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あの人に迫る

バイマーヤンジン チベット出身の声楽家

写真・伊藤遼

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◆故郷に学校建設 人材育み恩返し

 故郷・チベットの音楽文化を日本に伝える一方、小中学校をふるさとに建てる運動を続けてきた声楽家のバイマーヤンジンさん。日本人の夫のもとに嫁いで二十四年。今では日本国内だけでなく世界各地でのコンサートや講演を通じて「教育こそ幸せへの近道」と訴える。聴衆はその歌声と語り口にたっぷりと笑い、泣かされ、たちまち彼女のファンになる。

 −失礼ながら山奥の不便な土地を「日本のチベット」と言うことがあります。しかし、チベットがどんな所かよくは知りません。

 チベットは、チベット自治区のほか、青海、甘粛、四川、雲南省のチベット人居住地域全般を指します。平均標高四千二百メートルという高地にあり、山々に囲まれ「世界の屋根」とも評されます。日本のチベットというたとえは、山奥で不便な何もない所というマイナスイメージがあるようですが、逆にそれだけ日本ではチベットに関心が持たれているのだ、と思っています。

 −気候も厳しい土地ですね。

 田舎はお米も果物も育たず、大半が遊牧民としての生活です。子どものころは電気もなく、燃料は牛ふんを乾かしたもの。私は十一人きょうだいで貧しくて三度の食事も食べられないことがよくありました。字が読めない両親は土地をだまし取られたこともありました。「自分たちに目はあるが牛や羊と同じ。字が読めないから人の言うことを聞くしかない」と悔しがり、教育の大切さを思い知ります。放牧仕事の長男を除き、全員学校に通わせ、私は、中学校の先生が熱心に親を説得してくれたおかげで、高校に進学できました。

 高校は三百キロも離れていて寮生活。貧しい中、高校まで進学できた私は、長兄の分まで勉強しようと決心し、寮が消灯後も、裸電球がついているトイレで勉強しました。冬は凍えるような寒さ、夏は鼻を突くにおいで、つらかったですが、それでも毎夜二時、三時まで勉強しました。その努力が報われて四川音楽大学に合格できました。

 −日本との縁は。

 チベット人それも遊牧民の子供として初めての入学生でした。しかし、漢民族の学生から「蛮子(マンズ)」つまり野蛮人とあだ名をつけられ、四年間ずっと差別を受けてきました。同室を嫌がられたり、ピアノ室の共用を拒まれたり…。大きなショックを受け落ち込みました。その悔しさをぶつけるように卒業コンサートで思いっきり歌いました。すると、コンサートを見に来ていた男性が「チベットは素晴らしい所ですね」となまりのある中国語で声をかけてくれた。夫との運命の出会いです。なんと初めて出会った外国人の日本人が「チベットは素晴らしい所」と言ってくれた。しかもチベットと同じ仏教徒と知って、ぱっと目の前が明るくなりました。

 −アルバイトを始めたのですね。

 夫が大好きで日本に嫁いできましたが、家族を置いて自分だけ幸せになっていいのかという罪悪感があり、仕送りをしなければとアルバイトを始めました。最初は神戸でビル掃除の仕事を見つけましたが、半年後、阪神大震災で仕事がなくなり、代わりの職を探しました。「外国人はちょっと」と断られたこともありましたが、ロッテリアが採用してくれました。ロッテリアでの経験は本当によかったです。お客さまへの笑顔、おじぎの仕方をはじめ、それまで知らなかった「心のこもった日本のサービス精神」を学びました。

 −講演活動のきっかけは?

 阪神大震災の被災地に、留学生たちとともに出掛けてギョーザづくりなどのボランティアをしているうちに、声楽家ならチベットの歌を聞かせてほしいと頼まれたのです。恐る恐る歌うと、被災者の方々が「山が見えてきたよう」、「草原の風を感じた」と感動の涙を流してくれました。少しずつ覚えた日本語で、チベット民謡に込められた大自然への感謝、家族愛などを説明しているうちに、話もじっくり聞きたいというお声も頂き、トーク&コンサートという形で公演するようになりました。

