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あの人に迫る

西原さつき トランスジェンダーの生き方を支援する「乙女塾」の設立者

写真・五十嵐文人

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◆多様な性を認め皆が自分らしく

 男性として生まれ、今は女性として生きるトランスジェンダーのタレント、西原さつきさん(31)。自身の経験から「女性化」するための所作や発声法などを教える塾を設立。今年一月のNHKドラマ「女子的生活」では、トランスジェンダーの主人公の描き方などの指導にあたり、出演もした。性を越えて、自分らしく生きようとする人を応援している。

 ―ドラマでは、俳優の志尊(しそん)淳さんが女性として生きる主人公を演じました。トランスジェンダー(身体や戸籍上の性別に違和感があり、異なる性を生きる人)の指導はどうでしたか。

 ファッション業界で働く、見た目は美しい女性だけど、実は男性という主人公の作品でした。今までのトランスジェンダーを扱う作品と違って悲劇的なエピソードがなく、明るくコミカルに描いた点で斬新だったと思います。

 台本の一字一句の言い回しからチェックして、見て嫌な気分になる人がいないように、例えば、侮辱的なニュアンスを含む「オカマ」というせりふはやめるよう助言しました。さらに、主人公は恋愛対象が女性という設定。男性に見えないように、気持ちの表現や、ちょっとしたしぐさにも気を配りました。

 当事者の評判もよく、ドラマを見て家族に打ち明けたという知人もいて、うれしかったですね。家族にも、初めて褒められました。

 ―女性らしく見える所作やメークなどを教える塾を設立し、代表講師を務めています。

 二〇一六年に、女性化するための教室「乙女塾」を始めました。現実問題として、見た目のクオリティー(質)は、トランスジェンダーのライフクオリティー(生活の質)に影響すると思っています。女性と男性は骨格も違う。例えば、男性は体の中心軸に対して、手首や肘、膝などの関節が外側に向くけど、女性は内側に入る。これが男だとか、女だとか言いたいわけではなく、「かわいくなりたい」と思う人に、周りを納得させるための効果的なテクニックを伝えています。

 受講者の年齢は十代から六十代まで幅広くて、時代的に言えなくて結婚した、という既婚男性も少なくありません。時間に余裕ができて、考えた時に「自分らしく生きたい」といらした方もいます。子どもを連れた親御さんに「うちの子をよろしくお願いします」と頭を下げられた時は、責任の重さを感じました。

 ―自身は、性への違和感はいつごろからあったのでしょうか。

 物心ついた時からです。保育所で、水着の上半身がないことが嫌で。男女に分かれて整列する時は、先生が「こっち!」と言うまで動かない。自分を男だと思ったことはなかったです。

 小学生ぐらいまでは友達もいて、六年生では生徒会長をやり、周囲とうまくやれていたと思います。中学生になり、第二次性徴で身長が伸びて、体が男っぽくなったころからふさぎ込みました。むだ毛の処理も始めたので、親も様子がおかしいと思ったんでしょうね。「男らしくしなさい」とすごく言われました。十四歳、一番つらかったです。

 そのころ、ドラマ「3年B組金八先生」で、上戸彩さん演じる性同一性障害(性別違和感が強く、医学的に診断された疾患名)の生徒を見て、自分もこれだと確信しました。ただ、学校で女子に間違われるような振る舞いをするといじめられると思い、過度に男っぽくした時も。口数が減り、暗くなり、友達も減って…。自分を偽るのが得意になっていました。

 ―いつから女性として生きようと決めたのですか。

 大学の就職活動が転機になりました。

 高校生の時は、刻一刻と進む体の男性化を止めたい。でも、親にも先生にも友達にも言えないし、自分しか頼れる人がいない。早く自立したいと、親や学校に内緒で飲食店のアルバイトもしていました。親との関係はだんだん悪くなり、高校一年の時、家出。名古屋市内にあったLGBT(性的少数者)の人が集まるコミュニティー施設で寝泊まりしながら学校に行き、放課後は毎日アルバイトの生活。親には生存確認のメールだけ送っていました。

 大学に進んでから、顔にファンデーションを塗って、まゆげも描き、髪の長さは今に近い感じにしました。ただ、戸籍名が男性だったので服装はデニムにパーカ。中性的な格好でした。制服を着なくてよくなったので、精神的にはだいぶ楽になりましたね。

