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あの人に迫る

高野進 東海大体育学部教授

写真・池田まみ

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◆人間は動くもの 表に出て走ろう

 陸上競技400メートル元五輪代表、高野進さん(57)は指導者に転身して約二十年。トップアスリートだけでなく、自らアカデミーを設立し、子どもや高齢者にランニングを教えている。日本人の「総アスリート計画」と銘打った、幅広い指導で目指すものは何か。期する思いを語ってもらった。

 −アカデミー指導の規模や内容は。

 東海大湘南キャンパス(神奈川県平塚市)、横浜市、札幌市など全国六カ所を拠点に開催しています。一回九十分を基本とした練習に、幼稚園・保育園の年中児から八十歳代まで約七百人が参加しています。ほかにランニング指導員の養成、走り方の認定試験「技能検定」などをしています。

 未就学児向けのかけっこに始まり、年齢ごと段階的に基礎的な「走りの型」の指導につなげます。たとえば、体重を乗せて着地する「乗り込む」「弾む」、挟み込むように脚を前に出す「切り返す」などの動きを柱に、走る時の姿勢、腕の振り方といった細かな点まで及びます。「もっとやってみたい」気持ちにつなげたいので、技能の詰め込み形式にはしていません。

 −幼少世代を教える狙いは。

 走り方は、ペンや箸の持ち方と同様、幼少期に覚えた動作が定着します。大人になってからでは修正が難しいため、若い段階で効率の良い技能に気付き、身に付けてもらいたかった。小学校三、四年生ごろに技能習得が早くなります。さらに小さいころから前兆は出るので、下の世代に広めたかった。

 アカデミーは筋力を鍛えたり、単純に速く走ったりするためのトレーニングチームではありません。スピードは競技者の見方であり、一般の人には疲れない、けがをしないことの方が大事です。子どもの保護者から「ガンガン走らせて」と言われることもありますが、子どもの気が向かなくなったり、がむしゃらな走り方のままで記録の伸びが停滞したりするリスクがあります。「慌てて一番にならなくても、クライマックスは後から訪れる」と伝えています。

 −指導者となった経緯は。

 一九九五年に指導者となった背景は、三十歳すぎで現役続行が困難となったこと。それ以前は選手が引退し、後進を指導する流れはどうなんだろうと疑問でした。選手と指導者は同じ素質ではないですから。

 転機となったのは、引退前に行った、一年間の米国留学です。私自身が磨いた走り方ではなく、大腿(だいたい)を高く上げるなど、戦後の日本で推奨された走り方を実践してみせました。小中高大で教えられた動き方だったにもかかわらず、米国の指導者から「重たい荷物を持って走っているようなフォーム」と指摘されたんです。

 私の感覚では、400メートルの記録につながったような動き方は、米国の指導者が教えるものに近かった。日本で普及した走り方とのズレに気がついたんです。走り方への疑問が深まり、追求することにしました。

 −一般ランナーを指導するようになった原点は。

 十四年ほど前、地元の中学生からメールで相談がありました。教室を開催したところ、好評で定期的に開くことになりました。二〇〇三年世界選手権200メートルメダリスト末続慎吾君を指導していたころです。

 〇〇年ごろから、私の考える走り方や練習法が絞られ、指導した大学生らが結果を残せるようになりました。ただ、大学生を教えるだけでは幅が広がらないと思っていた。中学生からのメールで、「大学生には通用する指導だけど、中学生にはどうなのか」と考えるようになった。成長期における発育・発達の中で、走りの基本づくりをしっかりと指導するほか、走ることを好きになるように、楽しく練習できる環境を心掛けました。

 −これまで印象に残った子どもや高齢者は。

 〇五年に開校したアカデミーに、熱心に通ってくれた中学生たち。神奈川だけでなく、東京、埼玉、静岡などからも毎週来てくれました。後に高校総体で優勝した選手もいました。

 高齢者では、六十一歳だった〇七年から、元気に参加を続けている男性です。また、本年度開校した高齢者向けアカデミーで、マスターズ陸上を目指して毎週練習している八十二歳の女性も印象的。加齢とともに少しずつ体力も衰える中で、常に自分の走りを目指している姿は私たちの目標です。

