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あの人に迫る

井上章一 「京都ぎらい」著者

写真・黒田淳一

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◆洛中だ、洛外だ、醜い分断が横行

 京都では中心市街地(主に京都市中京区、上京区、下京区)を指す「洛中」、それ以外の地区を「洛外」と呼ぶ言葉が時に聞こえてくる。洛中の人々が洛外をやゆする実態を描いた二〇一五年のベストセラー「京都ぎらい」(朝日新書)。著者の井上章一さん(63)は世間が京都に抱きがちな「お高くとまったイメージ」に、舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込んだ。

 ―「京都ぎらい」を出版した経緯は。

 出版社に京都の本を書いてほしいと以前から頼まれていました。京都に関する本はほとんどが賛辞ばかり。他と同じことは書きたくない性分なので、悪口ならよいですよと。

 ―井上さんはいわゆる「洛外」の出身です。洛中への反感を抱き始めたのはいつごろですか。

 大学で京町屋の調査を手伝った時が決定的でした。京都市中京区、下京区の町屋の方としゃべる機会が多かった。その時に「えらそうな人が多いな」と。私が嵯峨(右京区)で生まれ育ったと伝えると「ああ、嵯峨のお百姓さんは昔よく肥をうちにくみにきてくれたんや」と言われたり。要するに田舎者とばかにされたんですよ。嵯峨と京都の中心部は六キロ程度しか離れていないのにもかかわらず、洛外の人間を見下す雰囲気を感じた。

 ただ、町屋調査は悪い思い出ばかりではなかったです。あるおばあさんの家の奥間が数寄屋造りっぽいなと思い、尋ねると「数寄屋いうたらお妾(めかけ)さんの家やないか」とやんわり否定された。後になって調べると、おばあさんの話が正しい。私は京大で建築を学んでいながら、その教養を持っていなかった。大学の勉強は世間では知られている事実から目を背けた勉強でしかないなと教えてくれた体験でした。以来、大学では教えてくれないが、世間では当たり前とされている事象を伝えることに力を入れてきたつもりです。

 ―「京都ぎらい」では京都では当たり前とされていても、府外では知られていない事実が多く出てきて興味を誘いました。

 僕はたいそうな発見をしたわけではありません。洛中の人は本を見て「ああ、その通りや」と思うはず。本には書いてないですが、京都三大祭りの祇園祭もそうです。一般の教育では「京都の祭り」と教えられます。でもそんなことは全然あらへん。平安時代から続く祭りですが、昔の人は感染症などがはやると街に汚れがあると考えた。それを矛なんかにひっつけて、洛外に出すという目的で、いわゆる「鬼は外」。京都ではなく、洛中に住む人のための祭りです。

 ―「京都ぎらい」は刺激的な本でした。批判もあったと察しますが。

 僕はパソコンを持たないのであってもほとんど耳に入ってませんし、気にしていません。お手紙をもらうことはありましたが、好意的な内容が多かったですね。洛外の方からはもちろん、洛中のおばあさんからは「この街に嫁いで四十年。言うに言われん苦労をしてきた。よくぞ書いてくれた」と喜んでくれました。

 「京都ぎらい」がヒットした要因は。

 僕は自分のやっていることが米国のトランプ大統領のようだと思う。ほっておけばいいようなことを書いて、分断をあおり立ててしまった。「洛中の人は自分のことを京都市民とくくってほしくないと思てるやろ、私が生まれ育ったJR花園駅(右京区)近辺を京都と思ってないやろ」と。それが世間的に面白いのだとすれば、トランプ大統領と私は変わらない。ただ、私も六十年以上、洛中の周りに暮らしています。考え方が洛内の人間みたいになってきていて自己嫌悪も感じます。

 例えば通っていた嵯峨の小学校にはプールがなく、夏は亀岡市の公営プールに行っていた。当時は本当に楽しみだった。無邪気で汚れのなかった井上少年は今や、「自分は嵯峨育ち。亀岡より街中や」と思ってしまいます。非常に卑しい。「京都ぎらい」は醜い人間になってしまったというざんげみたいなものです。

 ―京都の中心市街地は年々、観光地としての人気が高まっています。今の好況をどう感じていますか。

 なんでこんな現代的な街にくるんやろと思います。例えばイタリアのフィレンツェ市役所は七百年前に建てられた。日本で言えば鎌倉時代の建物を現役で使っている。ルネサンス期より前に建てられた住宅もあちらこちらにありますわ。フィレンツェの人は威張っていて、首都のローマを見下している。京都にも近い雰囲気がありますよね。

