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「核なき世界」は可能か

 七十一年前のきょう六日、広島に米国の原爆が投下された。九日には、長崎にも。五月に広島を訪れたオバマ米大統領が訴え続ける「核なき世界」は、可能なのだろうか。

◆あきらめず理想語れ 外交評論家、東海東京調査センター理事長・岡本行夫さん

岡本行夫さん

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 オバマ米大統領の広島訪問は、彼だからこそできたことだと思います。原爆投下の是非について米国内でも意見が分かれているのを乗り越えて広島に来てくれた。そして、その勇気ある行動を広島の人たちが温かく、成熟した態度で迎えました。日米関係で最後まで残っていた一番感情的な問題に両国が初めて向き合ったという意味で、まさに歴史的な出来事です。感動しました。この和解のメッセージを世界に伝えていかなければいけない。

 広島訪問の背景には米国内の世論の変化があります。若い人たちの間では、広島・長崎への原爆投下が正しかったという意見が目立って減ってきた。米国内でも「あれは良くなかった」という至極当然な結論になりつつあるのは歓迎すべきです。

 オバマ氏が「核なき世界」を打ち出したプラハ演説を聞いた時は、米国が新しい方向に向いてくれるのかと期待しました。しかし、ウクライナ問題で米ロ関係が悪化し、残念ながら基本的には変化はなかった。「オバマに幻滅した」という声がありますが、もともと演説一本で世の中が変わるとは思っていませんでした。そこを責めてはいけない。想像以上に世界の核保有国には力を信奉する勢力が強いということです。

 「核なき世界」は現実には実現が容易でない目標です。仮に米ロで核兵器削減がまとまっても、ほかの保有国はそれ以上に頑固な国ですから。では、それは非現実的な夢物語にすぎないのか。理想はあきらめることなく言い続けなければなりません。

 今、国連では核兵器禁止条約をめぐる論議が続いています。国連総会は全会一致ではなく多数決の世界なので、うまくいけば今秋にも通るかもしれない。もちろん、核保有国は反対するし、仮に通っても彼らを拘束できませんが、少なくとも「核兵器は非合法」という、多数決による国際認識ができます。その意味は大きい。

 日本は何ができるのか。この問題で日本は簡単でない立場にあります。米国との同盟による核拡大抑止戦略を安保政策の基本に置きながら、唯一の被爆国としての国民感情を基礎にやっていかないといけないからです。しかし、世界で唯一、人類の悲劇を味わった国として、どこの国よりも核廃絶の旗を振り続けるべきです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <おかもと・ゆきお> 1945年生まれ、神奈川県出身。外務省で北米第1課長などを歴任後、退官。橋本、小泉内閣で首相補佐官を務めるなど外交ブレーンとして活躍。

◆なくせぬなら使うな シンガー・ソングライター、小説家・さだまさしさん

さだまさしさん

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 僕の叔母は長崎の爆心地近くで被爆しました。爆弾の前に落とされた計測用機器が黄色のパラシュートで舞い降りるのを目撃しています。不審に思って地下室に駆け込んだ瞬間、それは「来た」と。上に戻ると、表にいたものは何にもなくなっていたそうです。修羅場ですよね。

 子ども時代に米軍の軍艦が長崎に来ました。友達の多くは米兵からチョコレートをもらっていたけど、僕は絶対もらわないぞと思っていた。戦艦を見学した時も、どこかに船を爆発させるボタンがないか探しているようなところがありました。

 そんな人間が、オバマさんが広島の平和記念公園に足を踏み入れた瞬間、ぽろぽろ涙を流した。なぜなのか、分からんのですよ。感動でも感激でも感謝でもない。体の中にある何かの扉が開いて、一つの時代が終わったっていう感じ。チョコを拒絶したあの日の僕が許されたような。

 謝罪の言葉がなかったとか、資料館での滞在時間が短かったとか、細かいことをおっしゃる方がありますが、現職の米大統領という立場を忖度(そんたく)すれば精いっぱいのことじゃなかったかな。辞めたら長崎にも遊びに来てよと思っているんです。

