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あの人に迫る

上岡敏之 新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督

写真・由木直子

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◆音楽の輸入より日本から発信を 

 日本では、欧米のコンクールで評価を受けた演奏家ばかりもてはやす。ドイツで指揮者としてのキャリアを積み、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督として戻ってきた上岡敏之さん(57)は、コンクールとは無縁の異色の存在だ。なぜ、クラシック音楽は「敷居が高い」のか? もっと素直に楽しむには…。さまざまな疑問をぶつけた。

 −芸大を卒業してホテルに就職したそうですね。

 全く(音楽の)仕事がなくて…。帝国ホテルのフロントで働きました。芸大にも、いろいろな求人が来るんです。ピアノ科の卒業生にしても、全員がピアニストになれるわけじゃない。四年か五年に一人出ればいい方です。

 でも、フロントの仕事は楽しかった。さまざまな人間模様が見られますから。音楽家もよく来ます。当時は出入りのたびにフロントでルームキーを渡すのですが、自分の部屋番号も言わずに、「おれの名前を知らないのか」って態度の人もいました。それが(一般には)評判のよい人だったりするわけです。宿泊客の八割が外国人でしたが、たちの悪いのはむしろ日本人。ホテルに来ると突然、えらそうになるんです。自分はこうはなりたくないなあって…。いい人生勉強になりましたよ。

 −その後、ドイツへ留学したきっかけは。

 たまたま奨学金に受かったんです。芸大でもアルバイトをしていましたが、自費で海外へ行くなんてとてもできない状況でした。

 ハンブルクの音大で講師になり、教授の話もあったのですが、恩師がキールの劇場の音楽監督になった時に勧められて、(ピアノを弾いてオペラ歌手を指導する)コレペティトールに。でも、教授に比べれば給料は五分の一ぐらい。父が映画の仕事をしていた影響もあって、舞台芸術にひかれたのでしょう。

 以来、僕の指揮するオペラを聴いた他の劇場の支配人や音楽監督から「うちの第一指揮者に…」とか「音楽監督に…」と誘われ、結果的に引き受けてきたので履歴書を書いて応募したという経験がありません。

 ただ、芸大では周りから「おまえは駄目だ」みたいに言われていたので、最初は、指揮ができないんじゃないかというトラウマ(心的外傷)に悩みました。

 −欧米のコンクールとも無縁ですね。

 日本人でコンクール受賞歴のない音楽家は、たぶん僕だけでしょう。僕みたいなタイプは、普通は(指揮台に立つ)チャンスがないわけです。コンクールで誰が一位だったかなんて、ドイツでは気にかけない。(もてはやす)日本は異常だなと感じます。逆に、可能性のある人を(コンクールの優勝歴がないという理由で)排除して、音楽の世界を小さくしている。悪いビジネスセンスなのでは…。

 −結局、上岡さんも、欧州で実績を残してから日本のオケに招かれた。

 受け身ですよねえ、日本は。最初から、こんないい若い人たちがいるんだって海外へ発信すればいいのに…。輸出しないんですよ。こんなことを続けていたらクラシック音楽はずっと輸入品で終わるんです。バッハもベートーベンもブラームスも、別にドイツ人のためだけに音楽を書いたんじゃないのだけど。

 こうして日本へ戻ってこられたのは幸せですけど、別に自分が昔と比べて変わったわけでもありません。それなりの経験は積みましたが、音楽性ってそんなに変わるものではない。今になって評価されること自体が何かぎくしゃくしているなあって…。残念な気もします。

 −音楽ファンも、自分の耳で聴いて判断するより、雑誌やネットの情報に振り回されているのでは。

 日本の輸入文化の弊害と言うのでしょうか。日本では、欧州で評価されたのだからそれはいいんだ、と決めてかかってきます。本当にその人にとっていいかどうかは別ですよね。韓国の辛いキムチが自分の口に合うかどうかわからないのと同じじゃないですか。

 先日、飛行機の中で医師のランキングが載った雑誌を目にしました。大都市の何とかさんがずらっと並んでて。じゃあ、田舎の町の良心的なお医者さんはどうなるんだと。自分にとって本当にいい医師とは、信頼できる人のことですよ。そんなランキングなんて、製薬会社が絡んでいるのではないですか。もちろん音楽も競争じゃありません。

