トップ > 特集・連載 > 記事

ここから本文

特集

異例ずくめ、確定まで10年 二審弁護団、訴訟能力争う

 松本智津夫死刑囚(63)=教祖名麻原彰晃=の裁判は異例ずくめだった。1996年4月に始まった一審では、松本死刑囚が途中から沈黙。計257回の公判、約7年10カ月に及ぶ長期審理を経て、死刑判決が言い渡された。二審弁護団は訴訟能力を争ったが、高裁は控訴趣意書が期限までに提出されなかったとして審理を打ち切り、06年9月に最高裁で確定した。

 96年4月、東京地裁で開かれた初公判には、傍聴券を求めて1万2292人が並んだ。23年後の現在まで最多の記録は破られていない。松本死刑囚は冒頭、宗教用語を羅列し「これ以上のことを話すつもりはない」と、明瞭に認否を留保した。

 異変が生じたのは96年10月、まな弟子井上嘉浩死刑囚(48)の証人尋問。以降、不規則発言が増え、たびたび退廷を命じられた。つたない英語交じりに供述。失笑も買った。

 一審の争点は、教祖の指示の有無だった。弟子たちは、指示を裏付ける証言を重ねた。2001年6月、坂本堤弁護士一家3人を殺害した元医師中川智正死刑囚(55)が出廷。「人の首を絞めて殺すために出家したんじゃないんです」と号泣した。松本死刑囚は黙ったまま。被告人質問でも、問い掛けに一切答えなかった。

 一審判決後、新たに就任した弁護団は「訴訟能力がない」と主張。6人の精神科医に依頼して、いずれも訴訟能力を否定か疑問視する内容の意見書を高裁に提出した。高裁の裁判長は自ら松本死刑囚と面会。職権で別の医師に鑑定を依頼し、訴訟能力ありとする結論を得た。

 期限までに控訴趣意書が提出されず、高裁は06年3月、審理打ち切りを決めた。決定は一審判決後、松本死刑囚が拘置所で「なぜなんだ、ちくしょう」と大声を上げたことを挙げ「重大判決を認識したのは明らか。訴訟能力は失われていない」と認定。弁護団は最高裁まで争ったが、退けられた。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索