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あの人に迫る

木村草太 憲法学者

写真・松崎浩一

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◆子どもの人権を守ってこそ教育

 憲法学者の木村草太・首都大学東京教授が編者の「子どもの人権をまもるために」(晶文社)が出版された。日本大のアメリカンフットボール部のような支配的な指導、運動会の危険な競技…。学校では子どもの管理優先で、教育という名の下に人権が侵害されていないかと問い掛ける。

 −「子どもの人権−」を出版したきっかけは。

 二人の子どもの父親として子育てをしている中で、「子どもの人権は守られているのか」と心配になったことが理由の一つ。

 例えば、組み体操や騎馬戦など非常に危険なことが学校の運動会で行われたとしても、子どもは「私は危険なのでやりません」と言えません。学習指導要領では必須とされていないのだから、本来は強制ではなく、やりたい人だけがやる任意参加にするべきです。

 先日、中学校の前を通ったら、体育祭の練習でむかで競走をやっていたので市の教育委員会に電話しました。教育委員会は「学校は事前に計画を立てており、安全対策を取っている」と言っていましたが、対策なんてあるはずがないと思う。四十人の子どもの足をひもでつなげば、重大なけがをする可能性がある。どんなに監視者を増やしても、子どもたちが熱くなって走りだしたら止める手だてがない。学校には安全配慮義務を果たせるはずがなく、教育的な意義も分からない。

 子どもたちにはできるだけ選択肢を認めることが個人の尊重や自由の意義であり、憲法に沿った、人権を尊重する教育の在り方だ。しかし、学校は子どもに対しての人権意識が低く、学校でやることは基本的には一律強制という発想。子どもを管理するために、学校側の都合が先に立ってしまっている。子どもたちにとって、何が必要なのかを考えない癖が付いているのではないでしょうか。

 −最近の調査では、校則で下着の色を指定する学校があるそうです。

 下着の色を指定しているということは、違反していないかチェックすることを前提にしているのでしょうが、それは明らかに人権侵害です。それについて嫌な思いをした人がいるなら、裁判で訴えてほしい。「下着チェックは人権侵害で違法だ」という判決が一つ出れば、学校現場は変わる。嫌だと思いつつも何も行動を起こさなければ、「裁判すら起こしていないのだから、たいした被害ではない」と認識されてしまいます。

 −理不尽な指導で子どもが死に追い詰められる「指導死」や、教師が生徒を殴っても「体罰」として刑事責任を問われないなど、教師のハラスメントが深刻です。

 学校の中では、法が機能しておらず、教師が法を無視した際の制裁も弱すぎる。例えば塾や自動車教習所の先生が生徒を殴れば逮捕されるし、生徒は先生が嫌いならやめることができる。でも、子どもは学校をやめられず、逃げ場がない。学校は評価権を持っているから、学校に抗議すれば、子どもの内申点に影響が出るかもしれない。入試でも不利益があるかもしれない。そういう権力構造があることを教師が自覚することから、人権問題は出発する。

 「いじめ防止対策推進法」は子どもが子どもをいじめる場合を想定しているので、教師が児童・生徒をいじめた場合には適用できない。児童虐待防止法は、保護者による虐待にしか対応していない。「指導死」に代表される教師からの虐待についても、立法を考える必要がある。

 −一方で、学校の問題としては、教師の過酷な労働実態もクローズアップされています。

 学校は授業だけでなく生活指導や、部活指導によるスポーツ振興や文化振興まで担っている。もともと無理があるシステムだ。学校機能を分化する必要があるのでは。

 生活指導と教育を一人の先生に同時に課すのは負担が大きい。授業の邪魔をする子どもがいても、教師は追い出すことはできない。教師が教科指導に集中できるように、学校秩序を維持するための生活指導は、専門の指導者を置いた方がいい。生活指導と教育が分かれていないと、混線が起きてしまい学力も正しく評価できない。教師は内申書の評価によって生徒の生活をコントロールしようとすることがあり得るが、本来「忘れ物が多いから国語の成績を下げる」というようなことはおかしい。

