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あの人に迫る

宮下英樹 歴史漫画「センゴク」作者

写真・由木直子

写真

◆史実を曲げずに武将の心情描く

 戦国武将・仙石秀久が主人公の漫画「センゴク」シリーズの連載が始まって十四年たった。作者の宮下英樹さん(41)は歴史の事実と正面から向き合い、武将たちの心情に思いをはせて描き続けてきたという。今や、歴史漫画界の大家の一人といえるが、本人は意外にもひょうひょうとした人物だ。

 −なぜ、知名度の低い武将・仙石秀久を主人公に選んだのですか。

 最初は、織田信長を描きたいと思ったんです。でも、トップとか上に立つ人は一握りですよね。そういう人のことを分かりやすく描くには、別の視点が必要と考え、史料を調べて見つけたのが秀久でした。信長が美濃を制圧した後、斎藤家を離れて信長の家臣になった。いわば「新入社員」。そういう立場から見た信長を描くとおもしろいのではと考えたんです。

 −「センゴク」がヒットした秘訣(ひけつ)は何ですか。

 時代劇などで、内容に物足りなさを感じている人が多いからではないでしょうか。なぜ、この合戦が起きたのか、自分も疑問に思うところを描いている。軍記物のような講談的な歴史物を描くのは嫌でした。

 また、組織や社会の仕組みも描いています。自分は会社に属したこともないし、実家は個人商店なのですが、そんな立場から見ると、世の中が動いていく組織や社会の仕組みは新鮮でおもしろい。

 −登場する武将や女性たち、それぞれのキャラクターが際立っています。

 組織を優先させる「非人間的な部分」と、感情の出る「人間的な部分」を併せ持つように描いています。リーダーになると冷たい行動をする必要もある半面、上に立つ者の孤独というものも出てくる。そういったことも表現している。

 毛利元就とか明智光秀とか、やっぱり有名な武将を主人公にすればよかったかなと思ったこともありますが、十年がかりで秀久を好きになっていきましたね。個人的には、完全無欠な信長に憧れます。相当な、ええかっこしいなので。

 −富山大工学部を中退して漫画家になりました。どんなきっかけが。

 高校生のときは、有名企業の社員か公務員、教員、とにかく肩書の良い職に就こうと思って、大学に進学しました。周りから認められたい。いわゆる承認欲求というやつです。

 なのに、大学の数学についていけない。教授から「あいうえおの段階だよ」と言われたのを覚えています。そんなころです。漫画を描き始めたのは。子どものころから絵はうまいと言われていました。

 −挫折をして漫画家になろうと思ったのですか。

 そんなに単純でもありませんよ。挫折と言えば挫折ですが、「学問の世界は無理なんだなあ」と思った程度でした。漫画を描きつつ大学に通っていたけど、寒い冬の日、「こたつを出たくない」と思って講義を欠席したんです。学校に行かないと「奈落に落ちる」と思い込んでいたのに、何にも変わらなかった。ああ、行かなくてもいいんだと。

 中学のときは漫画を描いていません。自分より漫画がうまい同級生がいたし、育った石川県七尾市の書店には当時、大ヒットした漫画しか置いてなく、こんなに売れるようになるのは無理だと思っていました。

 大学生になって、金沢などの大きな街の書店に行き、さほどおもしろくない漫画も世に出ていることを知りました。自分でも描けるんじゃないか、と。

 −漫画家になるため、どこかで学んだのですか。

 独学です。受験勉強をしたことで、系統だって学べば、ものごとは体得することができると思っていました。ただ、学び始めると、そんなに甘いものではなかった。漫画をおもしろくするため、いろいろな工夫がされていることに気づくわけです。それで「これはすごい世界だな」と思うようになった。漫画を描くことに恥ずかしいという思いもあったけど、そういう思いも消えていきました。

