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あの人に迫る

水谷竹秀 ノンフィクションライター

写真・太田朗子

写真

◆アジアを通して日本と幸せ問う 

 アジアに魅了され、海外移住を決断する日本人が年々増えている。その陰で、フィリピンで生活に困窮しホームレスとなった男性、タイの風俗店で男性を買い、妊娠したコールセンター勤務の女性がいる。ノンフィクションライター水谷竹秀さん(43)は、こうしたアジアの邦人社会の暗部に鋭く切り込む。取材の原点などを聞いた。

 −フィリピンの困窮邦人をはじめ、老後をアジアに求める高齢者たち、タイのコールセンターで働く日本人などアジアの邦人社会の問題に光を当てました。なぜこうしたテーマを扱うに至ったのでしょうか。

 僕もそうでしたが、海外に行く場合、日本社会の現実から押し出される部分がある。挑戦しに行く人もいるが、そうじゃない人もいる。逃げるというか、アジアだから日本ほど肩身の狭い思いをせずに生きていけるようなところがあって。これは欧米じゃ感じられないと思う。

 僕の本は、アジアを通して日本を捉え、人間の幸せとは何かを問うています。生きがいとは何か、幸せに生きるとは何かをずっと考え続けている。それがこれまでの取材、著作の共通のテーマになっていますね。

 −どのような学生時代でしたか。

 二年浪人したので、もう勉強が嫌になり大学時代はふらふらしていた。バーで深夜アルバイトをしていたこともあり、学校に行かなくなった。そんなとき友達から「大学で腐ってるなら、一回フィリピンに行ってみたら」と言われ、ボランティア活動に参加した。首都マニラからバスで五時間くらいの村へ行って、井戸掘りや小学校の修復作業をしたのを覚えています。

 −その経験が現在の仕事につながっている。

 そうですね。電気も水もないような村でしたが、人々がすごく生き生きしていた。東京の電車の中で目が死んでいるような人とは対照的だった。日本は物に恵まれていて、何でもそろっているのに、なんでこんなに死んでいるんだと。ちょっとアンチジャパンになった。競争社会であるがために、人々は不幸になっているのではないかと。物質的豊かさと幸福度はイコールじゃないんじゃないかって思うようになった。

 −大学卒業後はカメラマンとして働いています。

 フィリピンをきっかけに学生時代はアルバイトをしてはタイとかインド、ネパールに行って、写真を撮りながらいろんな人と出会った。そのころから写真に携わる仕事をやってみたくて、名古屋とオーストラリアでウエディングのカメラマンを数年やりました。

 −そして、フィリピンの新聞社へ。

 改めて何をやりたいのかを考えたときに、やっぱりアジアかなと。学生時代がちょうど就職氷河期で、周りがヒーヒー言っていて、面接で落とされたり自己否定されたりしてまでも、日本社会の歯車として働くことへの抵抗感があった。

 アジアで活動するNGO(非政府組織)とかに応募したんですが、落とされたり、パッとしなかったりした。メディアも面白そうだとマニラ、ジャカルタ、バンコクの邦人紙を希望して「日刊まにら新聞」に決まった。

 −やりたいことを追い求めた。

 どうせなら、自分のやりたいことをやって生きたいじゃないですか。周りからしたら現実逃避の上から目線な言い方かもしれないが、僕からしたら、やりたいことを探さずに、安易に就職に流される方が現実逃避なんじゃないかって。

 −取材で印象的だった人はいますか。

 みんなインパクトある人たちですが、三作目(「だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人」)なら、最初に取材した三十代の女性かな。日本からの電話をひたすら受け続ける職場で働いていたのですが、夜は歓楽街に入り浸り、アジア人の男娼(だんしょう)を買って妊娠してしまったのです。

 初めて会った日にいきなりその事実を打ち明けられ、彼女は産もうかどうしようか迷っていた。一体どうするんだろうと思ったけど、掛ける言葉も見つからない。あまりにも衝撃が強すぎたのか、取材を終えてホテルに戻ってからも彼女のことが頭から離れなくなってしまったんです。

 −作中には、取材で感じた衝撃など水谷さん自身が「私」として多く登場します。どういう意図ですか。

 著者の顔が見えるからですね。僕自身、取材過程で悩み、考えが変わることがある。それが分かる作品、あるいは著者が抱えるコンプレックスが出る作品に僕も共感するからかな。