 大学後半、就職活動の時に、何よりもまず女性として働きやすい業界にしようと、偏見が少なそうなITやアパレル、美容関係に絞って活動しました。うそはつけないので、履歴書には男性の名前と、性別も「男」に丸を付けて、スカートにメークをして面接へ。賭けでした。

 結果的に、地元のウェブの広告代理店が採用してくれて。若い人が多かったからか、面接でも拍子抜けするほど体や戸籍のことは聞かれず、入社して営業職で三年働きました。トイレも健康診断も女性と一緒。名刺も女性名にしてくれて。二十四時間、女性として生活し、初めて「人間扱いされた」と感じました。他の人と同じように扱ってもらったのが良かったです。

 ―しかし、その会社は退職します。

 性別適合手術のためです。術後は半年間ほど、回復のため仕事ができません。迷惑をかけると思い、やめました。トランスジェンダーでも、手術が必要ない人もいます。私の場合は、ホルモン治療をし、さらに手術もしました。「やっと、悪夢が終わった」。手術が終わって目が覚めた時、そんな感覚が一番大きかったですね。全身気だるくて、動かず、きつかったけれど、うれしくて泣きました。

 帰国後に上京して、その年、タイで行われたトランスジェンダーの世界大会の「ミス・インターナショナル・クイーン」に出場しました。過去は偽れないと気が付いて、自分を肯定する生き方を見つけないと、幸せになれないと思ったから。外見は女性になっても、戸籍には昔の名前が残っていて、恋愛でも子どもを産めない事実を相手に伝えなければならないんです。一五年に特別賞をいただいたことが自信になりました。

 ―LGBTに関する講演や、モデルとしての活動もしています。

 活動の軸になっているのは、トランスジェンダーと呼ばれる人たちが、ごく普通に生活が送れる社会にすること。当事者にとっては、今はまだ生きにくい。仕事の受け皿がなく、就職活動で悩み、社会的弱者の人もいます。テレビなどがつくり出した「オネエ」タレントのイメージが強すぎて、「そうじゃないのに」と思っている人も多いです。

 あなたの隣の人が、当事者じゃないとは言い切れなくて。(性的少数者は)いないのではなくて、見えてないだけ。身近にいるという意識でいたら、自然と傷つける言葉は減っていくんじゃないかなと思います。

 今回のドラマでは、主人公の友人役で出演もしました。大勢の人に自分の思いを伝えられるエンターテインメントの力は大きい。今後は乙女塾を続けながら、女優の仕事にももっと取り組んでいけたらと思います。

 <にしはら・さつき> 1986年、名古屋市昭和区生まれ。男性として生まれるが、幼少期から強い性別違和を覚え、愛知県内の大学在学中から女性として生きる。卒業後、名古屋市内の広告代理店で女性営業職として勤務。2013年、26歳で性別適合手術を受け、同年、タイで行われたトランスジェンダーのコンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン」に初出場。15年に2度目で特別賞を受賞した。16年、女性らしいメークの仕方や所作、発声法などを教える「乙女塾」を東京都内に設立。LGBT関係の講演をするほか、モデル、タレントとしても活動。今年1月のNHKドラマ「女子的生活」では、トランスジェンダー指導にあたり、主人公の友人役で出演もした。夢は東京五輪で聖火ランナーをすること。

◆あなたに伝えたい

 身近にいるという意識でいたら、自然と傷つける言葉は減っていくんじゃないかなと思います。

◆インタビューを終えて

 「十四歳が、一番つらかった」。取材中、西原さんの声が一瞬、かみしめるように小さくなった。体の変化や性自認、性的指向の悩み、将来の不安…。LGBTと呼ばれる当事者に話を聞くと、思春期に孤立感を深め、将来を悲観したという人は少なくない。きっと、言い得ない苦しみがあったのだと感じた。

 正直、当事者を取材するたびに分からないことが増えていく。人それぞれ感じ方やとらえ方は違うし、性は人の数だけ多様だと実感する。だからこそ、簡単に理解はできないけれど、寄り添う姿勢は持ち続けたい。かつての西原さんのような子どもたちを受け入れる大人、社会でありたいと思う。

 (奥野斐)

 

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