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ゴッホとゴーギャン展

2人を結んだ弟テオ ジャーナリスト・熊田マリさん

友への思いがこめられたゴッホ作「ゴーギャンの椅子」=名古屋・栄の愛知県美術館で

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 名古屋・栄の愛知県美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」(中日新聞社など主催)に隠れた主役がいる。二人の偉大な画家を結び付けたゴッホの弟テオ。パリ在住のジャーナリスト熊田マリさんが、その存在に光を当てた。

     ◇

 四十年前、私の父・熊田亨(とおる)(故人・本紙欧州駐在客員)は、ゴッホのおいフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ博士(建築学)からゴッホ直筆の手紙を複製印刷した貴重な「書簡集」をいただいた。

 一九七六〜七七年、中日新聞社が催したゴッホの回顧展が大成功を収めたお礼だった。博士はゴッホが熱烈に憧れた日本で彼の芸術が愛されていることを喜び、博士と父の文通がしばらく続いた。その博士こそ、今回の展覧会の主役ゴッホとゴーギャンを結び付けたゴッホの弟テオの一人息子だった。

テオ

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 テオは一八八〇年代、パリの絵描きのたまり場モンマルトルのグーピル画廊で当時の画壇から落ちこぼれた前衛画家らを守り、育てていた。テオの助言で八六年、モンマルトルに落ち着いたゴッホは、そこでゴーギャンに出会った。

 二十七歳で画家の道を目指したゴッホのデビュー作はくすんだ色合い。カフェやビストロで美術界や浮世絵について討論し、刺激し合ううちに、ゴッホのパレットは明るい色彩に染まり始めた。ゴーギャンの、エキゾチックで熱帯の太陽の激しい光を思わせる作風に圧倒され、才能に魅了されたゴッホは「芸術には光と太陽が不可欠」と考え、前衛画家らが集まって仕事ができるよう、プロヴァンスに「南のアトリエ」を創設しようと励んだ。

 資金は画商のテオに任せてゴーギャンが指導者のグループをつくれば、前衛芸術も大衆から認められると確信し、アルルに向かった。「南仏は日本のようだ」と制作に力が入るゴッホ。だが、兄弟のアトリエ計画にゴーギャンは気乗りがしない。彼の夢は、絵が売れたら熱帯に移住して描き続けること。八八年、ゴッホとの共同生活に応じるが、それは、経済的に支えてくれる唯一の画商テオへの義理でしかなかった。

 ゴッホの「耳切り事件」で二人の関係は終わりを告げた。しかしゴッホ、ゴーギャン、テオのトリオは、以後の美術界に大きな影響を及ぼした。今回の展覧会の重要な構成要素は手紙だが、まさに彼らが交わした手紙が、彼らの関係を後世に伝えてきた。

熊田マリさん

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 「書簡集」を父から受け継いだ私は、何を伝えていけるだろうか。

 ※「ゴッホとゴーギャン展」は、三月二十日まで。月曜(一月九日と最終日を除く)と一月十日は休館。

 <くまた・まり> ジャーナリスト。1958年、東京生まれ。67年からパリ在住。ソルボンヌ大学歴史学部卒業。日欧のテレビ番組の企画制作や雑誌でコラムなどを連載している。

 

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