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あの人に迫る

渡部清花 難民と未来をつくるNPO代表

写真・河野紀子

写真

◆偏見を取り除き活躍の場つくる

 紛争や迫害から逃れて、日本で難民申請する人は年間約二万人。中には、母国で技術者や研究者などとして働いていた人もいる。二年前に難民の社会参加を促すNPO法人を立ち上げた渡部清花さん(27)は、彼らの住む場所の確保や市民と対話の場を設け、企業とマッチングして就労につなげている。「難民はかわいそうではなく、可能性のある人たち。一緒に生きやすい社会をつくりたい」と理想を描く。

 −WELgee(ウェルジー)の活動を始めたきっかけは。

 大学院進学のために上京し、難民申請中の彼らが置かれた状況を知ったことです。結果が出るまで数年をひたすら待ち続け、認定率は極めて低い。公的なサポートはなく、住む場所がなくホームレス状態となり、知り合いもいない孤独の中で絶望する人もいます。

 私の中にも、難民への偏見があったと思います。アフリカのコンゴ共和国出身の男性は、ぱりっとしたスーツをきて、胸ポケットに赤いハンカチが入っていておしゃれ。彼は牧師でエンジニアで、女の子を性的暴力から守るための非政府組織(NGO)で働いていました。日本語教室で初めて会ったとき、イメージの中の「難民」とは違いました。私が大学で平和学を勉強していると伝えたら、「すごく興味がある。僕の国には平和がないから」と。人身売買、市民の殺りく、彼が経験したことは壮絶でした。

 他にも、母国で修士号を取ったり、エンジニア、企業経営者など、知見や経験が豊かな人がたくさんいます。社会を良い方向に変える人になれます。来日した彼らが国籍、人種、宗教の違いを超えて一緒に未来を築ける社会にしたい。ウェルジーは、WELCOME(ようこそ)とrefugee(難民)の造語で、歓迎の気持ちを込めました。

 −難民に悪いイメージを持つ人もいます。

 難民は、「難しい民」と書きます。日本社会の反応は大きく分けて、「かわいそう」と「怖い」。貧困で教育もなくかわいそうという目線と、テロ予備軍で日本の治安が悪くなる心配。彼らにも「日本人は難民のことを知らない」と言われました。仲良くなった日本人に難民だと打ち明けたら、連絡がつかなくなる。病院でも難民だと分かると、対応がすごく冷たくなったそうです。彼らが難しい人ではなく、置かれた環境が難しい。希望を持って日本に来た人たちのことを伝えたいと、難民の人と語り合うウェルジーサロンを始めました。二〇一六年十月から毎月一回開いて、参加者は延べ千人を超えました。年齢層は中学生からシニアまで、職業も大学教授から看護師、通訳など幅広い。多くが難民と話すのが初めてです。サロンの統括を担っている大学生でさえ、「難民の人って笑うんですね」と言ったくらいです。

 社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。そのきっかけを多くつくりたい。難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

 −難民の人に住む場所を提供し、一般家庭にホームステイする活動も。

 来日してすぐは知り合いはいないし、お金もない。アパートを借りるにも保証人がいなくてホームレスになったり、二十四時間営業のお店でコーヒー一杯を買って一夜を明かす人もいます。何とかしたいと、都内に短期的に受け入れるシェルターを開設し、私も含めてウェルジースタッフが一緒に暮らしています。

 千葉県には空き家を購入して、自立の準備のために中長期で暮らすシェアハウスを造りました。費用はクラウドファンディングでまかない、リフォームも自分たちでやりました。今後は難民の人だけでなく、シングルマザーや高齢者など住宅が借りられず困っている人も受け入れていきたいと考えています。

 初期のころに始めたのはホームステイ。難民申請中の人の中には、政府に拷問されて人を信用できなくなった人もいます。日本人と一緒に暮らしてご飯を食べて、人をもう一度信頼できるようになり、社会につながる仕組みをつくりたかった。難民受け入れの先進地のドイツへ視察に行ったら、同じことをしている団体がありました。すでに千件を超える実績があり、十カ国以上でネットワークをつくっています。日本でも少しずつ増えて、これまでに十都道県の二十家族が受け入れてくれました。

