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生活部記者の両親ダブル介護

(41)父は「編集長」 ベッドの上でも使命感

三浦家の歴史についての原稿をチェックする父。編集長と呼ぶように看護師さんにも頼みました

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 前回、母が桜をめでたことを記した際、「では父の反応は? それは次回に」などともったいぶっていたが、父はほとんど無反応だった。

 中心静脈栄養が続き、口から食べられない以上、「花より団子」ではない。父は花を一目見ると、視線を手元の紙へ戻す。父は今「三浦家の歴史」の再編さんに取り組んでいるのだ。

 酒好きの父は、歴史も好きだった。二十数年前、健在だったきょうだいに呼び掛けて故郷の思い出を冊子にまとめた。わが一族はダム建設に追われ、山を下りた「開発難民」だった。

 昨年末、弟が実家を片付けた際、冊子が資料と共に出てきた。山の暮らしの知らないことばかりで、父の挿絵も面白い。だが、昔の人の手書き文字では読みにくい。パソコンに入力し、弟や親戚筋の孫世代も読めるようにしてはと思い付いた。

 「この現代版を作りましょう。○○や○○(弟の子どもの名)にも、三浦の歴史を伝えるために」。そう言って手を差し出すと、父は私の手を取った。「では原作者のお父さんは『編集長』です。原稿に間違いがないかチェック願います。編集長」。涙を浮かべる父。まったく、男は肩書に弱いんだからと思いつつ、握った手を振る。

 自分にはなお果たすべき役割がある。その使命感が生きる力となる。もっと早く気付くべきだった。父の在宅介護が始まると、何かにつけ父は「はよ殺してくれ」と言うようになった。不器用におむつをはかせながら、それを聞かされる母はたまったものではない。遠距離介護で老老介護を支える作戦は、限界が近づいていた。

 (三浦耕喜)

 

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