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あの人に迫る

森一郎 哲学研究者

写真・由木直子

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◆日々の生活守る世界への愛必要

 3・11からもうすぐ七年。東北大大学院教授の森一郎さん(55)は、埼玉から移住した仙台でその衝撃を受け止めながら、その意味を哲学的に問うてきた。「自然」と「世界」といった大きな枠組みに則しつつ、「掃除」のような身近な営みにも目を向けるのが特徴だ。著書「世代問題の再燃 ハイデガー、アーレントとともに哲学する」(明石書店)の刊行を機に、哲学の知恵について聞いた。

 −二〇一四年に東北大に移り、昨秋には世代についての著書を出しました。

 哲学者ハイデガーとハンナ・アーレントに学んで「死と誕生」を年来の研究テーマとしており、生の終わりと始まりをつなぐものとしての世代にはかねて関心がありました。しかも3・11によって世代の問題が「再燃」したと思います。一方で東北沿岸部が津波に襲われて多くの命が失われ、町の復興・再建という世代間継承が課題となっています。他方で原発事故は住民の故郷を長期的に居住不可能とし、放射能汚染は千年単位で将来世代の負担となります。原子力発電は宇宙では普通に起こっている核分裂反応を地上で起こしてお湯を沸かす技術です。従来の発電方式とは異質な危険があり、私たちのすみかを脅かすものです。

 −「自然保護」ではなく、アーレントに由来する「世界への愛」が必要、と訴えています。その関連で、掃除にも注目しています。

 「世界」とは、人々が住み、共に行為する場所、人が制作した物からなる空間であり、具体的には町だと私は理解しています。世界はある世代の人々が生まれる前からそこにあり、彼らが去った後も存続します。地震と津波は自然現象として起こったことですが、世界は壊滅的打撃を受けました。圧倒的な力を持つ自然から、人間の世界を守ることこそ重要なのです。ただし、地上の自然を傷つけるほどの宇宙的猛威を振るうのが原発事故です。

 ここで日々の生活に目を向けてみましょう。近代では、家の掃除のように、賃金が支払われず、成果として残るものを生み出さない「家事労働」が、軽視されてきました。しかし、掃除しないと家の中はごみやほこりで住めなくなります。放置すれば建物も風雨の影響などで傷んでだめになります。これは自然による世界の侵食とみなせます。その意味で掃除は、世界を維持するために不可欠の「メンテナンス労働」なのです。かつてドイツの小さな町に住んだことがあり、住民たちが自分の家の窓をふき、庭をきれいにすることを通じて、美しい町並みを守っているのを見たことも、世界への愛について考えるきっかけになりました。このように日常の場面がそのまま哲学的思考の重要な現場になるということを、私は「日々是(これ)哲学」と呼んでいます。

 −世代論では、とりわけ「団塊の世代」を考察の対象としていますね。

 一九六〇年代生まれの私たちが「原発世代」であるのに対して、団塊の世代は原爆の爆発の直後に生まれ、冷戦下で核戦争の恐怖に脅かされつつ育った「原爆世代」です。近著ではこの世代の作家らの著作を分析し、そこに「世界の終わり」や「死んだら終わり」とつぶやくニヒリズム的傾向があることを見いだしました。しかし第二次世界大戦や3・11のような危機に見舞われたときこそ、世界が簡単には終わらないことに気付くことができるのです。そのしぶとさは、たえず新しい世代の子どもたちがこの世界へ生まれてくることと関連しています。

 −著書でも教育について論じていますが、教育が世代間で世界を継承する営みということでしょうか。

 アーレントの議論を踏まえて、教育とは既存の世界に新しい世代が参入し、古い世代に迎え入れられていく世代間の共同事業のようなものと考えています。そのため教育とは、大人たちが子どもたちに自信を持って「私たちの世界はこうなっている」と教えるという意味で、本来保守的な営みです。古いことを乗り越えて新しいことを始めるのは若い世代の役回りのはずですが、現代の教育改革では、ゆとり教育の推進と撤回、カリキュラムや入試制度が短期間で変わることなどに見られるように、古い世代がとにかく新しいことを試そうとして迷走を続けています。教育は本来、百年単位の長期計画であるべきです。実験をしてみてダメならまた変えるという姿勢では、教育に不可欠の権威が損なわれ、教育現場を荒廃させるばかりです。この場合の権威とは、教師が優れた教養や資質を示し、それに生徒が自発的に従うような関係のことです。校則で縛って無理に従わせたり暴力を振るったりする権威主義とは違います。