 −初連載のテーマは相撲で、連載二作目のセンゴクは歴史物です。

 編集者に歴史好きがいたことが大きいですね。当時若い漫画家で歴史物を描いている人が少なく、他と差別化できるという戦略的な狙いもありました。

 もともと、「売れたい」という思いがありました。そこには、やっぱり承認要求というものがありましたね。売れる自信はありましたが、ここまで続くとは思っていませんでしたね。五年くらいと始めたのが、描きたいことが増えて、どんどん長くなった。

 最近まで「売れたい」が強く、一億部売れて多くの人に評価してほしいだとか思っていました。四十歳前後でしょうか。描きたいものを描きたいと思えるようになったのは。もちろん売れたいという思いは、今も残っていますけど。

 −ヒットのため、どんな工夫をしていますか。

 大学を中退する前、漫画を描くために、富山のキャバクラで働いたことがあります。裏社会を舞台にした漫画を描けばうける、と思って。結局、何の参考にもなりませんでした。

 自分は売れるための一発のアイデアを、手っ取り早く見つけることはできなかった。だから、日々努力を続けてアイデアを探すという感じですね。そのための勉強が続くわけですが、日々新鮮でおもしろい。

 −デビュー前、漫画家の竹下けんじろう氏のアシスタントをしています。

 漫画を描き始めて一年間くらいで、雑誌の佳作賞を二度受賞しました。それで、出版社の方から「東京に来たらどう?」と誘われたんです。

 竹下先生は、漫画の議論に付き合ってくれて、知らないジャンルの漫画について教えてくれました。描くという点では怖かった。今でも頭が上がらない。

 怒られることを回避するには、うまくなるしかないという昭和の徒弟制度のようでした。それでも精神的には案外と楽でした。早く漫画界から求められようと焦る若手もいるけど、期待されていない存在なんだと思っていたので。

 承認欲求を満たせないことはつらいけど、認められるようにスキルを伸ばしていこうと思っていた。最近の若い漫画家にも、焦るなと言いたい。

 −さて、「センゴク」シリーズもいよいよ佳境です。秀久が戸次川の戦いで敗れて戦場を離脱し、立場を一気に悪くする。今後、どのように描きますか。

 作品を描き始めたころは、悪い評判を覆す史料があったら、覆したいなという思いとか、戦いで負けた後も挽回してスッキリ終わろうとも考えていましたが、今は戦場を逃れたという罪を一緒に背負いながら描こうと思っています。

 罪を背負う秀久の姿は、太平洋戦争で負けた事実を背負わざるを得ない日本人の姿につながると思う。忘れるべきか、背負うべきか。右、左という政治的な話にはしたくないですが、僕は、日本人としての誇りと、罪の意識の両方を背負うべきだと思っています。

 <みやした・ひでき> 1976年、石川県七尾市生まれ。富山大工学部中退。2001年、「第44回ちばてつや賞大賞」を受賞し、週刊ヤングマガジンで漫画家としてデビュー。04〜07年に「センゴク」を連載し、その後、「センゴク天正記」「センゴク一統記」「センゴク権兵衛」とシリーズ化した。近年は、歴史関連のイベントでパネリストとして登壇することも多い。14年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、武将役としてエキストラで出演した。

◆あなたに伝えたい

 右、左という政治的な話にはしたくないですが、僕は、日本人としての誇りと、罪の意識の両方を背負うべきだと思っています。

◆インタビューを終えて

 宮下さんは「勉強」という言葉をたびたび口にした。取材中には、幅広い分野の映画や、文芸作品についてさらりと話し、知識の豊富さが垣間見えた。

 「学問の世界は無理だった」と話したが、それはあくまでも数学の話。「漫画」という学問に関しては、さまざまなことにアンテナを張り、日々勉強を続けている。勉強の成果は人を引き込むストーリー展開、緻密な人物描写につながっている。

 学者肌の一方で最近まで「売れたい」思いが強かったり、仕事の選択は「肩書重視」だったりと俗人ぽいところも隠さない。清さと俗っぽさを併せ持つからこそ、混沌(こんとん)とした戦国時代を魅力的に描けるのだろう。

 (草野大貴)

 

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