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生活部記者の両親ダブル介護

(33)おせちが作れない  母は老いに気付いていた

タコの縫いぐるみを手にする母。触り心地がいいらしく、「置いてって」と話していました

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 新春を迎えて思う。介護においても、正月の風景にその家の姿が現れるということを。

 ベルリン特派員から戻った翌年の二〇一〇年には、元旦の膳はまだ母の手で調えられていた。だが、前にも書いたように、手間のかかる「煮しめ」が消えた。

 以来、年ごとに手をかけられなくなった。たつくりやカズノコの類いも重箱に詰めず、パックから小皿に移すようになった。一三年ごろには、年末に帰ると、押し込まれたままの具材を冷蔵庫に発見するように。買い物はできるが、調理などの段取りが分からなくなったのだ。

 もはや、全面介入しかない。妻と台所に入るが、母は面白くない。「ぼけたな」。父の余計な一言に「いいや! ぼけとりゃせん!」と激高する母。不毛な争いに時間を浪費し、ようやく冷蔵庫の整理が始まるのは「紅白」も中盤になってからだ。

 父母が一緒だとまたもめる。三浦家のPKOとして両者の引き離しを図る。妻は父を居間に誘い、テレビでも見てもらう。私は母を寝床へ連れ、しばらくお休みあれと布団をかける。

 やれやれと戻ろうとすると、「耕喜…」と母が呼ぶ。何ですか?といら立ちを抑えた声に母は答えた。「耕喜は子どものない静かな暮らしをしとる。でも、お母さんたちは、これから子どもに戻っていくんやよ。思う通りにはいかんくなる」

 そういう趣旨のことを母は確かに言った。母も分かっていたのだ。自分の老いが進んでいることを。泣いているようにも見えたが、私に確かめる勇気はなかった。「ゆく年くる年」の時報が新年の到来を告げていた。

 (三浦耕喜)

 

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