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没後400年 シェークスピアの現在形

コラージュ・安藤邦子

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 数多くの名作戯曲で知られる英国の劇作家ウィリアム・シェークスピア。今年で没後四百年になる。徳川家康と同時代の人の作品が二十一世紀の今も人気なのはなぜか。三人の論者に魅力を語ってもらった。

◆愚かな人間への愛情 東京大教授・河合祥一郎さん

 シェークスピアは昔から常に人気があったわけではありません。十七世紀には、いいかげんで猥雑(わいざつ)、洗練されていなくてやぼったいといわれました。そのいいかげんさこそが彼の多面性、多様性につながっています。

 根本にあるのは、人間は愚かだということを大前提にした当時の人文主義(ユマニスム)思想です。人間って理屈じゃない。ある女の子を好きだと思っていたけど、何年かしたらほかの子が好きになる。そんないいかげんさが人間性だということを、シェークスピアほど上手に表現した人はいません。

 学校で正義は一つしかないみたいな教育を受けた子にとっては、正義は一つじゃないよと言われるようなもので、「どういうこと?」となるだろうけれど、今の社会はまさにそうなっている。例えば、米国は「敵だ、戦争だ」と正義を振りかざすけれど、言われた側からすれば米国ほどひどい国はないとなる。つまり正義は一つじゃない。それこそが人間性で、私たちが生きているありようなんです。

 シェークスピアの悲劇はまさにそういうことを描いています。主人公たちは「自分はこうしなければいけない」という正しさを実行しようとして破滅します。正義を行うことを最後まで必死に考えた末に、結局は人間という小さな存在にそんなものは分からないと悟るのが「ハムレット」の結末です。おごり高ぶって神のように世界を支配できると思うと、とんでもないしっぺ返しを食らう。地球温暖化、原発の事故がいい例です。

河合祥一郎さん

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 当時はやっていた新プラトン主義の影響もあります。大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)が呼応し合っているという発想です。小宇宙が大宇宙を支配するなんていうことは決してありえない。しかし、二つの宇宙はつながり合っていると。現代の個人主義の発想だと、みんな一人で生きて、それぞれ意志を持っているとなります。しかし、人は何か目に見えない世界に生きていて、そことつながっている、そう認識しないと、どこか変なところに行ってしまうという考え方がシェークスピアにはあります。

 シェークスピアが描いた愚かな人間たち。でも、上から目線ではなく、愛情がこもっています。人間なんだからしょうがない。だから、私たちはシェークスピアを読み、舞台を見るのでしょう。(聞き手・大森雅弥)

 <かわい・しょういちろう> 1960年、福井県生まれ。『シェイクスピアの正体』が近刊予定。新訳、演出した「まちがいの喜劇」が9月、東京・東池袋の「あうるすぽっと」で上演される。

◆東北弁でも心に届く 演出家・下館和巳さん

 「ああロミオ、なすであんだはロミオなのっしゃ?」(「ロミオとジュリエット」のせりふ「ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」)

 こんなふうに、東北弁でシェークスピアを上演し始めて二十年です。僕は東北の出身。シェークスピアの英語に憧れ、でも心の中の東北言葉を忘れず、一九七四年に東京に出た。東京は空前のシェークスピアブーム。洗礼を浴びましたが、オリビア・ハッセーの映画「ロミオとジュリエット」を見た時ほどのインパクトはなかった。乾いたスルメみたいだった。なぜか。

下館和巳さん

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 謎は、英国留学中に解けた。日本のは標準語だけ。英国では標準アクセントと国中のなまりが共存していた。乳母がいますね。ジュリエットに。英国ではなまるんです。上流夫人の言葉とのぶつかり合いが受ける。そんな雰囲気が、標準語の東京の舞台にはない。硬い。英国の舞台は寒流と暖流がぶつかる豊かな漁場ですよ。そうだ、三陸沖だ。物語の舞台も登場人物もせりふも東北にしようと思った。

 「ベニスの商人」のキリスト教とユダヤ教をどう置き換えるか。考えて、沙鹿(ユダヤ人金貸しのシャイロック)は近江商人に。現代劇では生々しいから、江戸時代にしました。

 東日本大震災で休みました。一度に五千人集めたこともありますが、僕たちはアマチュア。大勢の団員が被災して劇団どころじゃなかった。でも、ある時、小学校の避難所で、練習をのぞき見していた小学生の男の子二人が「おもせーな(面白いな)」とうれしそうに言った。笑顔を見て「やろう」と思った。再開へのきっかけでした。