 −東京女子大では、チェコ出身の建築家アントニン・レーモンドの設計で一九二四年建造の貴重な近代建築だった「旧体育館」の保存運動に関わりました。

 残念ながら二〇〇九年に解体された旧体育館の問題は、大学の本質に関わるものであり、私に「世界への愛」の大切さを教えてくれました。人間は健忘症の動物ですから、「建学の精神」のような抽象的なものは、よすがとなる具体物がないと、時間の経過の中で風化し、失われます。社交館でもあった旧体育館には「品格ある社会性の涵養(かんよう)」という女子大創立者らの初志が宿り、世代を超えて継承されていました。

 −リニア中央新幹線への異論も表明しています。

 原発もそうですが、リニア建設には長期的な製造責任が伴い、将来世代に負債を残すからです。従来の新幹線技術でもかなりの高速度を達成できるのに、わざわざ地下に巨大な穴を掘ってどうするのか。工事で発生する残土や地下水の問題など、環境負荷も大きい。これからの時代、採算が取れるとも思えないのに、膨大な国費が投入(融資)されます。運転には膨大な電力が必要とされ、原発の稼働・新設は必至のようです。リニアは飛行機をまねるかのように磁力で車体を中空に浮かべて飛ばす技術ですが、電磁波の健康への影響には未知の部分があります。そもそも北陸新幹線が全面開通すれば、関東と関西は別ルートでつながります。ほぼ全世界が撤退している中、新技術を試すこと自体が目的となっているのはいただけません。

 中央道のトンネル崩落事故に見られるように、戦後整備されたインフラの劣化が目立っています。人口も経済も右肩上がりではない時代、新しい物を「作るために作る」よりも、既存の物をメンテナンスして生かすことが、知恵となってくることでしょう。

 −最後に、哲学することは森さんにとってどんな営みでしょうか。

 3・11のような悲運に見舞われれば、いや特段そうでなくても、生きているとつらいことが少なくありません。しかし、痛切な出来事を前にして「これは一体どういうことか?」と問いを発し、考え始めると、面白くなります。どんな悲しみも、それについて哲学すれば、愉(たの)しく考えられるようになります。大げさに言えば、救われるのです。哲学者ニーチェの言葉を借りれば、私にとって哲学はそんな「愉しい学問」です。

 <もり・いちろう> 1962年、埼玉県生まれ。東京大卒、同大大学院で修士号、博士号を取得。東京女子大教授などを経て現在は東北大大学院教授を務める。著書に「死と誕生 ハイデガー・九鬼周造・アーレント」(東京大学出版会、和辻哲郎文化賞受賞)、「死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性」(東京大学出版会)、訳書にアーレント「活動的生」(みすず書房、日本翻訳文化賞受賞)、ニーチェ「愉しい学問」(講談社)など。東京女子大在職時には旧体育館保存運動にも関わった。近現代哲学の研究に立脚しつつ、社会の多様な問題についても考察している。4月からは放送大のラジオ講義「現代の危機と哲学」を担当予定で、哲学を市民に開かれたものにすることに努めている。

◆あなたに伝えたい

 原子力発電は宇宙では普通に起こっている核分裂反応を地上で起こしてお湯を沸かす技術。従来の発電方式とは異質な危険があり、私たちのすみかを脅かす。

◆インタビューを終えて

 「人間は健忘症の動物」という言葉が印象に残る。被災者でなくても3・11を同時代で体験した世代である私たちこそ、「世界の終わり」の可能性に直面した衝撃を記憶に刻みたい。私たちの世界を守るためには、技術的にできること全ての実現を目指すのではなく、時には断念し、別の道を探すことが成熟の証しだろう。また、どんな悲惨な出来事についても長期的視点に立って考えられることが、哲学の効用の一つだということもわかった。常に自分を相対化し、快活に粘り強く問い続けること。短期的な実利の追求が重視される現代の日本でこそ、「愉しい学問」がより普及することを願う。

 (嶋崎史崇)

 

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