トップ > 特集・連載 > 生活部記者の両親ダブル介護 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

生活部記者の両親ダブル介護

(50)別れ 家族で父見送る

40年ほど前に撮影した家族の写真。父(後列右)をまねして、ポケットに手を入れているのが筆者(前列右)です

写真

 父が亡くなった。享年八十一。暑さが少し和らぎ、空が高く見える日の午後、父は一時間半ほどであっけなく天へと昇っていった。

 驚く読者の方もいるかもしれないが、私自身、いまだ夢の中にいる心持ちだ。前回、私はこんな趣旨のことを書いた。「人は不老不死のつもりで物事を考えがち」。何を偉そうに言っていたのだろう。それは私自身のことだった。まだ父はもつはずだ、まだまだもつはずだと。

 医師からは聞いていた。父は体内の水分バランスが保てず、手足が大きくむくむばかりか、肺にも水がたまっていた。多すぎる水分は血液の量を増やし、それを送り出す心臓に負担をかけ、心不全のもととなる。なので、治療としては利尿剤を投与し、尿として水分を排出することだ。治療はある程度奏功し、手のむくみはほぼ消えた。

 だが、体から水分が抜けた分、たんは粘り気を帯びるように。息苦しそうな時間帯が増えた。最後の二週間ほどは、口も開け、まるでゴール直後のアスリートのように、全力で呼吸をする時もあった。それでも、血中酸素濃度は100%ある。「さすが山育ちは鍛えられている」と私たちはのんきに思っていた。

 土曜の朝、緊急呼び出しで家族が集まった。心拍数ゼロを示す機器の向こうで、父はなおも口を開けていた。手を握るとまだ温かい。別室の母を連れてきてもらい、その手を重ねた。父が死んだこと。母は理解したと思う。看護師さんの言葉、一語一語にうなずいていたから。父母の手に弟と私の手を重ねる。父から離れていく命を、そうやって見送った。(三浦耕喜)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索