 おにぎりとストーブと灯油を持って、僕が運転して、被災地を回りました。南三陸、女川、塩釜…。そしたら、みんな喜んで。お客さんに、笑う喜びと泣く喜びを提供できたと思う。教室の狭い会場で、役者と観客のおばあちゃんが隣り合わせのこともあって、その役者が泣くシーンで、隣のばあちゃんが「泣かねーで」と肩たたく。すると孫が「ばあちゃん、芝居の中に入らねーで」。みんなワーッと笑う。そういう舞台。温かい。

 舞台には開演前、水道の蛇口をセットします。シェークスピアの世界は、海のように大きく深い。それに比べれば私たちのシェークスピアは、水道の蛇口からこぼれる水滴にすぎないのです。(聞き手・小野木昌弘)

 <しもだて・かずみ> 1955年、宮城県生まれ。92年仙台に「シェイクスピア・カンパニー」を設立し主宰。東北言葉を生かした「ロミオとジュリエット」などで反響を呼ぶ。東北学院大教授。

◆言葉の美、音楽のよう ピアニスト・小菅優さん

 十代でシェークスピアの魅力にはまりました。十二歳の時、初めてベートーベンの「テンペスト」(ピアノソナタ第十七番)を弾いたんです。真偽は不明ですが、ベートーベンが「この作品を理解するにはシェークスピアの『テンペスト』を読め」と言ったという曲。それで私も読んでみたのがきっかけです。

 文学だけでなく舞台や映画としても鑑賞できるので、まだ若い私でも四百年の時を超えて親しむことができました。プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」はものすごく美しい音楽ですし、「ハムレット」の映画は二種類見ました。名優がシェークスピアを演じると、せりふがまるで音楽のように聞こえるんです。言葉の選び方が美しいからだと思います。だから、辞書を引きながらでも原語で読むようにしています。

 中でも好きなのが喜劇「真夏の夜の夢」で、メンデルスゾーンのつけた音楽がすばらしいんです。先月、この作品のピアノ連弾版を「東京・春・音楽祭」のコンサートで演奏しました。共演者と話し合い、連弾曲の合間にシェークスピアの詩に基づく歌曲を挟んだり、演奏しながらちょっとしたお芝居をしてみたり、一つの劇のような構成を考えました。普段のリサイタルとは違うことができたという満足感があります。音楽も文学も受け手に伝達することが大切。二つがうまく結婚できれば、より多くのことを伝えられるんだと実感しました。

小菅優さん

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 幼いころから本を読んで考えるのが好きなんです。生きていると疑問がいっぱいわいてくるじゃないですか。人はなぜ生きているんだろう。音楽をやっていて世の中に意味のあることができているのか。そんな時に本を読むと、答えが1%でも見つかったりする。シェークスピアは人間の愚かさと美しさを同時に描くことで、人生で何が大事なのかを問い掛けているように感じます。

 私がずっと演奏してきたベートーベンも、シェークスピアを尊敬していたそうです。彼の音楽には必ず葛藤があって、その後に救済があり、純粋な美しさや希望の光が見えてくる。そして時には残酷な世の中を示して「みんなこれでいいのか」と、人々の肩を揺すぶっているように感じるときもある。その問い掛ける音楽、聞き手を考えさせる音楽には、シェークスピアとの共通点があるように思います。(聞き手・樋口薫)

 <こすげ・ゆう> 1983年、東京都生まれ。93年渡欧、各国のオーケストラと共演。ベートーベンのピアノソナタ全32曲の演奏会と録音に取り組み、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。

 <シェークスピア> 1564〜1616年。英国が生んだ世界最大の劇作家・詩人。戯曲約40編(従来は37編とされてきたが、近年は40編が有力)、ソネット154編などを残した。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」「尼寺へいけ」(ハムレット)、「きれいは汚い、汚いはきれい」「人生は歩きまわる影法師。哀れな役者だ」(マクベス)、「何もないところから何も出てこぬぞ。言い直せ」(リア王)などの名せりふで知られる。

 

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