 −もともとマイノリティーに関心があった。

 七歳のときに母とバングラデシュに行ったことがあり、同じ年ごろの女の子がプラスチックのバケツで茶色く濁った水を売っていた。自分とあまりにも違うことに驚きました。貧富の差、経済格差について関心を持ち、国際関係論を勉強したいと思うようになりました。実家がNPOで、虐待などで親と暮らせない子たちと過ごす時間が多かったことも大きいですね。いろんな背景を持つ子どもたちに出会い、社会を見る角度が増えたんだと思います。

 −バングラデシュはアジア最貧国。そこで大学時代に先住民族の村に滞在し、教育支援のNGOを立ち上げました。

 三年生の夏に二週間。首都からバスで十二時間の場所にあるチッタゴン丘陵地帯で、現地のNGOを訪ねました。かつては先住民族と政府の紛争地で、和平協定が結ばれました。でも、帰国する日に武力衝突が起きて戒厳令が出た。軍と交渉して首都まで戻ってこられたけど、紛争地は常に爆弾が降っている場所だけじゃないと分かりました。

 それから大学を休学して、一年間はNGOの駐在員として滞在。親を亡くした子どもが学校に通えるように奨学金や里親制度をつくりました。その後さらに一年間、国連機関のインターンとして平和構築に関わりました。絶対中立の国連は、政府が先住民族を弾圧していても介入できない。和平協定は守られずに武力衝突がいまも起きている。国家が守らない人の存在を知ったことが、東京大大学院で人間の安全保障を専攻するきっかけになりました。

 −難民申請中の人の就労のため、企業とのマッチングに力を入れている。

 難民には能力や経験を持つ人が多く、企業とつなげ、法的地位を固めることが大事です。難民申請中は不安定で、就労許可を取り消されたり、在留資格を剥奪されたりします。そして、99%は不認定となります。難民として認定されるべき人が守られる制度の存在がまず第一ですが、紛争中の祖国には帰れない人にとって、難民認定以外の人生の選択肢が必要です。だから、技術のある外国人として働く仕組みにしたい。

 実際に、プログラマーやエンジニアとして三人が採用されました。彼らはいつか祖国を立て直したいとか、今いる日本に貢献したいという志があります。安定して就労できる在留資格が得られれば、いつか彼らの国が平和になって戻れる日が来るまで、彼らの能力や経験を日本で生かすことができます。

 生まれた環境や境遇にかかわらず、やりたいことができることが理想です。難民の人が生きやすい社会って、障害のある人、シングルマザー、学校に行けなくなった人、いろんな背景を持つ人がともに生きやすい社会でもあります。いろんな境遇の人が、自分で第二の人生を歩み出せる。そんな世の中を一緒につくっていきたいと思っています。

 <わたなべ・さやか> 1991年、浜松市生まれ。東京大大学院修士課程に在学中。静岡文化芸術大3年時にバングラデシュの先住民族の村で教育支援を行うNGO「ちぇれめいえプロジェクト」を立ち上げ、現地駐在員として2年間滞在。国連開発計画(UNDP)のインターンとして、平和構築プロジェクトにも関わった。

 2016年に任意団体WELgeeを設立し、18年2月にNPO法人化。フォーブスジャパン主催の「日本を代表する30歳未満の30人」に社会起業家部門で選出された。活動はホームページで発信している(「ウェルジー」で検索)。

◆あなたに伝えたい

 社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。そのきっかけを多くつくりたい。難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

◆インタビューを終えて

 浜松市の東海本社にいたころ、大学生だった渡部さんに何度か取材した。「難民ホームステイを考えているんです」。二〇一六年春、大学院進学のために東京で新生活を始めていた彼女から、ウェルジー設立の構想を聞いた。「難民」という言葉にピンとこなかった一人だ。

 今回、千葉県のシェアハウスを訪ねると、管理人であるアフリカ出身の男性がいた。「自己紹介しましょう」と彼女に促され、簡単な日本語で名前や出身地を話し、握手を交わした。私の中でぼんやりした難民のイメージが明らかに変わった。傍らで、渡部さんがほほ笑んでいた。

 (河野紀子)

 

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