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あの人に迫る

長塚京三 俳優

写真・高嶋ちぐさ

写真

◆風や道に思いはせ、京都伝えた25年

 変化の激しい広告業界では極めて珍しい存在だ。同じ音楽、同じコピーライター、同じナレーターで二十五年。JR東海のテレビCM「そうだ 京都、行こう。」が、十一月上旬まで放映される今作で九十七本目になった。四半世紀にわたって声を担い、今作を最後に交代する俳優長塚京三さん(73)は、古都への深い思い入れを持っている。

 −声だけ、というのは俳優の仕事とだいぶ違いますか。

 実働的にいうと、声だけの方が楽ですよ。だけれども、質的なことでは声の方が大変で、緊張しますね。舞台や映画で、体全体が見えていれば、かなり説明的な部分も多いじゃないですか。手、足、表情や視線と、たくさん武器があるわけだから、いかようにも工夫を凝らせるんだけど、声の場合は逃げ隠れできない。音しかないもの。視線や注意が分散しないから、かなりプレッシャーがあるんですよ。

 −CMの収録について教えてください。

 「パリやロスにちょっと詳しいより京都にうんと詳しいほうがかっこいいかもしれないな。」。これが初回のポスター。台本は、ぱらっと、大体前日にファクスでいただきます。それをそんなにあっためるということはなくてね。現場のスタジオにさらりと行って、ぼつぼつ始めましょうか、と。以心伝心のタイミングで始まります。皆さんの前で稽古もしない。大して打ち合わせがなくても、ライターさんが僕に感情移入して書いてくれてますから。映像は、くださいとお願いしていないので、スタジオ入りして初めて見ます。

 このキャンペーンには、いい出会い方をしたと思います。一九九三年に、翌年の平安建都千二百年に合わせて作る、という始まりでした。「千二百年、おめでとう」という感じで、あでやかな華々しいイメージで。あの時は僕も、明るく元気のいい感じで「そうだ 京都、行こう」と吹き込みましたね。

 自分で言うのもなんですが、皆さんに愛されて、結果的に二十五年ですか。こんなに続くとは思わなかったな。惜しむ言葉をたくさんいただくうちが理想的な引き際。幸せです。

 −思い入れが深いお仕事ですか。

 れっきとした企業の宣伝ではあるんですけど、僕にとって、コマーシャルだという感じは割と薄いんだな。商品名を言うわけでもなく、何か物をお薦めするわけでもなく、使い心地をお伝えするわけでもなく。「僕の内なる声」という体裁なわけですから。

 作り方が本当にうまい。京都旅行をPRするなら、例えば「京都、京都、京都」って三十秒間、下手な選挙みたいに連呼してたっていいのに、そうしない。コピーも、音楽も、美しい映像も、押し付けがましくなく、非常に高度にテクニカルに洗練されている。全てがプロの仕事としては非常にストイックなものだけれど、すっとこなしちゃう。力みなく、何げない雰囲気の方が、読むのには難題なんですけどね。

 −難題には燃える方。

 燃えます。

 演じる人物が自分自身に似てれば似てるほど難しいんですよ。自分なら、必ずしもそう思ったり、言ったりしないかもしれない、とか。「てにをは」すら気になっちゃう。

 周囲もそれを分かっているでしょう。「今回はちょっと難しいコピーだな」と様子を見ているところで、懸念を踏みしだいてしまう。俺はどんなものでも演じられるぞ、と。

 そんな強気で挑戦したり、遊んだりしてきましたけれど、この二十五年の後半は何の迷いもなくできるようになりました。スタッフに恵まれ、ハッピーアワー(幸福な時間)だったと思います。ただ、僕は、芸に関しては「自分が気持ち良くなりすぎてはいけない」と思うんです。自分を戒める意味でね。程の良さというか、寸止めというかが、良いものをつくるには必要なんで。

 録音して自分で聞き比べて確かめるということはしません。そうすると、また「よりお上手にやってみようか」と下心が出ちゃう。まあ、緊張感を持った上で、えいっ、と一瞬の勝負でやるということなんだな。

 −京都はお好きなんですね。

 あたかも行ったようにしゃべっていますが、事前にはほとんど行けないなあ。CMを放映した後になって、せっかくだから妻と訪ねることが多いですね。混雑がひどいハイシーズンには行けないので、ああいう紅葉や桜が一番良い時季の光景は見たことがない。