 −幅広い指導を手掛けた効果は。

 教え方のヒントになる、ということです。競技者は教わったことに対し、経験則で「こうすべきではないか」と解釈ができる。逆に子どもたちは、そのまま取り組もうとする。学生と子どもに同じ指導をして、同じ結果が出るかと言えば分からない。

 最初はうぬぼれもあり「簡単にできるだろう」と思っていましたが、うまくいきませんでした。「どうしてうまくいかないんだろう」と思った時に、子どもや高齢者の目線で接してみることで幅が広がりました。

 試行錯誤するうち、子どもたちに伝わったならば、競技者に伝えても間違いはないと思うようになった。また、筋力が衰えていく高齢者が正しく走れるようになれば、それは筋力の弱い学生の指導にも役立つ。園児でも、お年寄りでも、信号を渡っている人でも走ることはある。ふとした時に「あの人の走り方、改善できないかな」などと好奇心が湧くようになりました。

 −五輪などのトップアスリート指導にも携わった。

 たとえば、私が日本陸上競技連盟強化委員長を務めた、北京五輪の400メートルリレーは、メンバー四人の個性が生き生きして、かつ一体感があった。「役者ぞろい」だった。個性と居場所があって持ち味が発揮できる、それが合わされば、すごいことができるという信念みたいなものがあった。

 今のリレーチームを見ると、当時から流れはつながっていますよ。私が教えた選手らがコーチとなり、技術ではバトンのアンダーハンドパスなど工夫しながら継承してくれた。また、チームの志として、選手が個性を認めて刺激し合う、走ることで国民にメッセージを届ける、子どもの目標になるという心掛けは健在。世代を超え、後輩たちに伝わったということです。

 −将来のビジョンは。

 皆が陸上に親しんでくれれば、それに越したことはありません。走りを追求する立場として、発信する役割をこなし、授業やNPO法人を通じて仲間を増やしていきたい。他人の前で自らの走りを披露する「アスリート」となり、東京マラソンのように大勢が集まって走る舞台が日常になったら理想です。

 人間は、動かなくなったら生命体としての役割を維持できず、発達できなくなります。動いてから頭を使う、その上で再び動くことの繰り返しです。他人の目を意識して、表に出て皆で動きましょう、皆で走ることを考えましょうというコンセプトで取り組みます。

 <たかの・すすむ> 1961(昭和36)年、静岡県富士宮市出身。東海大体育学部教授。陸上男子400メートルで五輪に3度出場。92年バルセロナ大会では短距離種目で日本人として60年ぶりに決勝進出、8位入賞した。91年に樹立した同種目の日本記録(44秒78)は破られていない。引退後は大学陸上競技部でコーチ・監督として指導。2007〜12年には日本陸上競技連盟理事・強化委員長に就任し、国際競技会に挑む選手育成に努めた。05年以降には競技普及やアスリートの自立支援を目指し、株式会社やNPO法人を設立。08年からNPO法人「日本ランニング振興機構」の理事長を務める。大学ではトレーニング方法やコーチング論の講義・実技などを担当。

◆あなたに伝えたい

 「どうしてうまくいかないんだろう」と思った時に、子どもや高齢者の目線で接してみることで幅が広がりました。

◆インタビューを終えて

 「走る姿はさまざまではないですか」。インタビューの途中、真っすぐな目線で語り掛けられた。私が真っ先に思い浮かべたのは、記録や栄誉を目指して屈強な選手が駆ける姿。一方で、高野さんが指摘するように、健康維持のためのランニングでも、目的地への急ぎ足でも、人は確かに走っている。

 競技である以上に、人間が生きることと密接にかかわる動作と気付かされた。中学、高校とも陸上部で短距離を走ったが、その後は「競技をするわけではないから」と、日常生活と走ることを切り離してきた。体を動かして息をついた時、少しだけ足取りを振り返ってみよう。そんな気持ちを触発された。

 (高畑章)

 

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