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ゴッホとゴーギャン展

<名画を解く>(1) 「自画像」クレラー=ミュラー美術館(オランダ)

「パリに移り、ゴッホの画風が変わった」と話すリゼッテ・ペルサース館長=オランダ中部オッテルローで

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 名古屋・栄の愛知県美術館で開かれている「ゴッホとゴーギャン展」(中日新聞社など主催)では、二人の巨匠の作品を中心に六十四点を展示している。代表的な四作品を所蔵する欧州の美術館を訪ね、制作当時の二人の暮らしや絵筆に込めた思いなどを担当者に語ってもらった。展示は三月二十日まで。(社会部・藤沢有哉、写真も)

◆画風変えたパリ生活

 「自画像」は、ゴッホの作風の変化がうかがえる作品です。暗い色調を好んだゴッホが、色彩に富んだ印象派画家の作品とパリで出合って明るい色を使うようになった。この作品を描いたころから、鮮やかな色使いで知られるゴッホへの発展が始まったのです。

 ゴッホが育ったオランダの画家は、現地で生まれた十七世紀の巨匠・レンブラントの影響もあって黒色や濃い青色を多用しました。でも、ゴッホは三十二歳でパリへ移ると、色使いは明るく、筆遣いも軽やかになった。この作品はパリで暮らして一年余りの時期に描きましたが、印象派からの強い影響を感じます。

 そもそもゴッホは牧師になる夢がかなわず、画家を目指しました。なぜ画家だったのかは分かりませんが、農民や売春婦を描いていることから、絵を通じて社会の下層の人たちに何かを与えたかったのでしょう。

 ただ、二年間のパリ生活は豊かではありませんでした。自画像を二十点以上描いたのも、モデルを雇うお金がなかったから。変わり者として知られていたため無償で引き受けてくれる人もおらず、鏡に映った自分で肖像画の練習をするしかなかったのです。

 この時期、印象派の作品のほかに、ゴッホの胸を打ったのが日本の浮世絵でした。強烈に鮮やかな色と、注目した対象物をズームアップして描く構図が新鮮だったのでしょう。

 都会の喧噪(けんそう)に疲れたゴッホは南仏アルルへ移り、ゴーギャンと共同生活を送りました。この温暖な地を選んだのは、浮世絵の鮮烈さと同じように強く放たれる日光があったからです。

 (リゼッテ・ペルサース館長)

 <自画像> 1887年4〜6月ごろの油彩画。安価な厚紙に描かれている。ピンク色に近い肌色や赤みがかった金色で自分の顔を描き、背景には落ち着いた青緑色を用いる対照性で作品に奥行きが出ている。軽やかに絵の具を塗る筆遣いも特徴のひとつ。

 

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