 京都、好きです。永遠の修学旅行みたいなところがありませんか。僕が初めて行ったのは中学三年の時の修学旅行。まだ新幹線もなかったな。

 今も、京都に行くと修学旅行生とすれ違いますね。子どもたちはダレちゃって、やれ「腹減った」、やれ「仏像が何だ」、やれ「芸能人だっ」とガヤガヤやってる。まだ君たちには京都の良さが分からないんだよな、と思う。無論、僕もそういう浅ましい子どもでした。そんな子どもたちを先生が引き連れて、首っ玉持って京都を引きずり回すみたいな修学旅行は、なかなかいい文化だと思います。

 −やんちゃな修学旅行生向けに、京都の魅力を教えてください。

 食べ物のおいしさですね…なんて、いつもごまかすんですけれど、うーん。あらためて考えると、何より、道かな。僕にとっては、その起伏、そこを渡る風に触れることに意味がある。

 千二百年前から天皇が住む「王城の地」で、皆が目指した場所です。ある意味では、日本中の都市が京都をまねしてるわけだ。あらゆる芸能や文芸、工芸も、あるいは武力も、京都に範を求めてきた。

 フランスの文豪バルザックに「ゴリオ爺(じい)さん」という本がありますね。あれにラスティニャックというぽっと出の田舎貴族が出てくる。最後のシーン、パリを一望できる墓地に立って「おれは負けないぞ、パリに」と、都市そのものを擬人化して話し掛けるんですね。京都も似ていて、擬人化して「勝負だ」と言いたくなるようなものが、どっかにあるわけ。

 かつての都は、今はもう神社仏閣でしか残ってないわけですね。でも、踏みしめる地面の起伏とか、きっと嵐山や東山の方からの風は今も昔も同じなんだろうな、と。織田信長や豊臣秀吉が歩いた時と変わらないはずでしょう。

 天下取りに奔走した連中や維新の志士ばっかりじゃなくて、京都でずっと下積みの仕事をしていた人もいる。大通りを行き交い、何代も何代も一生荷物を運ぶだけの人もいたはず、というより、大部分はそういう普通の人たちだったはずですよ。日本で一番、さまざまな立場の人たちの思いや怨念が積み重なった街の道なわけです。

 信長は天下を取ったということになってるけども、本当にこの人は成功者だったのか。京の都に勝ったと言えるのか。歩きながらそんなことを考える。

 引き比べて、自分の生き方はどうかな、と。ちゃんと生きてるのかな、と。地に足がついているかどうか、再確認する永遠のよすがになる。僕にとって、なくてはならない京都の魅力とは、そこですね。

 (中野祐紀)

 <ながつか・きょうぞう> 本名同じ。1945年7月6日、東京都世田谷区生まれ。早稲田大文学部演劇専修科を中退し、69年にパリ・ソルボンヌ大に留学。74年、ジャン・ヤンヌ監督のフランス映画「パリの中国人」に、中国人民解放軍の将軍役で初出演。帰国後、ドラマ「樹氷」で国内デビュー。主な出演作は映画「ザ・中学教師」「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」、ドラマ「ナースのお仕事」「理想の上司」「官僚たちの夏」「眩〜北斎の娘〜」、舞台「オレアナ」「エンバース〜燃え尽きぬものら」など。92年、毎日映画コンクール男優主演賞など多数の受賞歴がある。NHK大河ドラマは、「篤姫」で主人公の父・島津忠剛役を演じるなど計7作出演の常連。

◆あなたに伝えたい

 信長は天下を取ったということになってるけども、本当にこの人は成功者だったのか。京の都に勝ったと言えるのか。歩きながらそんなことを考える。

◆インタビューを終えて

 京都の魅力を語ったくだりで出てくるパリの墓地は、実在する。エディット・ピアフやショパンの墓があるペール・ラシェーズ墓地。留学時代、好んで足を向けた場所だそうだ。著書で「永遠の田舎青年が(中略)パリの街に一種の宣戦を布告するのがここなのだ」と、自身を投影しつつ書いている。

 「理想の引き際」と言ってCMに一区切り着けたのに、俳優を引退する気はさらさら。「最後にもう一つデカい山を。『ワイルドバンチ』のパイク・ビショップの精神だ」。米国の西部劇映画を引いて、目を光らせた。軽妙なCMのイメージと一線を画す、貪欲な鋭さ。きっと、パリ時代から変わっていない。

 

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