 ある時、知人に「大学時代に受けた差別を、勉強に打ち込んで乗り越えてきたよ」という話をしていたら、日本でも親の仕事への差別が原因で、いじめに遭っている子どもたちがいる、小学校でも話してほしいと頼まれました。そこで、自分がいじめを乗り越えてきた強い思いや、遊牧民としての誇りなどをお話ししたところ、先生がこの話は保護者や地域の人々にも聞いてもらいたいとなり、少しずつ講演会にも呼ばれるようになっていったのです。

 −チベットに学校を贈る運動も始めました。

 テレビで、出演者が牛の乳搾りに挑戦する番組がありました。乳搾りの苦労を肌で知っていた私は、機械を使って簡単に搾乳する姿にびっくりしました。頑張って働いて、故郷の兄に、搾乳機を贈りたいと思いました。しかし、チベットの母から「電気がないので、それは無理」といわれ、地域全体をよくしなければと思い至りました。日本の両親からも、日本の発展は教育を大事にしてきたからだよと教わり、「一人でも多く、故郷に貢献できるような人材を育てたい。それがチベットへの恩返しだ」と学校建設を決心しました。長い道のりでも一歩ずつ歩もうとアルバイトのお金をこつこつためました。

 そして、三年半後、ようやく最初の学校、ヤンジン第一希望小学校が開校しました。教室が六つ並ぶだけの素朴な校舎ですが、百八十二人の子どもが入学しました。その村には電気がないため、牛のふんをたき火にして、村人総出で夜中まで踊って祝いました。

 −大学生への奨学金制度にも取り組んでいますね。

 日本に戻ると、学校をつくったという話が人づてに広まり、寄付など支援の輪がどんどん広がりました。その後、講演料や出版した本の印税などで、学校建設は軌道に乗り、全部で九つの小学校、一つの中学校ができました。今は、これまで建てた学校の維持管理に取り組んでいます。同時に経済的理由で学業を続けられない大学生への奨学金制度も始めました。チベット人だけでなくいろんな民族の学生を支援しています。

 −いじめや差別の経験についても講演しています。

 差別に負けて、大学を中退していたら、私の今の生活はなかったでしょう。一生懸命勉強することでコンプレックスをはね返したけれど、逆境をマイナスととらえてはいけない。人間は思いひとつです。日本の子どもたちには、あなたに嫌がらせをする人もいるけれど、あなたのことが大好きで、命を懸けて守ってくれる人も必ずいるから、頑張って困難を乗り越えてほしいと言っています。努力は必ず報われる。私が経験してきたから、自信を持って言えます。すばらしい教育環境が整っている日本です。頑張って勉強してほしい。知識が深まれば、見る世界も変わり、できることも増えてきます。それが自信につながり、身近な人をも助けられるようになります。その方々の笑顔を見て、自分も幸せを感じることができると思うのです。

 <バイマーヤンジン> チベット出身の声楽家。名前はチベット語で「ハスの花に乗った音楽の神様」という意味。中国国立四川音楽大声楽学部を卒業後、同校の専任講師として教壇に立つ。留学中だった斎藤秀樹さんと知り合い、結婚とともに1994年に来日。チベットの音楽や文化を紹介するため日本全国や海外でも講演やコンサート活動を続ける。テーマは、異文化理解、家族の絆、社会貢献、教育論など多岐にわたる。97年からチベットに学校を建設する運動に取り組み、奨学金制度もつくる。2009年には新潟県長岡市から「米百俵賞」を贈られる。著書に「幸せへの近道」(時事通信社)など。大阪府吹田市在住。ホームページは「バイマーヤンジン」で検索。

◆あなたに伝えたい

 夫との運命の出会いです。なんと初めて出会った外国人の日本人が「チベットは素晴らしい所」と言ってくれた。

◆インタビューを終えて

 年間二百回近くもの講演会やコンサートを開く。ほとんどが口コミで広がっているようだ。いじめ、人権、教育とテーマは硬いが、コテコテの大阪弁で笑わせるこつも心得ておられる。よく歌うのはチベットの「太陽と月」という曲。万物の命を育んだ太陽が沈み、草原は寂しくなるが、大丈夫、月が出て暗闇を照らしてくれるよ、という意味だそうだ。以前、聞いたときに、一度も行ったことのないチベットの大草原を連想。透き通るような歌声にうっとりした。今回の取材で、貧しさや差別の体験を尋ねたら急に泣かれてしまった。決してめげなかったのは、故郷の歌の支えがあったからでは。そう思った。

 (中西英夫)

 

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