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あの人に迫る

堺次夫 悪徳商法被害者対策委員会会長

写真・池田まみ

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◆社会の悪を倒す、気持ちいいよね

 マルチ商法、ねずみ講、豊田商事(ペーパー商法)、最近ではジャパンライフ(預託商法)…。悪質商法の被害は絶えることがない。そんな「悪」と半世紀近く戦ってきたのが消費者問題研究家の堺次夫さん(68)。どこにも属さず、多くの人々の力をつないで世の中を変えてきた。その人生と意見に迫った。

 −子どものころは貧乏で苦労したようですね。

 小学一年の時、父親が病気で倒れ、生活保護家庭に。祖母と暮らしました。叔父がお金を出して工業高校に行かせてくれた。卒業後、日立製作所の本社に入社。日立がつくった高等専門学校を出れば将来課長になれるという話でしたが、より魅力的だったのは、入社すると昼飯が半額になる補助。飢えた少年はそれに強く引かれたわけです。上京して、今年でちょうど五十年になるんだなあ。

 −会社はすぐ辞めてしまったんですね。

 会社員として生きるという自覚が少なかった。それに十八歳から二十歳の選択です。工業高校にいたころからラジオ、テレビ本体よりも、そこから流れるドラマの内容に関心があって、入社後、中央大の夜間に入りますが、それも文学部。目的が分からん人間が行く学部ですよ。何かをやりたい、何かになりたいというのをずっと探していた。このままなら生活は安定するけれど、エネルギーを燃やすものではなかった。だから、会社を辞めた。

 −そんな中、悪質商法の被害に遭う。

 アルバイトをしながら大学を卒業した後、二十三歳の時、知り合いに誘われて化粧品などを扱うマルチ商法の説明会に行った。もうかるからというよりも自分で事業をやるというところに引かれてね。自分の場所が見つかったと思った。数十万円払って会員になったが、二、三カ月で、これはおかしいと気が付いた。化粧品を販売するというのに、そもそも商品がない。ちょうどそのころ、その業者の商法の問題性を指摘する本が出版されて。こんなものがはやるのはおかしいじゃねえかと確信し、調査と責任追及を始めた。

 −孤軍奮闘の運動は大変だったのでは。

 具体的に活動を始めたのは一九七四年二月。そんな運動の経験ないから、何から始めたらいいのか分からない。そこで新聞に書いてもらって仲間を集めた。団体交渉にこぎ着け、返金を勝ち取った。そしたら、ほかの業者の被害者からも相談が殺到するようになって。七五年二月に悪徳商法被害者対策委員会をつくった。今は「悪質商法」という呼び方が一般的だけど、「悪徳商法」という名前にこだわるね。響きがいいし、人倫にもとる商法だということがよく分かる。

 −ねずみ講禁止にも関わったとか。

 七七年三月に長野地裁で、ねずみ講の契約は公序良俗に反して無効との判決が出る。これが大きな流れをつくった。マルチの次はねずみ講問題というのは必然。舞台となった衆院物価特別委のメンバーとは超党派で面識を得ていたし、七四年から七六年と連続で、国会参考人として意見陳述をしていたので、プロモーターになれた。七七年四月、マルチ摘発とねずみ講禁止法制定を求める全国大会を議員会館内で開く。画期的であったとあえて自画自賛しますが、自民から共産まで全党の国会議員に来賓で出席してもらった。禁止法は七八年に成立します。

 −政治との距離感が絶妙ですね。

 普通の市民運動は政治との付き合い方が下手だと思うね。超党派の運動なんて最初からやろうとしない。抵抗運動として始まったところが多いから。みんなある程度政治色が付いてしまっている。私は無党派じゃなく混党派と言ってきた。

 政治で強いのはもちろん、主張が固まっている特定多数派。でもね、主張が固まっている特定少数と固まっていない不特定多数ではどちらが強い政治勢力になり得るかといったら、特定少数の方。数が少なくても動かせるんですよ。

 −ところで被害者対策委員会のスタッフは何人?

