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あの人に迫る

安田菜津紀 フォトジャーナリスト

写真・淡路久喜

写真

◆弱者の声を拾う写真の力信じて

 難民キャンプで抱き合う親子の笑顔、地雷が残る地で暮らす少女が黒板を見つめる真剣なまなざし。写真の撮影者は、国内外で子どもたちを通じて貧困などの社会問題を取材するフォトジャーナリスト、安田菜津紀さん(30)だ。現場に継続して通い、問題を抱えて生きる人々の声を伝え続ける彼女の原点を聞いた。

 −写真で伝えることを仕事に選んだきっかけは何でしたか。

 高校二年生のとき、カンボジアで人身売買された同世代の子どもたちと出会ったことです。その派遣プログラムに参加したのは、国際協力や人道支援に関心があったわけではなく、とても自分本位な理由からでした。中学時代に父と兄を亡くした私の中で、当時テーマになっていたのは「家族とは何か」ということ。人と人が一緒にいられる時間は限られているのに、なぜわざわざ傷つけ合うんだろうかと。日常の中でその答えにたどり着くのが難しかったんです。全く違う環境、価値観で生きる同世代の子の言葉や生き方に触れることで、答えがもらえるんじゃないかと思いました。

 −カンボジアでの取材は。

 貧困家庭に生まれ、人身売買された子どもたちは、売られた先で殴られたり蹴られたり、電気ショックで虐待を受けたりした過去がありました。それでも彼らが真っ先に語ることは、家族のことなんです。自分は施設で食べ物も寝る場所もあるけど、家族はどうしているだろうと。衝撃を受けました。自分以外に支えたい、守りたいという人がいると強くあれるし、人に優しくなれると思いました。自分も身近な家族や友人に優しさを配れる人間でありたいと。人として大切なことを教えてもらいました。

 −帰国後は。

 それまで遠くの国の輪郭のぼやけた問題だった貧困が、一気に私とあなたという関係性を結んだ、友達が抱えている問題になりました。こうありたいという姿を示してもらった彼らに、お返しができないだろうかと考えました。新聞社や雑誌社に電話をかけて、「カンボジアに行ったから記事を書かせてほしい」と頼みました。

 結局二つの雑誌が掲載してくれたのですが、同世代に読んでというには硬派でハードルが高かった。そんなときに教室でカンボジアの写真を見せていると「それ何の写真?」って普段話さないクラスメートも話し掛けてきたりするんです。写真はそれ一枚に力のあるもので、無関心を関心に近づけてくれる、最初の扉を開けてくれるものなんだなと思いました。

 −各地で子どもたちを中心に取材をしています。

 カンボジアに初めて行った時、子どもが社会の一つの指標だと、その表情を見れば社会が分かると思ったからです。社会のゆがみは、一番弱い立場にある子どもたちに向けられていきます。日本の子どもたちには、写真の中の子どもたちと自分たちとの違いだけでなく共通すること、つながれることを一緒に考えてみてほしい。双方が、写真を通して出会ってほしいと思っています。

 −取材場所やテーマはどう決めるのですか。

 私はテーマありきではなく、人ありき。基本的には人とのご縁で全ての取材が決まっていきます。具体的な出会いをきっかけに、その人の生活や抱えている問題を通して、社会を見ていく形です。

 例えばウガンダは、日本に留学に来ていたエイズ孤児の女の子がきっかけでした。休講になると、その子は「私は学びたいのに」と怒るんです。エイズで親を亡くすという厳しい経験をしてきた彼女の意欲や強さに触れて、彼女の生きてきた軌跡を知りたいと思いました。シリアやイラクに関しては、イラク人の男の子。世界のいろんな事情で親を亡くした子が集まるキャンプにボランティアで参加した時、仲良くなりました。東日本大震災の被災地の岩手県陸前高田市は、夫の両親が震災当時に暮らしていた街です。最初は取材というより捜索で入ったような状況でしたので少し特殊です。

