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あの人に迫る

吉田勝次 洞窟探検家

写真・川上智世

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◆人類未踏の領域 一番乗りは最高

 人類未踏の洞窟へ、誰よりも先に−。吉田勝次さん(51)は二十年以上、国内外の洞窟の探検を続ける。愛知県一宮市で建設会社の社長を務めながら、一年の半分を探検に費やし、これまでに入った洞窟は千を超す。恐怖心と好奇心の相克の果てに出合える世界。本能のまま生きる探検家の言葉はどこまでもまっすぐで、熱かった。

 −かなりやんちゃな少年だったそうですね。

 とにかく問題児だった。中学のころはバイク盗んだとかで半年に一回、警察沙汰を起こしていた。何とか高校に入ったら蒸発癖のあった父親が家出して、ショックを受けた母親が睡眠薬を飲んで救急車で運ばれた。高校行くどころの騒ぎじゃなくなって、八月に退学。目の前の生活だけで、将来の展望なんて、二の次、三の次だった。

 −子どものころから洞窟に興味があった。

 母親が岐阜県の和良(わら)村(現在の同県郡上市)出身で、小学校のころは休みのたびに行った。村にある観光鍾乳洞が大好きで、母親の実家から一人でバスに乗ってよく行った。何よりも「これ以上奥に行ってはいけません」「立ち入り禁止」の看板や柵のあるところが気になっていた。未知の世界を見てみたいという欲求が当時から強かった。

 そのころ、一宮の実家近くの水路に入った。入り口と出口の中間は完全な暗黒で、洞窟と同じ。深さは一メートルくらい。恐怖感もあるので何日もかけて行きつ戻りつしながら、少しずつ距離を延ばして、四百メートルくらいの水路を進んだ。だんだん向こう側の光が大きくなっていって、ごみ取り用の金網にたどり着いた。その金網ごしに見た外の景色が、地上からとは違って見えて、初めて洞窟行った時より感動したね。この征服感が洞窟探検の原点になった。

 −洞窟探検を始めたきっかけは。

 二十八歳の時、アウトドア雑誌で「浜松ケイビングクラブ」という洞窟探検サークルを見つけて、電話した。高校を辞めた後、いくつかの職を経て二十一歳で建設会社「勝建」を設立して、がむしゃらに働いていたけど、常にどこか満たされない思いがあった。もっと面白いことないのかなって。元気だけはあったから、山登りとかダイビング、キックボクシングとかをやってみたけど、ドキドキワクワク、ときめきが少なかった。

 ケイビングクラブの人たちの案内で愛知県の洞窟に行って、半畳分くらいの隙間から中に入った。クラブの人を必死で追い、暗闇をはって進みながら「これだ。俺のやりたかったのはこれなんだ」と雷がドーンと落ちたみたいに、目の前がぱっと明るくなった。

 クラブの会長の口癖が「洞窟は大きさじゃない。自分で洞窟を見つけて、探検したらすごく感動する」だった。人に連れて行ってもらった洞窟であれだけ感動したのに、自分で見つけたらどれだけ感動するだろうと。それから、休みのたびに洞窟を探しに行く日々が始まった。

 −そして、初めての未踏洞窟、三重県大紀町の「霧穴(きりあな)」に出合う。

 自分で山に入っては洞窟を探していた。ちょっとした岩陰とかくぼみが全部洞窟に見えたね。ただ、見つけて入っても十メートルだったりの繰り返し。決定打というか、これだという洞窟にはなかなか出合えなかった。二〇〇一年、大紀町の山に洞窟を探しに行った時、わき水のそばの看板に、山頂に縦穴の入り口があって、そこに流れ込んだ水が地上にわき水となって出ている絵が描いてあった。本当かうそか分からない、そんなのあるわけないと笑ってたんだけど、町で聞いたら、実際あって、誰も入ったことないと言われた。

 管理者に頼んで案内してもらい、その縦穴を七十メートルくらい降りると広い空間を見つけた。幅四十メートル、高さ八十メートル、奥行き四百メートルくらい。あ、見つけちゃったと。心の中でずっと「すげー!」と叫び続けて、尋常じゃない興奮状態だった。一度来ただけで終わるような洞窟じゃない。装備整えてもう一回来ようと。それで、洞窟に泊まったり、ベースキャンプを作ったりというノウハウを身に付けていった。