 −ノーベル賞を日本人が受賞すると大騒ぎになりますが、明治維新以来、欧米に追いつきたい、認められたいという意識が日本は強かったのでしょう。

 自分が本当にいいと思ったものを好きだと言うのではなく、皆がいいと言っているものをいいと。日本の国民性の負の面のように感じます。子供のしつけなどには日本にしかないいい面もありますが、自分の本当の思いを口にしちゃいけないみたいな雰囲気はやはり望ましくない。

 −受け身の姿勢は、演奏会でも感じますか。

 自分の家で聴いているCDと同じような演奏を期待するのなら、自宅でCDを再生した方がいいですよ。演奏会では、生身の人間が演奏します。同じ曲を取り上げるにしても、聴き手を含めてその場の雰囲気は日によって違うわけです。そこにしかない音楽を、聴き手と一緒につくっていく。それで初めて曲が音として完成します。

 聴き手がその場のライブの感動を味わうより、何か習い事をするように音楽に接しているのでは。

 ワーグナーのリング(上演に四晩かかる楽劇「ニーベルングの指環」)を、お経のように聴くのが日本人です。ドイツ人にとっても難しい古いドイツ語で書かれていて、(一般には理解できない)ドイツ・ラテン語も入っているのに、日本人は何時間も静かに座っている。聴いてなくちゃいけない、みたいな。自分の心を閉ざしている。これでは(その場の音楽づくりに主体的に)参加しているとは言えません。

 敷居が高いって言われるけど、常に批評家のように聴かなければいけない、とでも考えているのでしょうか。他人と違った感覚を持っていいんです。同じメロディーを聴いても、隣の人と同じ受け止め方をすることはあり得ない。一人の人でも聴く時間や聴く状況によって、同じ曲に違った印象を持つはずです。

 −昨秋の演奏会で、リングの中の葬送行進曲を取り上げていましたが、よくやられるような音と音との間のわざとらしい間(ま)がなく、新鮮に感じました。

 作曲家が楽譜にそう書いていないのに、演奏しやすいように勝手に変えられてしまった「演奏トラディション(伝統)」の問題があります。僕は作曲家が書いていないことをやらないだけです。作曲家が何としても伝えたかった気持ちを楽譜から読み取り、最大限に表現していく。もう一度、一からやり直す作業は、ドイツ音楽の場合ならドイツでは難しく、(トラディションがしみついていない)外国である日本の方がむしろ可能かもしれません。

 <かみおか・としゆき> 1960年、東京生まれ。東京芸術大でマルティン・メルツァーに指揮を師事。作曲、ピアノ、バイオリンも学ぶ。ホテル勤めの後、ロータリー国際奨学生としてドイツ・ハンブルク音楽大に留学。クラウスペーター・ザイベルに指揮を師事。独キール市立劇場ソロ・コレペティトール、ヘッセン州立歌劇場音楽総監督、北西ドイツ・フィル首席指揮者、ザールランド州立歌劇場音楽総監督、ブッパータール市立歌劇場インテンダント(総裁)兼音楽総監督などを歴任。2016年から新日本フィル音楽監督。コペンハーゲン・フィル(デンマーク)首席指揮者、独ザールブリュッケン音楽大指揮科正教授も務める。

◆あなたに伝えたい

 自分が本当にいいと思ったものを好きだと言うのではなく、皆がいいと言っているものをいいと。日本の国民性の負の面のように感じます。

◆インタビューを終えて

 三十歳になる前、五年間勤めて辞めた会社の退職金などをためて、ウィーンで三年間、勉強した。毎日の食事を昼の一回に限った貧乏暮らし。でも、当時約百二十五円だった国立歌劇場の立ち見席へは毎晩、足を運んだものだ。そのころ、ドイツの地方劇場で地道に仕事をしている日本人がいると話題になりだしたのが、上岡さんだった。

 上岡さんは、芸大時代からの一日一食の生活が今でも習慣になっているという。空腹はつらいが、せめて心を満たそうと、もろもろの感覚が研ぎ澄まされる。何となく内向きと言われる世の中。時には冒険に踏み切ることの大切さを思い出した。

 (嶋田昭浩)

 

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