 −取材相手に心を開いてもらうためにどんなことを意識していますか。

 あなたのことを知りたいんだと、言葉にして伝えること。そして現地の文化に対するリスペクトです。ローカル語はすぐ覚えるようにしています。例えば今の日本なら「三十五億」みたいに、絶対に笑ってくれる言葉をおさえたり。ただ子どもと話しながら学ぶので、ちょっとしたエラーがあるみたいです。例えば「車」と言いたいのに「ぶーぶ」って言ってる、みたいな。でもあなたの文化を尊重していますって百回言うより、行動で示したほうが心の距離が縮まります。

 それから、無理をしてもらわないこと。私たちの場合は締め切りがないといえばない。なので、自分のペースを相手にあわせることがしやすいんです。

 その人がその日のうちに語ることができなければ、次の日とか二日後に何げなくお茶をしながら話してみる。そのときにぽろっと語ってくれた言葉が、実はすごく本質を突いているものだったりします。例えば、陸前高田の仮設住宅でばあちゃんたちとお茶をのみながら何日か過ごした時、「そういえば震災起きてから魚一回も食べてないんだよね、海が怖くて」と話してくれました。写真って撮っていない時間のほうが圧倒的に長い。シャッターを切る前や合間のコミュニケーションは重要だと思います。

 −「取材は頂きもの」と著書に書いています。

 撮るんじゃない、撮らせていただく、いただきますの気持ちだと、先輩たちに聞かされてきました。それを忘れてしまうと、取材でお世話になった人たちを傷つけていくと思うんです。

 陸前高田市の一本松はすごく典型的で、当時の私は、これは希望の象徴だと思ってシャッターを切りました。でも義父に「これは波の威力の象徴以外の何物でもない、見ていてつらい」と言われて、はっとして。あのときはいただくという気持ちが抜け落ちて、自分が欲している希望を探ってしまっていたと思います。もちろんあの一本松を希望だと、支えにしてきた人もたくさんいます。ただやっぱり前向きな言葉は大きな声になりやすいんです。頑張ろうよ、明るくいこうって。そういう声が響くたびに、義父が追い詰められていくのがよくわかりました。義父はトラウマ(心的外傷)が激しくて、陸前高田を離れて県外にいたんですが、復興に携われていないからダメなんだ、明るくなれていない、前向きになれていない自分がダメなんだと。

 伝える仕事は本来、大きな声をさらに大きくするためではなく、声があげられない人たちの声を置き去りにしないためにあるんだと思うんです。代弁というとおこがましいけれど、撮った写真が、その人たちにとっての拡声器のようになってほしいと思います。

 −これから取り組みたい取材は何ですか。

 二〇〇八年から取材しているシリアですが、内戦で一〇年秋を最後に国内に入れていません。先日も子どもが犠牲になったというニュースがあり、やるせない気持ちでいっぱいです。いつか平和になったシリアを取材して、友人と一緒に過ごしたいと思います。

 <やすだ・なつき> 1987年、神奈川県生まれ。上智大卒。「studio AFTERMODE」(横浜市)に所属。カンボジアをはじめとする東南アジア、中東、アフリカで、貧困や人身売買、避難民、エイズなどの問題を取材してきた。東日本大震災以降は岩手県陸前高田市を中心に被災地の記録も続けており、漁業取材に伴い、1級小型船舶操縦士も取得。高校生を対象にした東北スタディーツアーも開く。2012年、「HIVと共に生まれる ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞を受賞。著書に「君とまた、あの場所へ シリア難民の明日」(新潮社)、共著に「ファインダー越しの3・11」(原書房)など。

◆あなたに伝えたい

 伝える仕事は本来、大きな声をさらに大きくするためではなく、声があげられない人たちの声を置き去りにしないためにあるんだと思うんです。

◆インタビューを終えて

 終始、心がぽかぽかと温かいインタビューだった。話に登場する安田さんの取材相手が置かれた環境はときに過酷で、現場に足を運んだことがない私ですら、胸が苦しくなってしまうような内容も含まれていたにもかかわらず、だ。

 その理由はきっと、安田さんが丁寧に選びながら紡いでくださった言葉にある。ひと言ひと言に、「私とあなた」という関係を結んで取材に応じてくれた本人へ、そして訪れた現地で暮らす人々への、思いやりであふれていた。「取材は頂きもの」と語る言葉がすとんと胸に落ち、その思いの深さに触れた気がした。

 (秦野ひなた)

 

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