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岐阜市長選特集

候補者こんな人(上)

 28日投開票の岐阜市長選には、無所属新人の7人が立候補し、論戦を繰り広げている。どんな人柄で、どんな経歴を持っているのか。親しい人からの応援メッセージとともに、3回に分けて紹介する。

◆絶えず困窮者の力に 森下満寿美さん(57)無新

 夫と共に市内で建築業を切り盛りする中小企業の“お母ちゃん”。経営に困る中小企業を何とか助けようと、一九九九年から一期四年間、市議を務めて以来、社会福祉のために働き回っている。

 二〇〇九年には失業者ら生活困窮者の相談に乗り、炊き出しをする「ぎふ派遣労働者サポートセンター結(ゆい)」の開設に尽力。四年前からは、企業などで不要になった食料を貧困者に配るフードバンクの活動にも携わる。

 「困っている人のため東西南北、いろいろな所へ行き、絶えず誰かのために動くのが信条」と話す。自身の姿を宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」になぞらえ「本当に良い詩。今の私にぴったり」とも。

 フードバンクを通じ、給食が唯一の栄養源という子どもも見てきたと言い、小中学校の給食無料化などの福祉政策を掲げている。

 家業に福祉活動と忙しい日々の癒やしは、読書や落語鑑賞の時間。「何も考えず、笑える時間が息抜き」と笑顔を見せる。

 =共

▽率先して動く姿すごい 友人・小倉文雄さん(67)

 森下さんと知り合ったのは十年ほど前。県内でも「派遣切り」が横行し、働く場所がなくて生活に困る人が増えた時に、私の勤務する法律事務所で主催する法律相談や食事の提供といった支援活動に協力してもらったのがきっかけです。

 どんな局面にぶつかっても「いまここで考えているだけじゃだめ」と、率先してフットワーク良く、動き回る姿にいつも頭が下がります。

 市長になったら、弱い立場の人に寄り添い、どんな人とも分け隔てなく接する持ち前の精神で、市政を市民のものにしてほしいですね。

◆家業苦闘経て郷土愛 中西謙司さん(56)無新

 一九九四年、家業の「山中製菓」を継ぐため、十四年ぶりに東京から故郷岐阜市へ。「地に足がついた人生と心豊かな暮らしが、岐阜にはあった」

 大学進学で上京すると、周りに「岐阜ってどこ」と言われた。劣等感から就職は迷わず東京を選択。大学祭実行委員長の経験などを買われ、大手広告代理店の電通に入社した。徹夜を重ね、販促の大仕事に携わった。「家業もすぐ軌道に乗せて、東京に戻ろうと軽く思っていた」

 自信とは裏腹に、商品は全く売れず七転八倒。結局、経営を安定させるまで二十四年かかった。この間に二人の子に恵まれ、岐阜の魅力を実感できた。「都会とは異なる良さを市民に自覚してもらい、若者が必ず帰ってきてくれるまちにしたい」と力を込める。

 趣味はサッカー観戦。FC岐阜の支援に携わる中で、行政の力の存在感を知り、政治に関心が向いた。

 家族と肉やすしを食べに行くのが、日々の息抜きだ。

 =自公

▽頑固だが涙もろい一面 母・中西敏子さん(80)

 一度決めたら突き進む頑固な性格。FC岐阜を応援するため、個人持株会を立ち上げたり、会社の工場の衛生環境を徹底的に見直したり。おとこ気を大切にする姿は、十八年前に亡くなった主人に重なります。

 子どものころから星が大好きで、家族から「星の王子になりたいの?」と言われていたほど。デッサンなど細かい作業が得意で、勉強も好きな子でした。実は涙もろい一面もあります。

 昨春に市長選に出たいと突然言われた時は驚きましたが、変に納得がいった。体にだけは気を付けて頑張ってほしい。

◆鉄の女の言葉を糧に 吉田里江さん(52)無新

 「信念を貫く」とのキャッチフレーズにはわけがある。昨年十月の衆院選で希望の党の公認を得られずに無所属で出馬し、落選。政治家としての身の振り方を熟慮した末、「自分は岐阜を幸せにするためにここに来たんだ」と転戦を決意した。

 海外の子どもを支援するNPOなどに従事。井戸掘り、孤児院支援、ワクチン供与などの活動を続けてきた。二〇〇五年から旧民主党や自民党の国会議員秘書を務め、一三年の参院選岐阜選挙区で出馬するため岐阜市へ。「岐阜に骨をうずめる」との覚悟は揺るがない。

 子ども三人を育てながら、キャリアを積み重ねてきた。人生の糧にしている言葉がある。「チア・アップ」。二十八歳のころ、来日した英国のサッチャー元首相からかけられたひと言。「あなたならできる」「あなたらしく生きなさい」。偉大な先輩女性政治家からの激励と受け取った。

 生田流琴奏者の一面も。離れて暮らす子どもたちから送られてくる漫画が息抜きだ。

▽若い頃から世界を意識 母・浅井大美子さん(80)

 人のために生きなさい、人のためになることは何でもしなさい、と育ててきました。

 お琴は私が師匠。小学五年生の時、演奏旅行でヨーロッパに連れて行きました。初めての海外。外国人から話し掛けられても英語をしゃべれなかった。帰国したら「英語に強い学校はどこ?」と言いだすんです。それから勉強を頑張り、志望校に入りました。

 若い頃から世界に目が向いていました。マザー・テレサが好きで。世界地図の中に日本があるという感覚。スケールが大きい。世界のために尽くそうとしながら、子ども三人を立派に育てましたね。

 (岐阜市長選取材班)

 

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