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あの人に迫る

井上八千代 人間国宝 京舞井上流五世家元

写真・黒田淳一

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◆時代ふまえつつ 京舞の伝統守る

 ♪都をどりは、よいやさぁ。京都五花街の一つ祇園甲部。その芸舞妓(まいこ)による、こんな掛け声が聞こえだしたら京都は桜真っ盛り。柳桜のうちわを手に、青い着物の芸舞妓が一糸乱れず舞うその舞は、江戸から二百年以上続く京舞井上流。皇室ゆかりの近衛家に仕えた初代から数え五代目の、人間国宝・五世井上八千代さん(61)は「時代に合わせ変わりつつ守っていくことが大切」だという。

 −祇園甲部の春公演「都をどり」。感じ入りました。遷都で京都衰退が危ぶまれる中、生まれたとか。

 遷都で寂しくなりましたことで、新たな物が京都にたくさんできました。辻(つじ)々のお地蔵さんのあったところが公衆便所に変わったとか。小学校、電灯ができたり。そんな中、にぎにぎしく京都博覧会(一八七二、明治五年)をしようと。その付博覧(つけはくらん)、今でいうイベントとして都をどりを、ということになったようでございます。海外からのお客さまをご接待するためでもあったようで、別名、チェリーダンスという呼び名も初めからです。

 伊勢の古市にある亀の子踊りをモデルに芸妓の総踊りのようなものができないかと。三十代の三世八千代に白羽の矢が立った。亀の子踊りというのはまあ、芸妓の顔見せみたいなことのようでしたね。中二階のとこで、うちわを持って出た芸妓さんが入れ違うという。それを参考に、柳桜のうちわをもった芸妓が出て舞うということにしたそうです。

 都をどりを始めた三世が、よう『(討幕派と幕府軍が市街戦を繰り広げた一八六八年の)鳥羽伏見の戦いの時は、武具を持った人が外を歩かはる音がよく聞こえた』と言っていたそうです。長らく都であったがために決していいことばかりではなく、焦土と化すようなことは、たびたびあったわけで。その都度、立ち直ってきたのが京の都であったんやろうと思いますね。

 −そういう時代をくぐり、続いてきたんですね。

 初世(しょせい)八千代は近衛家の片隅にでも行儀見習いで置いていただいたんかなと思っております。宿下がり(親元に戻り)しまして。その後、舞に専念するようになって。後に二世になる姪(めい)とともに井上流の土台を作りました。初世と二世に弟子入りしました三世の孫が私の祖父です。祖母である四世は、三世の内弟子に入って、その後、祖父と結婚しまして。そのまま、この家で満の九十八歳まで暮らしたということなんです。

 −その四世を師匠に、三つで京舞を始めた。四世が亡くなるまで、同じ部屋で寝起きを共にしました。

 初めは、あやしあやししてもろうて。ちょっと大きなってもアイスクリームのご褒美にひかれて、お稽古してるようなことでしたけどね。小学校に上がる前、ちょうど三世の追善会があったんですね。私も一番舞わしていただいて。その時のおさらいの時、いきなりものすごく怒られました。それ以降は、怒られどおしです。お稽古してもろてる時に、ふっと気が抜けたときなんかもう。「何考えてんのか」「おいど(尻)が下りひん」と、お尻をたたかれたりもしました。

 厳しい人でしたけども、生まれたてのみずみずしさと、大地に根のはえたような力強さを併せ持つというか。生命の力っていうのを、舞台の上に、小さな体で見せてくれた人であったと思います。

 −井上流は「おいどを下ろす」と呼ぶ腰の落とし方と体の芯を残す振りの少ない舞で感情を表現します。バレエと対照的な「不動の動」が特徴ですね。

 都をどりのように井上流の中には、すごく手の細かい忙しいものもあるんです。極端な例が動かないもので。ただ、井上流らしさというのは、ただ静止しているだけではない。動ける体をもって、動かないでいたいなあという気持ち。力をためる、と言いますか。どっちへ行きたいか。どう向きたいと思っているか。じっとしている時に伝わるって言うんでしょうか。