 −道徳が今春から小学校で、来春からは中学校で正式な教科となります。子どもに価値観を押し付ける危険性はないでしょうか。

 道徳的価値観は人によって異なり、正解はない。しかし、権力関係においては、強い側の価値観が押し付けられる可能性がある。権力者とは、学校であれば教師であり、国家全体で見れば政府です。

 学校では道徳より、法学を教えることが大切だと思う。法は、この社会に生きる人であれば、絶対に守らなくてはならない国家のベースライン。法の定める人権・権利を守ることは最優先の課題だ。そのベースラインを尊重した上で、伝統を守ったり個人の価値観を実現したりするのだと子どもに教える必要がある。

 また善悪の判断だけを教えても悪は止められない。例えばいじめの教育は、「いじめてはいけない」ということを教えるだけでなく、いじめにあった場合には「どこに通報すればいいのか」、「誰が自分の利益を守ってくれるのか」などを、実践的に教えていく必要がある。

 一方で十歳ごろからは学校で「このラインを越えたら、警察に通報しなければいけない」ということ、暴言は名誉毀損(きそん)、暴力は暴行・傷害という犯罪であり、賠償責任を負うこともあるということも教えた方がいい。そう教えていくことで「いじめ」という軽い言葉で捉えられがちだという現象も変わるのではないか。

 −日本大のアメフット部のように、ハラスメントを受けたという当事者が声を上げるなど、時代も変わってきました。子どもの人権を守るために、どんな課題が残されているでしょう。

 ハラスメントを受けた当事者が声を上げるようにはなってきたので、それを無駄にしないために、当事者も第三者も納得いくような事実認定や報告をする手続きをどう作っていくかが課題だ。

 例えば日大の件を例にとれば、「被害者がどんなケガをしたか」「監督がどんな指示をしたか」などは、ケガについての損害賠償請求などの裁判になれば認定されるだろう。しかし、「大学内の体質」や、「何を改善する必要があるのか」などは、そこでは議論されない。裁判とは別の手続きも必要だ。

 日大の学生は記者会見で何が起きたのかを語ってくれたが、もし小学校や中学校で同じことが起きたとしても、子どもが安心して被害を訴えられる場がない。

 教育委員会は子どもを守るだけでなく、教師の人権や学校組織を維持する組織でもあり、100%子どものために動いてくれるわけではない。子どもがそこに行けば相談に乗ってもらえる、弁護士についてもらえるような、子どもの利益だけを保護してくれるような組織が必要です。

 <きむら・そうた> 首都大学東京法学系教授。1980年横浜市生まれ。中学時代に大きな活字で条文が書かれた「日本国憲法」(小学館)を読んで感銘を受け、法律家になることを決意。東京大法学部に入学し、2003年に卒業、同大大学院法学政治学研究科助手に。助手論文をまとめた「平等なき平等条項論」は書籍化された。

 06年に26歳で首都大学東京の准教授に就任。15年には衆議院の中央公聴会で、集団的自衛権の行使を可能とする安保法案について違憲性を指摘した。著書に「憲法の創造力」(NHK出版新書)、「憲法という希望」(講談社現代新書)、「集団的自衛権はなぜ違憲なのか」「自衛隊と憲法」(ともに晶文社)など多数。

◆あなたに伝えたい

 学校では道徳より、法学を教えることが大切だと思う。法は、この社会に生きる人であれば、絶対に守らなくてはならない国家のベースライン。

◆インタビューを終えて

 記者は中学時代、美術の成績で「2」を付けられた。友達と話しながら絵を描いていたら、教師に怒鳴られ、目を付けられた。学年が上がり教師が代わると「4」に。「生活指導と教育が分かれていないと、学力が正しく評価できない」という木村教授の指摘はもっともだ。

 「子どもの人権をまもるために」には、名古屋大の内田良准教授や、「指導死」遺族の大貫隆志さんら、学校での子どもの人権問題を訴えてきた識者らが多く寄稿している。木村教授は「子どものころ、こんな大人に出会いたかった」という思いで本を編集したという。多くの親子、教師に読んでほしい。

 (細川暁子)

 

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