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考える広場

がんと生きる

コラージュ・赤塚千賀子

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 日本人の半数が、一生に一度は、がんにかかるリスクを背負っているという。医学の進歩で「治る病気」とも言われているが、部位や進行度によっては「死」も予感させるこの病気と、どう付き合っていけばいいのか。三人に聞いた。

◆自分を一層深く理解 作家・なかにし礼さん

 二〇一二年に食道がんが見つかりました。幸い、陽子線治療という新しい治療法が功を奏してがんは消失。その時は、がんは自分の体にあるものが顕在化したんだ、自分自身の細胞なんだと考えていました。

 ところが、昨年、再び食道にがんが確認された。衝撃でした。がんの捉え方が全く変わりました。その思いを近著『闘う力』にまとめましたが、がんというのは結局、相手を死に至らしめる暴力です。自分の中のものだから避けられない暴力性。これが何とも怖い。

 今回の再発では、最初の手術でがんが取り切れなかったものの抗がん剤が効いてがんが小さくなり、最終的に再度の陽子線治療でがんを消せましたが、そこに至るまでには死を覚悟した。だから僕は「がんと生きる」なんていう気持ちにはさらさらなれない。がんがある限りは闘わないといけないのです。

 抗がん剤がここまで効いた事例はないそうです。もちろん、医師の調合のおかげでしょうが、創作活動でエネルギーを得たことも大きかったと思う。実は、手術の後、抗がん剤がやや効いてきたという時点で、小説の連載を始めることにしたんです。当時、僕は夜ごとに病院で孤独でした。孤独と対面する中で、その影法師は「俺は小説を書いて、そのエネルギーをおまえに送ろう」と言った。小説を書いているのは創作の魂というか、創作を目的とする意志。そこからエネルギーをもらって、体は衰えていたけれど精神は活性化していきました。

 がんを美化する気は全くありませんが、自分というものをより一層深く理解する機会を与えてくれたなとは思います。それは、大量の吐血をした時でした。がんが気管支の膜を破る穿破(せんぱ)が起きたと思いました。「あと四日の命か」となった時に、今まで見たことがない景色、空気、光、違うなあ、もっとすがすがしい、禅でいうところの「空」を体感した。生でもない、死でもない、生と死をつなぐ途中の世界にいたんです。

なかにし礼さん

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 がんと闘っている人たちには、自分と対面することを楽しめと言いたい。そうすればおのずと、どう生きるべきか、どう闘うべきかということが出てくるのではないでしょうか。自分の心も体も日々変幻していくから、そこから一歩離れた自分を見いだしてほしいと思います。(聞き手・大森雅弥)

 <なかにし・れい> 1938年、中国・牡丹江市生まれ。作詩家として約4000曲を執筆。作家としても2000年に『長崎ぶらぶら節』で直木賞。現在、「サンデー毎日」で「夜の歌」を連載中。

◆専門医でも不安抱え がん研有明病院放射線治療部医師・加藤大基さん

 肺がんを手術して、ちょうど十年たちました。今は検査などは受けていません。肺がんの場合、五年間再発しなければ治っただろうと考えられています。私の場合は、1(ローマ数字の1)期という早い時期で見つかりました。

 今から十年前、東京大病院を辞めて一年後ですが、勤め先のクリニックで、年に一回のエックス線写真を自分で撮って自分で見たら、左胸に一センチぐらいの影が写っていた。何もなかった去年のと比べても、悪性の可能性が高いと思って、非常に驚いた。たばこも吸わないし、まだ三十代なのに「まさか」と。

加藤大基さん

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 がんの専門医なので、いろんな可能性を考えました。肺に最初にできた「原発」か、転移で飛んできたか。原発なら、手術などで治る確率はある程度高い。転移だと、基本は抗がん剤で、完治はなかなか厳しいということになる。検査で「悪性の原発」と分かり、手術で病巣を摘出しました。

 専門医ががん患者になったから、患者さんの気持ちが全部分かるかというと、決してそうではありません。できる場所とか進行度とか、悪性度とかで、予後の見通しが千差万別です。ただ、患者は不安を抱えながら生きていることがよく分かりました。それと、患者になると医師に遠慮してしまう。入院中、パジャマでいると、自分が弱々しくなった感じもしました。