 でも僕はこれだけの歴史を守っているフィレンツェの人には威張る権利があると思います。京都の街中はどうでしょう。どう見てもマンションが立ち並ぶ現代都市ですよ。京都市は「歴史都市」と自称してフィレンツェと姉妹都市提携をしていますが、申し訳ない気持ちになります。

 ―京都市も古い街並みを維持しようと、建築物の高さなどに規制を設けてはいますが。

 欧州の古い街と比べれば規制でもなんでもないです。二〇一六年の地震で多くの建物が倒壊したイタリアのアマトリーチェは、耐震補強しようなんて思わず、前と同じようにれんが造りの同じ建物を造り直しています。安全性よりも歴史への執着が勝つ。それを見て私は頭が下がります。

 京都の河原町通りを見てください。周囲の空気を読んでいる建物はほとんどありません。パリのオペラ座の周りは全部の建物が同じように統制されているんです。よく日本人は自己主張をせず、欧州の人々は我が強いと言うが建築に関しては真逆。歴史都市京都の方がエゴイズムの塊に映ります。京都は戦時中にほとんど空襲被害を受けなかったのにもかかわらず、現代都市の道を選んだわけです。

 ―シャチホコについて書かれた著作もあります。名古屋の街についてはどういう印象をお持ちですか。

 僕はやはりシャチホコに感動しました。十五年ほど前に名古屋を見て回ったのですが、市役所の方のバッジやマンホール、学校の校旗にもシャチがいる。守山の自衛隊は駐屯地の門に金シャチが置いてあり、普通の戦車なら日の丸をつけている場所にシャチのマーク。ここの自衛隊は国ではなく、何を守っているんやろうかと思いましたよ。冗談はさて置き、国連平和維持活動(PKO)ではシャチをかたどった記念バッジを国連やイスラエルに配っているとも聞いた。大阪の人が通天閣やたこ焼きをシンボルマークにしていないように、こんな都市は日本にないですよ。街全体が押しつけでもなく、一つのマークでみんながまとまって気持ち良くなれる。素晴らしいことだと思います。

 ―今、興味を持っているテーマはありますか。

 裸体画の研究です。日本は明治期に裸体画が西洋から入ってきて、警察がわいせつ物扱いをして取り締まろうとするわけですが、現代は芸術として認知されています。ただ、私は小学校の時に有名なある裸体画を見て、少なからず興奮を覚えた。今では同じ絵を見ても何とも思わない。少年時代の私は間違っていたのか。私は芸術という価値観に汚染されたのではないかと。裸体画が芸術として認知されるまでのメカニズムを追求したいですね。

 <いのうえ・しょういち> 1955年、京都市生まれ。臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺などが有名な嵯峨で育った。京都大工学部建築学科卒、京大大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。京大人文科学研究所助手を経て、2002年から国際日本文化研究センターで教授を務める。現在の専門分野は風俗史。著作に「美人論」(朝日文芸文庫)、「名古屋と金シャチ」(NTT出版)、「京女の嘘」(PHP新書)、「京都ぎらい 官能篇」(朝日新書)など。研究対象は建築、風俗、近代日本文化史など幅広い。インターネットは使わず、現地に足を運んで研究対象の情報を仕入れる。阪神タイガースの大ファン。京都府宇治市で妻と2人暮らし。

◆あなたに伝えたい

 今や、「自分は嵯峨育ち。亀岡より街中や」と思ってしまいます。非常に卑しい。「京都ぎらい」は醜い人間になってしまったというざんげみたいなものです。

◆インタビューを終えて

 昨夏、先斗(ぽんと)町の茶屋で京都の夏の風物詩「大文字焼き」について妻と話していると、隣に座っていた身なりのいい男性から訂正が入った。「あれは先祖の霊を送り出す『五山の送り火』と言うんや」。井上さんにその話をすると「野外劇となりつつあることに抵抗してはるんですよ。嵯峨でもあれは『大文字焼き』」。心地よいインタビューだったのは自分が三重県出身のよそ者だからか。それだけではない。鋭い言葉で楽しそうにしゃべるため、ジメジメした感情を聞き手に抱かせない。広く知られていない事象を世に発信しようとする、研究者の純粋さが根底に感じられた。

 (深世古峻一)

 

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