 「核なき世界」の実現のためには、誰かがそう言わないと永遠に変わらない。オバマさんがプラハで一石を投じたのは意味があったと思います。ただ、現実に「核なき世界」が可能かといえば、いつかはなくなる日が来ると信じていますが、今は可能じゃない。ある物をなくせっていうのは絶対無理です。そこは考え方を変えました。大事なのは、核兵器の存在という現実を認めた上で、使わせないことだと思います。

 そのために、日本はどんな役割を果たすべきか。今は唯一の被爆国というだけですね。その経験を基に新しい概念を打ち出すという責任感や意地もあまり感じられません。理想を語るスタート地点にも遠すぎるという気さえします。

 本気で核兵器を使わせないために、長崎があり、広島があると思うんですよ。こんなことになっちゃうよと。「核兵器をなくせ」はすぐには無理でも、広島、長崎の悲劇を世界に伝えることはあきらめていない。「使わないで。長崎で最後にしてね」って言い続けないと、持っている者の勝ちになってしまうから。

 (聞き手・大森雅弥)

 <さだ・まさし> 1952年、長崎県生まれ。代表曲は「関白宣言」「雨やどり」など。小説も『風に立つライオン』など多数。新作CD「御乱心〜オールタイム・ワースト〜」が9月14日、リリース予定。

◆マーシャルの傷見て 中京大社会科学 研究所特任研究員・中原聖乃さん

中原聖乃さん

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 太平洋に浮かぶマーシャル諸島。スペイン、ドイツ、日本、米国の統治をへて一九八六年に独立しました。人口五万人余、面積百八十一平方キロの島国です。米国の信託統治領だった五四年三月一日未明、マーシャルのビキニ環礁で「ブラボー」と呼ばれる米国の水爆実験があり、日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びました。

 マーシャルでの核実験はこれだけでなく、四六年から五八年までに六十七回もありました。広島に落とされた原爆七千二百発分が爆発したことになるそうです。被ばくなどで多くの人が他島や米国など海外に避難しました。二十一世紀の今もです。

 私は、九八年から何度もマーシャルへ行き、住民と一緒に生活しながら調査しています。一回の滞在で最長だったのは一年七カ月。滞在合計は二年間です。この過程で、ブラボーの水爆実験を目撃した人らに話を聞きました。

 「寝ていたら、目の中がピカリと光って起きた。強い風が吹いてきた。のどが渇いて水をどれだけ飲んでも、渇きは収まらなかった。翌日、日に焼けた感じがして、体が熱くなった。鶏や干し魚は死の灰で白くなっていたけれど、(核実験の産物とは知らず)灰を払って食べた」

 甲状腺を摘出したとか、肺がんや胃がん、脳腫瘍など、後遺症かそれを疑わせる病気が多発しました。手の奇形もありました。因果関係は不明です。米国政府からは「核実験損害基金」などの名目で多額のお金が支払われました。でも米国は核実験を公式に謝罪していません。

 マーシャル滞在中の二〇〇四年三月一日、「ブラボー」水爆実験から五十年の式典を首都マジュロで見ました。米国大使は「マーシャルの人々が、核実験を通じて、冷戦時代に自由世界を守ることに貢献されたことに、心から感謝いたします」とスピーチしました。会場の約千人は、拍手ではなく何度もブーイングして応えていました。

 「米国人はハローと言いながら近づいて、グサッとナイフでおなかを突き刺す」。マーシャルの知り合いから聞いた言葉を思い出します。「安全保障のために核実験は必要だった」と米国は被ばくに向き合っていません。核なき世界は難しいかもしれませんが、核の影響は半世紀たっても消えない。福島の原発事故にも通じると思います。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <なかはら・さとえ> 1965年、山口県生まれ。神戸大大学院博士後期課程修了。専門は文化人類学、平和学。現在、中京大社会科学研究所特任研究員。著書に『放射能難民から生活圏再生へ』など。

 <核なき世界> オバマ米大統領は2009年4月、プラハで「核兵器なき世界を」と演説し、同年のノーベル平和賞を受けた。オバマ氏は今年5月、現職米大統領として初訪問した広島でも「核兵器のない世界を」と演説した。しかし、米軍は耐用年数に達した核兵器を再編する計画を立てている。30年間で総額1兆ドルとの試算もある。

 

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