 肺がん1(ローマ数字の1)期の五年生存率は当時で75〜80%。今はもう少し高いと思いますが、三十代前半で発症すると、四〜五人に一人は四十歳を迎えられないということ。十年前、三十四歳で発症した私は「四十歳まで生きる」のが目標でした。それを達成した時は、感慨深かったですね。

 身近なことを大切にしようという気持ちがわき、肺がんになって一年後に結婚しました。賭けというか、諸事を早めにという焦燥感がありました。相手も賭けでしたね。当時はまだ治るかも分からなかったので。今、子どもが二人います。

 歴史が好きです。『平家物語』に、平知盛(清盛の四男)が「見るべきものは見た(現代語訳)」と言って壇ノ浦に身を投げたとあります。その姿を頭に描いていて、どこまで生きられるか分からないけれど、できる範囲のことを成し遂げたいとの思いがありました。歴史の本を読むと、自分の指針、道しるべを見つけられると思います。(聞き手・小野木昌弘)

 <かとう・だいき> 1971年、愛知県生まれ。東京大医学部卒。東大病院などで放射線治療医として勤務。2006年に肺がんを発症し手術。著書に『東大のがん治療医が癌(がん)になって』ほか。

◆「命の終わり」を意識 シンガー・ソングライター、僧侶・二階堂和美さん

 今やがんは治ることも多くなりました。それでも知人ががんと聞くと、えっ、というショックは大きいです。私の祖母は胃がんで胃を半分摘出しましたが、別の病で死ぬまで再発はありませんでした。一方で、元気だった親類やご門徒さんがあっという間に亡くなってしまうということも少なくありません。

 仏教では、この世に生まれたものは必ずなくなる、そういう命を生きている、という考えが大前提にあります。でも、普通に暮らしていたらあまり意識することはありません。がんを宣告されることは、自分や大事な人の命に終わりが来るということを具体的に意識させてくれる機会ともいえるのではないでしょうか。それに直面することは本当につらいことですが、向き合うことによって、いま生きている命、というものが見えてくるからです。

 私の友人に、子宮頸(けい)がんで二〇一〇年に亡くなった藤井よしえさんという福岡のミュージシャンがいました。彼女は生前、ネットを通じて手記を発信していたのですが、それによって周囲はものすごく大きなものを受け取ったんです。私自身、頑張って生きなきゃという思いが原動力となって曲を書いたし、家族とのしがらみを乗り越える勇気にもなった。衰弱しながらも、彼女の周りにはエネルギーの渦が見えるようでした。

二階堂和美さん

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 がん、それも治すのが難しいがんと告げられた方のそれからの生き方というのは、とても大きなメッセージを持っています。これから仏になる準備を整えていくわけですから、言うなれば生き仏。その境遇にある方にしか出せない力強いメッセージというものがある。できるならば前向きになって、それを発信してほしいと思います。これは同情などではなく、お願いとしてそう思っています。そういうことを言っていただかないと、私たちはすぐぼんやり生きてしまうので。

 逆に、周りにがんの方がおられるなら、積極的にメッセージを受け取ってほしい。看病やお見舞いに行って説教されるのは煩わしいと感じられるかもしれません。でも、生きることの煩わしさと手応えというのは、まさしく表裏一体なのです。

 僧侶や音楽家は、直接的な治療はできませんが、つらい気持ちを抱えておられる心に少しでも安らぎを持っていただけたらと思っています。(聞き手・樋口薫)

 <にかいどう・かずみ> 1974年、広島県生まれ。97年から本格的に音楽活動を開始。浄土真宗の僧侶でもある。2013年、高畑勲監督に依頼され、映画「かぐや姫の物語」の主題歌を担当した。

 <がん> 厚生労働省などによると、男性の6割、女性の4割強は、一生のうちに一度はがんと診断される確率があるという。男性では胃、肺、前立腺、大腸が多く、女性は乳房、大腸、胃、肺が多い。 がんと闘病している芸能人らは多く、病名を明らかにするケースも増えている。樹木希林、市村正親、渡辺謙、桑田佳祐、林家木久扇、間寛平、宮迫博之、北斗晶、小倉智昭−の各氏ら、枚挙にいとまがない。

 

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