 −困窮邦人の取材では、「金を貸してくれ」と迫られるなど巻き込まれぶりも書かれています。

 経済的に困窮している人に取材するのは難しい。回数を重ねたり、何年単位で取材を続けると本人も変化していく。そうすると取材を受けるメリットを考えるようになる。そういう人に対して「取材だけさせてください」というのが難しい状況になる。

 −アジアで困窮生活に陥った日本人の問題などについて、部分的ですが自己責任論を展開しています。

 物事は本来、白黒付けられない。そんな単純じゃなくて、グレーゾーンがある。すべて自己責任でもないし、すべて日本社会の責任かといえば、そうじゃない部分もある。本人の責任で駄目になってしまった人もいるのに、それを排除して、社会の責任になりそうな人だけを選んで「だから日本社会が悪いんだ」という伝え方もできる。でも、排除した人たちも含めると単純ではなくなり、個人の話になる。だから結論が導きにくいという面がある。そこは常に取材の中で悩んでいます。取材をすればするほど結論が出せなくなる。

 −悩みながらもズバズバ書いているように思えます。

 最初の取材で相手が僕に言わないことのほうが多い。付き合いを続けるうちに「実は水谷さん…」となると、「社会がどうとかっていう問題じゃないですよね」という質問を投げるわけです。痛いところを突かれると「おまえ何なんだ」と言われる。あえてそういう描写を大事にしています。

 −敏感な部分を伝える狙いは。

 僕はもちろん、社会に問題があるという立ち位置です。でも、自己責任論を突き付けられても仕方がないような人たちが現れたときに悩む。そうした悩みの部分を伝えたいんです。

 −アジアの邦人社会で、水谷さんはどういう存在になっていますか。

 煙たい存在だと思います。「また水谷がこんなこと書きやがって」と思われているのではないでしょうか。でも、それでいいんです。煙たがられているというのは、それだけ僕の存在意義があるということ。そういうふうに解釈しています。

 −次回作はすでに決まっていますか。

 フィールドはやっぱり日本。僕は一貫してアジアを描いているようで、結局、日本を描いている。根本的に日本を書きたいんですよね。日本と一口に言っても、表面化していない部分ですね。

 −具体的なテーマは。

 在日外国人の問題を取り上げようと思っていますが、今までにない切り口で取り上げるにはどうしようかなと。これまでの取材の核は三作目でも使った言葉ですが、「陽(ひ)の当たらない場所」です。フォーカスされていない暗い部分を見つけ出し、描きながら問題提起していきたい。

 <みずたに・たけひで> 1975年、三重県桑名市生まれ。上智大外国語学部英語学科卒業。2001年からウエディング専門のフォトグラファーとしてオーストラリアや名古屋で活動。04年10月から、フィリピンの邦字紙「日刊まにら新聞」勤務。主に殺人事件や逃亡犯逮捕などの邦人事件、邦人社会に関する問題などを扱う。11年、「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる『困窮邦人』」(集英社)で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。現在、フィリピンと日本を拠点にフリーのノンフィクションライターとして月刊誌や週刊誌などに寄稿。テーマは東南アジアの在留邦人社会や日本の貧困問題など。近著に「だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人」(集英社)がある。

◆あなたに伝えたい

 自己責任論を突き付けられても仕方がないような人たちが現れたときに悩む。そうした悩みの部分を伝えたいんです。

◆インタビューを終えて

 「日刊まにら新聞」は私の前職場でもあり、水谷さんは先輩にあたる。四年ぶりの再会が、このインタビューとなった。「何でも聞いて。何でも話すから」。真正面から相手に対する姿勢に、懐かしさが込み上げた。取材を終え、JR名古屋駅近くの串焼き店で仕事の流儀を聞いた。著作では、社会のレールから外れてしまった人々の心の闇が、彼ら自身の言葉と事実で紡がれている。「こちらも全てさらけ出す気持ちで取材に臨んでいるから、相手も話す」と水谷さん。「どれだけ相手に感情移入できるかも大事だね」とも。事実をして語らしめる背景には、先輩の誠実さがあった。

 (篠塚辰徳)

 

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