「壁」をつくったわけです。表現の自由は、自由の中でも萎縮効果が大きいものです。ちょっとしたことで自粛、自制になりがちです。放送局への萎縮効果はあったと思います。

 <桐山> しかし、新聞も放送も基本はどんな報道も自由であって、何の制約もないはずです。

専修大教授・山田健太さん

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 <山田> 放送は制約があると言う人もいますが誤りです。憲法で保障されている表現の自由の幅が狭いのではありません。放送法の基本は、まず政府が放送の自由を保障していることです。さらに自主自律であることが前提です。そのうえで、政治的公平や多角的な論点提示など、放送人の職責として守る仕組みになっています。

 <桐山> 放送法四条ですね。

 <山田> 確かに米国では「公正原則」がありました。ただし、これは賛成意見と反対意見を同じ時間、放送するという量的平等を言うのではありません。ある見解の放送が流れた場合、アンフェアだと感じれば、対立する見解に対しても、放送の適正な機会を与えなければならないというものです。つまり反論放送する機会を確保する意味です。

 <桐山> でも、反論し合えば、議論は永久に終わりません。

 <山田> そうです。米国の公正原則は現実に合わないとして、一九八〇年代までに廃止されました。メディアが多様化して、社会全体として多角的に論点が提示されていれば公平だという考えです。日本にはあるのだから守るべきだと首相は言っていますが、日本では今でも一分一秒同じという平等の誤った解釈がまかり通っています。

 <桐山> 放送法に書かれた「不偏不党」とは、あくまでも政治から離れて独立しているという意味ですね。特定の党派性によらないという意味でしょう。

 <山田> 今、大きく変わっているのは、総務省の権益拡大と政権のメディアコントロールです。不偏不党や中立などの言葉を活用し、コントロールしようとしています。八〇年代に民放の深夜番組の性表現に対し、クレームを付けました。ただ、最初は政府も注意喚起程度でした。

 <桐山> 九三年には、民放の幹部が、日本民間放送連盟での会合で「『自民党を敗北させよう』と局内で話し合った」という趣旨の発言をし、スキャンダルとなりました。

 <山田> 政府はこれを契機に番組のいい悪いは政府が決めると宣言し、行政指導すると言明しました。同時並行的に市民のメディア批判の動きもあります。例えば八〇年代に容疑者の「呼び捨て報道」もなくなりました。九〇年代には「報道被害者」という言葉も生まれます。メディアスクラムも市民から批判されます。この流れに乗り、個人情報保護法などを政府が整えました。社会全体の自制の仕組みです。

 さらに安倍晋三首相が党幹部だった時から第一次政権にかけての二〇〇四年から〇九年の六年間に放送局への行政指導が二十一件も行われるという事態が起きました。戦後七十年間で三十二件ですから、いかに突出しているかわかります。メディアコントロールを表面化させたわけですね。しかも行政指導のやり方も、初めは法律違反を理由にしていたのが、将来放送法に反するおそれがある場合も含めるなど、大げさになっているのです。大臣名で警告や厳重注意をし、事実上の業務改善命令を出すわけです。

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 <桐山> 高市早苗総務相は二月に「電波停止」の可能性について述べました。

 <山田> 真新しいことを言ったわけではありませんが、行政介入のハードルを下げたとは言えます。ただし、従来は一つの番組だけで判断するのではなく、一週間単位の局全体で判断する枠組みでした。それを一つの番組だけでも判断すると変えました。総務省も統一見解を出して、電波停止がありうる場合を文書化しました。

 一番心配なのは憲法改正ですね。国民投票法により決められた期間内では、放送局は「憲法改正反対」という番組は作れなくなるのです。必ず憲法改正について賛成意見と反対意見と「両論併記」した番組でなければなりません。このままでは恐らく賛成と反対は番組の中で量的に等しくする、つまり同じ時間配分が求められるでしょう。

 今回の統一見解で一つの番組であってもそれが求められることになりました。政権は先を見据えて次の手を打っています。

 <桐山> 今回の参院選ではメディアの選挙報道が遠慮がちであることが目立ったことですか。

 <山田> 政党による政治活動が自由であることも目立ちました。広島訪問のオバマ大統領と安倍首相が並ぶ場面を自民党はCMとして流そうとしました。放送局は従来の政党広告のルールに反するとして断りましたが自民党は同じ内容と思われるものをインターネットで流します。政党の選挙活動だけが法的に制約がないことをよいことに情報量が莫大(ばくだい)になったのです。

 この十年間ほどの間に公職選挙法などを改正し、周到に制度を変更してきた結果です。だから、憲法改正の国民投票が決まれば、同じように政党情報がどんどんネットで流されるようになるでしょう。さらに国会でも改憲勢力が三分の二を占めています。その結果、世の中には憲法改正に賛成という意見ばかりが大量に流れることになるのです。

 <桐山> ネットでは資金力がものを言うことになります。

 <山田> 選挙中にネットで広告を出せるのは政党だけなのです。政党はオールマイティーで何でもできます。情報量に偏りができています。しかもお金のある政党ほど有利だということです。既に憲法は改正されるべきだという空気もできています。中身はともかく「変えよう」という雰囲気がある。それが大きな問題ではないでしょうか。

 <桐山> 表現の自由について、自民党の憲法改正草案では「公の秩序」を害するときは認めないと規定しています。

 <山田> 明治憲法で言論が封殺されたため、日本国憲法では例外なき表現の自由を大原則としました。しかし、市民社会も寛容ではなくなっています。本来はみんなで議論することが公益なのに、デモで道路がふさがれることが公益に反すると発想するようになっているのです。

 (桐山桂一)

 <やまだ・けんた> 1959年、京都府生まれ。2006年から専修大。専門は言論法、人権法、ジャーナリズム論。著書に『3・11とメディア』『言論の自由』『法とジャーナリズム』『ジャーナリズムの行方』『現代ジャーナリズム事典(監修)』など。

 <放送法4条> 放送番組の編集で四つのポイントを定める。(1)公安・善良な風俗を害しない(2)政治的に公平である(3)報道は事実をまげない(4)意見が対立する問題では、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする−。放送法1条では「不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と目的が書かれている。

 

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