 − 二〇一一年に日本ケイビング連盟を作りました。

 民主党政権の時に、今の地域雇用創造推進事業の元になる制度があった。四百以上の洞窟があって、日本の洞窟の聖地とうたわれている沖永良部島(鹿児島県)の長が、これだけたくさん洞窟があるなら、洞窟のガイドを育成し、雇用を創出できないかと提案した。それで、俺に白羽の矢が立った。三年で十二人のガイドを育てて、今はもう島人の立派な仕事になっている。講習を受けた証明が吉田勝次認定では重みがないので、その認定機関として連盟を設立した。

 −命の危険を感じることもある。

 恐怖心がリスクマネジメントの要。怖いと思うから準備するし、対策も考える。どんなに怖くても自分のできることをやって、平常心を保つことが大事。恐怖心にコントロールされてはいけない。恐怖心を上回る好奇心があるからこそ、前に進める。

 冒険家と探検家は違う。冒険家はある場所に挑んで到達することが目的。ゴールが決まっていて、危険であればあるほど評価される。対して探検は目的地が決まっていないし、安全であればあるほどいい。より安全な道を選んで、絶対にケガや事故を起こさないよう努める。そして、見聞きしたことや測量データを持って帰って、調査報告するのが意義。俺は100%探検家。探検家が死んでも評価されない。

 −洞窟探検をやめられないのはなぜですか。

 誰も見たことないものを、自分が最初に見る。そこに強烈な感動がある。だからやめられない。誰よりも先に。誰よりも前に。それが探検家にとって重要な資質で、それはやっぱり人間は本能的に未知の所に興味があるようにできているから。未知未踏、分からないものに対して、無限の欲望がある。人生の探検家だよ、みんな。日常の生活にもそういうものがいっぱいある。初めて食べるものとか、経験するものとか。その人にとっては未知。結果とストーリーが分かってる映画は面白くない。映画の結末を言われたら怒っちゃう。それは自分で見たいから、未知への欲求があるから。人間は本能に操られてるただの生物なので、飽きるってことは絶対あるけど、未知未踏っていうのは常に飽きない。常に新鮮だから。

 −立ち上げた「地球探検社」を今後、どんな組織に発展させたいですか。

 洞窟を起点に、世界中の秘境の仕事を一手に引き受ける総合プロダクションにしたい。テレビ番組の制作、学術調査の協力、機材のレンタル。地下空間のことなら何でも引き受けたい。洞窟の貴重さやすばらしさ、危険性を伝え、安易に洞窟に入る人の抑止力にならないと。

 洞窟は時代とともに乾燥して、最後は崩れて埋まってしまう宿命にある。いつまでもその空間を維持できるわけではない。形を変え、どんどん空間が大きくなるけど、地上が開発されたらその土砂が流れ込んで埋まるかもしれない。だからこそ、洞窟を守ろうと思う人を一人でも増やしたい。

 <よしだ・かつじ> 1966年大阪生まれ。愛知県一宮市育ち。28歳の時、愛知県の小さな洞窟を初めて探検。その魅力に取りつかれ、一宮市で建設会社「勝建」の社長を務める傍ら、国内外の1000を超える洞窟を探検した。96年に洞窟探検チーム「JET」を結成。10年から3年間、沖永良部島などのケイビング(洞窟探検)ガイド育成に携わったのを機に、日本ケイビング連盟を設立。代表理事として、ケイビングガイドの育成や認定、洞窟と周辺環境の保全に取り組む。昨年、洞窟でのテレビ番組撮影や学術調査などを請け負う会社「地球探検社」を創設した。著書に「洞窟ばか」(扶桑社)、「素晴らしき洞窟探検の世界」(ちくま新書)がある。

◆あなたに伝えたい

 誰よりも前に。それが探検家にとって重要な資質で、それはやっぱり人間は本能的に未知の所に興味があるようにできているから。

◆インタビューを終えて

 石をためらいなくかじる人を初めて見た。インタビューの途中、吉田さんの事務所に昔なじみの仕事仲間の男性とその孫が訪ねてきた。吉田さんは洞窟から持ち帰った石二つを孫にプレゼントする前に、「カリッ」と鈍い音を立ててかんだ。「方解石だな。軟らかい」「これは水晶に近い」。孫はぽかん。男性は「そのうち歯が欠けるぞ」と驚きの目を向けていた。

 洞窟に関することから死生観まで五時間、縦横に語った。圧倒され通しだった。「いつ命を持って行かれても悔いが無いように、毎日をマックスで生きている」と吉田さん。恐怖心に勝る好奇心に導かれ、未知未踏との出合いを一つ、また一つと味わい尽くしていくのだろう。

 (高本容平)

 

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