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あの人に迫る

吉原ひろこ 学校給食研究家

写真・大橋脩人

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◆自校調理目指し、子どもを主役に

 戦後まもなく、子どもの栄養確保のため全国的に始まった学校給食。近年では食育の一環として、全国の小中学校で導入が加速する一方、その内容は自治体ごとに大きな差がある。二〇〇三年から現在まで全国の小中学校四百校以上の給食を食べ歩く学校給食研究家、吉原ひろこさん(70)に、理想の学校給食を聞いた。

 − 教員時代、給食とどう関わってきましたか。

 小さいころから食に興味があって家庭科の専科も取得しました。給食に関わったのは、教員時代にたまたま職員室で隣の席だった栄養士にレシピの相談を受けたのが始まりです。農業の現場が見たいと教師をやめて、三重県伊賀市に移住後の〇〇年ごろ、市の栄養士から「給食に新しい風を吹かせたい」とレシピ考案のオファーがきました。その少し前から国の方針でパンではなく米を主食にした「米飯給食」が推し進められていて、給食は過渡期を迎えていました。

 戦後の日本は、米国から小麦や脱脂粉乳を分けてもらって多くの子どもたちが空腹を満たしたこともあり、なかなか給食の方針を変えられずにいた。でも気が付いたら、日本古来の食文化である米が余ってしまっていた。五十年以上パン給食をやってきて、子どもたちもその間にパンの体になってしまった。深刻なご飯離れ、米離れです。それでは困ると、国は米飯給食の導入にかじを切りました。

 初めての米飯給食導入は教員として見守りましたが、子どもたちがもう大騒ぎでした。しゃもじですくうのに慣れていなくて、パンの二倍くらい配膳時間がかかったのを覚えています。戦後五十年、おかずもカレーやシチューなど洋風に進化していったけれど、ご飯に合うおかずは日本古来の煮物も天ぷらもたくさんある。米飯給食はまさに「日本給食の夜明け」だと思いました。

 − 学校給食研究家として、給食の食べ歩きを始めたきっかけは。

 栄養士と「給食に新しい風を吹かせよう」とメニューを考えようと思ったとき、自分は勤めていた横浜の小学校と長崎の母校の給食しか知らないことに気付きました。現場を見てから物を言おうと、まずは全国の小中学校八百校くらいに「給食を食べさせてください」と依頼書を郵送しました。でも一校もOKは出なかった。そんなとき、講演で訪れた伊賀市内の山あいにある小さな小学校の校長が「来ていいよ」と言ってくれました。

 記念すべき一校目は、〇三年三月三日、校長室で先生と差し向かいで「おひなさま給食」を食べました。驚いたのはビンの牛乳が温めてあったこと。飲んだらおいしくて「どうしてホットミルクなんですか」と聞いてみたんです。全校生徒六十人くらいの小学校では朝の健康観察のときに、担任の先生が「今日の牛乳、温かいものがいい人? 冷たいものがいい人?」と聞いていたことが分かりました。それが保健室を通って給食室までオーダーがいく。いつも冷たい牛乳の子が今日は温かいと「寒気がするのかな」と体調チェックできるのだそうです。すばらしい健康観察だと思うのと同時に、給食は子どもの体調を把握するための大きなファクターになると実感しました。

 一つ後悔があるとすれば、子どもたちと一緒に食べなかったこと。主役は子どもたちなので、二校目からは全て教室で一緒に食べるようにしました。食べながら子どもに話を聞くと「うちは一週間カレーを食べ続けている」「朝はお母さん起きないからいつも食べない」などと開放的に話してくれ、実態がすぐに把握できました。

 − 昨秋、神奈川県内の公立中学校で給食が大量に食べ残され、その後休止となりました。問題はどこにあったと思いますか。

 神奈川県ではこれまで長く公立中学校に給食はなく、文部科学省の調査(一六年五月一日現在)をみても、主食とおかず、牛乳がそろった「完全給食率」は全国最下位の三割以下です。問題となった中学校でも委託業者に弁当を配達してもらう「デリバリー弁当(デリ弁)」でした。校内に給食室をつくるのはお金がかかるからと選んだデリ弁方式ですが、教師の視点から見ても、配膳指導の手間がかからないというメリットがあります。

