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生活部記者の両親ダブル介護

(44)父の大局観 50代半ば、再び会社員に

再び会社員となった当時の父。休みには各地に旅行に。写真入りのマグカップを旅先から送られたこともありました

写真

 父(81)がやせてきた。誤嚥(ごえん)で食べ物をのみ下せず、「中心静脈栄養」で首から管で栄養を補給するようになって三カ月余り。その措置をしても、栄養量は口から食べるのに及ばない。

 元気なうちは、私は父に反発ばかりしていた。だが、今は父は父なりに老いを見越し、われら子のために手を打っていたことが、しみじみありがたい。それが証拠に、両親ダブル介護になっても、金銭的な負担や持ち出しは一切ない。せいぜい、病院に通うガソリン代くらいだ。

 あれは確か弟が社会人になったころだから二十数年前か。家族が集まった場で父は言った。「商売をやめる」。自営の内装業をたたみ、会社に勤めると。

 五十代も半ばの転職宣言。無謀だと反対したが「まあ聞け」と父。いわく「このままでは年金は夫婦で月十万円ほど。暮らしていけんで、おまえらに迷惑をかける。やが、ワシは商売を始める前にサラリーマンをやっとった」。あと七年会社に勤めれば、保険料の納付期間が二十年となり、当時のルールで厚生年金の受給資格も得られると。

 冷ややかに見ていたが、しばらくして父は高速道路会社の料金徴収員として採用された。ETCが普及する前だったのも幸いだった。「千倍の難関を突破したんやぞ」。酔って誇張する自慢話は今日は聞こう。うれしい酒も父と飲んだのだったな…。

 以来、不規則なシフト勤務に父は七年耐えた。介護に悩みはつきものだが、少なくとも、お金でもめることがないのは、父の決断のおかげだ。父は大酒飲みでも、大局はきちんと見据える大酒飲みであった。

 (三浦耕喜)

 

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