 大きな動きというか、すごく足を運ぶ瞬間もあります。通っている道が直線であったり、曲線であったり。線に見えるか。ある瞬間は空気を切り取るぐらいの鋭さがあったり、逆に芯は堅くても、くるむ空気は柔らかかったりというようなことですね。身一つで、その場の空気のようなものをつくれる技術を、磨きたいと思っております。

 −時代に合わせていく必要があるとお考えですか。

 京舞によくある地唄(三味線音楽)は「めーでーたーいな」みたいに、「めでたいな」と一言で言う、お江戸の弾み、みたいなものが、ないわけですわ。じっくり味わっていただければ、それはそれで面白いのかなと思いますけれども。今の映画や演劇を見ていても、テンポが、どんどんどんどん早回しになっていってる。若い人には、すぐ答えの出るもんというのがいいでしょうし、それは決して悪いことでないと思うんです。

 本来五十分のものを、少しつづめて三十五分ぐらいに刈り込むとかの方が、喜んでいただける場合もございます。ですけど丸ごとする機会もあり、簡単な言い方をすれば省略型もご覧いただくと。両用していかないといけないと思うんです。

 −三年前にはボレロとの融合も試みました。

 ボレロ? えーって思ったんですけど泉涌寺(せんにゅうじ)(京都市)さんで、ということでひかれてしまいまして。高貴な方のお墓なんかがあり、そよぐ風も独特なものがある。私は大好きで。

 井上流の、ごく地味な地唄舞の始まり方と合うかなと。お寺の持つ力を借りて、周りの風や木々、大自然に囲まれる自分というイメージで、させていただきました。音の盛り上がりに呼吸を合わせていく楽しさ。屋外で舞う開放感も味わわせていただきました。これからも、新たな可能性みたいなものを実験させていただければいいかなと思っております。

 −これからも可能性を探っていくのですね。

 やはりどこかで京舞はいいな、と思っていただきたい。これからも若い方々の踊り、舞を見してもらって。多くの方々に喜んでいただくことも考えながら、京舞の伝統をつないでいくべきなんでしょうね。

 世界から日本へ人がやってこられるこの世の中で、今のままでいいのかなとも思います。時代に合わせて三味線音楽でないもの、例えば、よその国の曲や芸能と、どうつながるのかと。予想外のことがあるかもわかりません。

 いろいろ難しいことのある中で、東アジアの方たちと日本が手を携えるには、やはり文化交流と違うかと。もっとよその芸能を見せていただき、音楽を聴かせていただき、その中で、日本の舞を舞うことができないかなと思っております。

 <いのうえ・やちよ> 本名・観世三千子。1956年、京都市生まれ。父は能楽シテ方観世流の人間国宝・故片山幽雪(ゆうせつ)氏。京舞井上流家元の四世八千代(本名・片山愛子)の孫にあたる。3歳で井上流に入門し、四世を師匠に稽古を始める。75年、芸舞妓に舞や邦楽、茶道などを教える「八坂女紅場(にょこうば)学園」(京都市)の教師となる。京都の花街の一つ・祇園甲部の春公演「都をどり」の指導を続けている。99年、日本芸術院賞。2000年、43歳で五世井上八千代を襲名する。13年、紫綬褒章。15年、人間国宝。16年、東京新聞舞踊芸術賞。現在は、京都造形芸術大(京都市)教授や、公益社団法人日本舞踊協会(東京)常任理事も務める。著書に「京舞つれづれ」(岩波書店)。

◆あなたに伝えたい

 時代に合わせて三味線音楽でないもの、例えば、よその国の曲や芸能と、どうつながるのかと。予想外のことがあるかもわかりません。

◆インタビューを終えて

 京都に着任した昨春。早速「都をどり」を鑑賞する機会にあずかった。京舞とは、という基礎知識も欠いていたが、芸舞妓の手ぶり身ぶりからは、春の訪れに対する喜びのようなものが伝わってきた。今のままでも、鑑賞の機会さえ増えれば魅力を感じる若い人もいるはずだ。

 それでも井上さんは変わっていくことをいとわない。都をどりがチェリーダンスと呼ばれ、外国人客を意識したものであったのと同様、井上流を、外国の音楽などと融合させることに目を向ける。京都は今、外国人観光客であふれている。あらゆる国の人々を引きつけ続ける京都生まれの伝統芸能だからこそ、これからも国境を超え進化を遂げていくだろう。

 (勝間田秀樹)

 

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