 一方で、これまでデリ弁を導入している学校も食べてきて、揚げ物が多かったり、月に複数回同じものがあったりと課題は多い。注文も数日前までという業者が大半で、コンビニなどで弁当やパンを買って登校する子もいる。ある学校では、手作り弁当を持たせてもらえない子の中に「デリ弁だと決まった場所に取りに行かなくてはいけないので、食べ始めが友達より遅れる」という思春期ならではの理由でコンビニ弁当を選ぶ子どももいました。栄養士が主導できていないのが現状でこれでは学校給食とはいえません。デリ弁方式は今後必ず衰退していくと思います。

 − 理想の給食は。

 子どもが主役で、栄養士や調理師がうまくかみ合った給食です。食べる側の立場に立てば、配膳をして食べるまでの時間は最低一時間はほしい。今、中学校では二十五〜三十分というところもあるようですが、それでは食べている気がしません。全国的に見ると校内の給食室でつくる「自校式」、給食センターでつくる「センター式」がほぼ半分ずつ。やはり理想は小回りがきく自校直営方式。何千食もつくるセンター方式はどれだけ頑張っても工場のレベルで、食べてみたら味が全然違います。

 給食の役割は、リフレッシュ、リラックス、リセットだと思っています。私は三つの「利」と呼んでいます。午後の授業に向けてがんばる力を蓄える、それが給食の役目で、教師も同じテーブルについて食べることが重要です。

 − 食べ歩きで印象に残った学校を教えてください。

 〇九年に出会った長野県塩尻市の公立中学校に勤める栄養教諭が考案した食べ残しを減らすための取り組みで「生徒が立てた献立を毎日出す」という大変ハードルの高い試みでした。

 献立を立てるのは中学一年生で、一学期の家庭科の授業と連携して考える。主食、主菜、副菜のバランスを学ぶところから始め、地域で収穫できる旬の食材も積極的に取り入れる。

 例えばある日の献立は、キムチラーメン、鶏のから揚げ、レタスサラダ、ヨーグルト、牛乳。生徒は自分の献立が出る日には、調理室にあいさつに行き、少しの間でも調理の現場をのぞきます。献立表には「十一月なので温かいものを入れました。残さず食べてね」などと考案者のコメントも添えられます。これを二、三学期の毎日続けると、食べ残しが激減していったといい、大変感銘を受けました。このような試みが全国に広がってほしいと願い、今後も継続的に見守っていきたいです。

 <よしはら・ひろこ> 1947年、長崎県佐世保市生まれ。長崎大教育学部卒。横浜市小学校教諭を経て、フリーライター、料理講座を開設。98年に食材の源である農業の現場が見たいと三重県伊賀市に移住。99年から地元と世界の食材を合わせたオリジナルメニューを作る料理講座「HIROKO’S KITCHEN」を主宰する。「日常をおしゃれに」をテーマに、器やテーブルコーディネートまでこだわり、食を通した豊かな生き方も教える。2003年から、全国の学校給食を食べ歩き、教室で子どもたちと一緒に味わった反応を献立のイラストとともに紹介。著書に「吉原ひろこの学校給食食べ歩記」(1〜4巻)「食べる言葉」「子育てがラクになるクッキングセラピー」がある。

◆あなたに伝えたい

 午後の授業に向けてがんばる力を蓄える、それが給食の役目で、教師も同じテーブルについて食べることが重要です。

◆インタビューを終えて

 「人は食べ物を心でも消化しています」

 吉原さんにそう言われ、小学生のころの苦い記憶がよみがえった。食べるのが遅く、掃除の時間が始まっても一人もくもくと給食と格闘していた。幼いながら、給食の時間はプレッシャーで、高校に上がると毎日母のつくる弁当になり、ほっとした記憶がある。

 全国的に統一されていると思っていた給食は、想像以上の地域格差があった。過渡期を迎える今「食育の場としての給食を見直す時が来ている」と吉原さん。子どもたちが本当の意味での「豊かな食」に平等に触れられる機会が学校給食であってほしい。そのためには、子どもの立場に立った細やかな配慮が欠かせない。

 (飯盛結衣)

 

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