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生活部記者の両親ダブル介護

(38)呼んでくれた記憶ずっと 出てこない息子の名

ほぼ1カ月ぶりに会った母。看護師さんのがんばりもあったのでしょう。ほほが幾分ふっくらした気がします

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 久しぶりに会えた母(82)は、少し驚いているように見えた。インフルエンザ対策で、ほぼ一カ月ぶり。まだマスクは外せない。「お母さん、耕喜ですよ」と言うと、母はコクリとうなずいた。「ほら」と息を止めてマスクをずらす。母はまたうなずいた。

 名乗ったのに「さて、私は誰でしょう?」と重ねて問うのはやめた。「手短に」という面談時間で問うても、母を困らせるだけだ。一カ月前も、その問いに母は泣きそうな表情になった。答えられずに申し訳ないとでもいうように。「では三択です。(1)耕喜(2)耕喜(3)耕喜。さあ、どれでしょう」。笑いを誘ったつもりが滑った。母は「分かりません…」と顔をしかめた。

 もう一度母に「耕喜」と呼ばれたい。四十八歳になろうが、私はあなたの息子なのだから。カーペットを焦がしたのがばれた時のように(連載十九回目)、叱声であってもいい。

 母はいろんな喜怒哀楽を込め、数千回、数万回、私の名前を呼んだのだろう。そのかなりに対し、私はぞんざいに応じたのだろう。でも、今なら分かる。名前を呼ばれるということ。その一つ一つが、いかに奇跡に満ちていたのかを。なのに、私の録音機には、退屈な政治家や役人の声ばかりが残され、母の声はひとつも入っていない。

 時間が迫った。手早く着替えと洗濯物を入れ替える。ふと、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」に出てきたせりふを思い出す。「私が覚えているから大丈夫です」。そうだ。母はいつも私の名を呼んでいた。母は忘れても大丈夫だ。私はちゃんと覚えていますから。

 (三浦耕喜)

 

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