 いないよ。私だけ。何かあると、仲間が集まってくれる。中でも支えは、六六年に故郷岡山で結成したソフトボールチームのメンバー。六八年に私の上京と同時に本部を東京に移した。エースは私。これまでに千三百試合を戦い、私は七百勝投手ですよ。

 −なぜNPO法人にしないのですか。

 それをやろうと思うと、何か事業をやらないといけない。でも、市民百人を集めて「悪徳商法に遭う可能性があると思いますか」と聞いたら、そうだと言う人はまずいない。被害者になれば頼ってくれるが、解決したら皆去っていく。

 −どうして続けてこられたのでしょう。

 私のカラオケの定番は、正義の味方シリーズ十曲。月光仮面から始まって快傑ハリマオまで。子ども時代にその痛快さに引かれた。今やっていることもその延長かもしれん。ワルを倒して被害者を救ったら気持ちがいいじゃない。金だけだったら、日立にそのままいればよかったんだから。鶏口となるも牛後となるなかれ、さんしょうは小粒でもぴりりとからい、ですよ。

 −それにしても被害はなくならない。

 実は被害者対策委の発足直後に対決した業者の一つの創業者は、今問題になっているジャパンライフの山口隆祥(たかよし)会長ですよ。半世紀、こちらとあちらで同じことをやっているわけだ。

 もうけ話に乗って被害に遭った人への世間の目は行政も含めて冷たいということも変わらない。小泉内閣のころから「自己責任」という言葉が使われ始め、その傾向はより強まっている。よくないと思うなあ。消費者の自立の必要性は分からなくもないが、被害が起きたとき為政者は何もしなくていいのか。

 最近、世の中全体、中でも社会のリーダーが事実をねじ曲げてフェイクニュースを唱えるようになっている。だますという行為が目立ってきた。どこか社会のたがが外れてきているのではないか。

 勝った者が正義と言われかねない。白は白、黒は黒なのに、白と黒がまだらになったり、白がグレーになったり、本物の白がない。さびしいねえ。

 −堺青年も、あと二年で古希を迎えます。

 さすがに次を考え始めたね。短大や大学で教壇に立ち、今年から法政大大学院で教えるんですが、集大成の意味でも後継者を育成したい。悪いやつをやっつける堺イズムを伝えなきゃ。私のような生活は無理だから、ほかに稼ぐ道がある人に引き継いでもらいたい。大学教員がいいかな。消費者問題は法学、経済学、社会学の三分野がオーバーラップする領域で、やりがいはあると思いますよ。

 −探していた「何か」は見つかった?

 ある行政関係者が「一体、あなたは何千、何万の人を救ってきたでしょうか」という手紙をくれたことがあった。それでも、見つけたという気持ちになんない、まだね。

 <さかい・つぎお> 1950年、岡山県生まれ。岡山工業高電子科を卒業後、日立製作所に入社するも3年後に退社。今でいうフリーター生活に入る。中央大文学部卒。マルチ商法の被害に遭ったのをきっかけに75年、悪徳商法被害者対策委員会を設立し、消費者問題の研究と被害防止に取り組む。国会の関係委員会で11回、参考人として意見陳述を行い、マルチ商法への規制強化、ねずみ講禁止などに貢献した。92年から2014年まで国際短期大で非常勤、専任、特任の各講師。09年から15年まで信州大客員教授。今年4月から、法政大大学院政策創造研究科の兼任講師。著書に『マルチ商法とネズミ講』『新悪徳商法事情』『日本の消費者問題』(共著)など。

◆あなたに伝えたい

 「自己責任」という言葉が使われ始め、その傾向はより強まっている。よくないと思うなあ。被害が起きたとき為政者は何もしなくていいのか。

◆インタビューを終えて

 堺さんほど新聞記者に愛されている人は少ない。恐らく、官僚や政治家にも。悪質商法に関する情報の多さ、問題の本質を突く識見のせいもあるが、正義を追及する少年っぽさが誰の心の中にもある「永遠の子ども」をよみがえらせるのだ。普通ならNPOをつくってボスになるのだが、いつも一人。それが逆に多くの人をつないだ。

 その情熱のもとが「自分探し」だったとは驚いた。そして、今も探しているとは。「私の行動の基準は面白いかどうか。日立を辞めたのもそれだった。世の中の中心にいて渦を起こす。うまく決まると、何物にも代え難い喜びだよ」と、いたずらっ子のように笑った。

 (大森雅弥)

 

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