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ゴッホとゴーギャン展

ゴッホとゴーギャン展 謎めいた友情の真実

 世界の美術史上、おそらく最も不思議で魅力的な友情で結ばれた画家たちだろう。ゴッホとゴーギャン。19世紀フランスの“ポスト印象派”を代表する天才2人は互いに力量を認め、1888年には南仏アルルで約2カ月の共同生活を送る。多くの謎に包まれたゴッホの“耳切り事件”の後にゴーギャンはアルルを去るが、その後も相手への敬意は変わらなかった。今では作品だけが知る2人の交情の真実に、それぞれの自画像など名作約60点で迫る「ゴッホとゴーギャン展」が2017年1月、愛知県美術館で開かれる。内容の一端を紹介する。

◆互いをどう思っていたか 答えは作品の中にある

監修 シラール・ファン・ヒューフテン

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 ゴッホは非常に人気の画家である。これまでも日本ではさまざまなテーマで展覧会が開かれてきているが、ここに来て、より多角的な視点からゴッホを理解したいという関心が強まっている。そこで今回、ゴッホとゴーギャンが画家としてどのように成長して一緒になり、また別れていったかに焦点を当てた展覧会を企画した。

 ゴッホは非常にオープンな性格で、ゴーギャンから受けた影響がはっきり感じられる。三十二歳でパリに着いたとき、ゴッホは古いスタイルの画家で作風も暗かったが、印象派の作品や日本の浮世絵の刺激を受け、新しい道を開き始めた。ゴーギャンやエミール・ベルナールをはじめ、新しい潮流の画家と開いた心で接するようになっていった。

 彼らは、ゴッホがそれまでやってきたこととは正反対の方向を目指していた。目の前にある現実から着想を得て描くのではなく、想像によって描くのだ。ゴッホも一度は影響を受け、想像で描こうと試みたが、最終的には元の立場に戻り、「自分がいかに見たか」をキャンバスに写す作業に専念するようになる。

フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」 1887年4〜6月、パリ 油彩・厚紙 32.8×24センチ クレラー=ミュラー美術館 (C)Kroller−Muller Museum,Otterlo

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 一方、ゴーギャンも、尊敬していたゴッホとの共同生活や、彼と交わした議論による影響がみられる。南仏アルルを出た後、ゴッホが好きだった黄色を多く用いるようになり、彼なりにゴッホの作品から感じ取ることがあったということは間違いないだろう。

 二人の共同生活は、最初の一、二週間こそいい関係が続き、ともにブドウ畑やアリスカンの並木路(みち)を訪ね、同じ題材を描くこともあった。しかし、作風の違いに加え、性格的な問題が生じてくる。ゴーギャンは派閥のリーダーたろうとしたが、ゴッホはグループをつくるよりも個人的な発展を目指すことを望んだ。また、過去の画家に対する評価もまったく正反対だということも分かってきた。精神的な病の影響と思われるが、ついにはゴッホが自分の耳を切り落とす事件が起き、共同生活は終局を迎える。

 とはいえ、ゴーギャンが去った後も両者の関係は続いた。ゴッホは、ゴーギャンがなぜアルルを去ったのか疑問に思っていたが、ゴーギャンへの手紙はフレンドリーというよりもフォーマルかつ非常に丁寧な文面で、画家としてお互いをより良く成長させたいという意図が感じ取れる。少なくとも、憎しみのような感情はないのだ。ゴーギャンの絵をめぐり、芸術的に重要な内容の議論も交わされている。

ポール・ゴーギャン「自画像」 1885年、コペンハーゲン 油彩・キャンバス 65.2×54.3センチ キンベル美術館 (C)Kimbell Art Museum,FortWorth,Texas

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 ゴーギャンがゴッホをどう思っていたかは、本展最後の作品が如実に表している。ゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」だ。既にゴッホは死に、ゴーギャンはタヒチで晩年を過ごしていた。タヒチにはひまわりがなかったので、わざわざパリから種を送ってもらい島で栽培して描いたという。自分の絵と交換して手元に置くことを望むほど、ゴッホのひまわりの絵を愛していた。ゴッホへの美しいオマージュである。

 またゴッホも、「ゴーギャンの椅子」を残している。こちらは、画家としてのゴーギャンに対する尊敬の念がポエティック(詩的)に表現されている作品である。

 このように本展では、二人の巨匠にいかに違いがあるか、その違いが互いにどう影響し合い、現代まで世界中で愛される偉大な芸術が生まれたのかを知る非常に貴重な機会となるだろう。ぜひ、会場で感じ取っていただけたらと思う。

 1957年オランダ生まれ。88年からファン・ゴッホ美術館の学芸員として数々の展覧会を担当後、99年にコレクション部長に就任。2010年からは美術史家として、日本で開催された「没後120年ゴッホ展−こうして私はゴッホになった」(10年)をはじめ、フランス、ベルギー、米国などで開催されたゴッホ展を監修。ユトレヒト在住。

フィンセント・ファン・ゴッホ「タマネギの皿のある静物」 1889年1月初め、アルル 油彩・キャンバス 49.6×64.4センチ クレラー=ミュラー美術館 (C)Kroller−Muller Museum,Otterlo

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フィンセント・ファン・ゴッホ「靴」 1886年9〜11月、パリ 油彩・キャンバス 38.1×45.3センチ ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) (C)Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

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フィンセント・ファン・ゴッホ「ゴーギャンの椅子」 1888年11月、アルル 油彩・キャンバス 90.5×72.7センチ ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)(C)Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

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ポール・ゴーギャン「タヒチの3人」 1899年、タヒチ 油彩・キャンバス 73×94センチ スコットランド国立美術館 (C)Scottish National Gallery

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ポール・ゴーギャン「紡ぐブルターニュの少女」 1889年、ル・プルデュ 油彩、石膏 135×62センチ ファン・ゴッホ美術館 (C)Van Gogh Museum,Amsterdam

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ポール・ゴーギャン「肘掛け椅子のひまわり」 1901年、タヒチ 油彩・キャンバス 68×75.5センチ E.G.ビュールレ・コレクション財団 (C)Foundation E.G.Buhrle Collection,Zurich

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