トップ > ゴッホとゴーギャン展 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

ゴッホとゴーギャン展

ひまわりと青空(4) 麦畑の小さな墓石

ゴッホの墓(左端)には今も参拝者が絶えない。塀の後ろには麦畑が広がっている=フランスのオーヴェール・シュル・オワーズで

写真

 共同生活が破綻した後もゴッホとゴーギャンが文通を続けていたことは、あまり知られていない。二人は才能を認め合い、互いに敬意を失わなかった。

 ゴーギャンの回顧録によると、ゴッホは自殺の約一カ月前、手紙にこうつづっている。「精神状態が悪化した時よりも、良好な状態で死ぬ方がいい」

 約一年の入院生活の後、ゴッホは南仏を去り、パリ北西の小村オーヴェール・シュル・オワーズに移った。農民の暮らしを愛したゴッホは、花と緑のあふれるのどかな村が気に入ったのだろう。「一日一枚以上というハイペースで油彩画を仕上げました」と、村の観光ガイドのウリー・マーメルさんが説明する。

 オーヴェールは、彼が転々としたどの街よりも当時の光景をとどめていた。少し歩けば、ゴッホが描いた教会や庭園、階段が見つかる。緑に覆われた坂道を上ると、黄色く色づいた麦畑が一面に広がった。ゴッホが銃で胸を撃ったのも、村の麦畑のどこかだとされる。享年は三十七。わずか十年の画業で、あまりにも大きなものを残した。

 麦は、ゴッホにとって重要な意味を持つモチーフだった。種まきから刈り入れまでの様子を繰り返し描いている。最期の日々にゴッホが眺めた麦畑を前にしていると、「一粒の麦は、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」という聖書の一節が頭に浮かんだ。

 その麦畑の中に、ゴッホの墓はあった。向かって右隣には、兄の後を追うように半年後に死んだ弟テオの墓が並んでいる。「小さな墓石でしょう」とウリーさん。「ゴッホが有名になり、大きくする案も出たけど『彼はシンプルなものを好んだから』と取りやめになったの」

 兄弟の絆を表すツタに覆われた墓前に、ひまわりの花と麦の穂が供えられていた。これほどゴッホにふさわしい墓はないと思い、手を合わせた。(樋口薫、写真も)

 「ゴッホとゴーギャン展」は来年一月三日から三月二十日まで名古屋市東区の愛知県美術館で開催。前売り券は一般千三百円、高大生千円(当日券は各二百円増し)。中学生以下は無料。

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索