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あの人に迫る

藤原辰史 京大准教授

写真・伊藤遼

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◆戦争させぬよう暮らし方変えて

 「戦争は、防衛を名目に始まる/戦争は、兵器産業に富をもたらす/戦争は、すぐに制御が効かなくなる/生命は、誰かの持ち駒ではない/血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい(抜粋)」。安保法案への反対の声が高まった二年前、京都大の研究者らが発した声明に、ネット上で共感が広がった。その声明づくりで中心となった京大准教授の藤原辰史さん(41)の専門は農業技術史。トラクターや化学肥料が戦争に転用されるなど、私たちの暮らしと戦争が根深く絡み合うことを解き明かし、戦争をさせない暮らし方を模索する。

 −なぜ農業、特にトラクターに着目するのですか。

 私は農家出身で、原初体験は祖父の怒鳴り声だった。トラクターは小学生の目にはかっこいい。乗りたいと近づくと「あぶない」と。危険なものだとたたき込まれた。大学院に入り、ナチス時代の農民生活を知ろうと当時の新聞を調べると、トラクターの広告がいっぱい出てきて、その研究に夢中になった。

 −農業技術はどのように戦争へ転用されたのか。

 農業用トラクターは一八九二年に誕生した。第一次世界大戦で隠れて撃ち合う塹壕(ざんごう)戦が始まると、戦争が膠着(こうちゃく)した。そのとき、トラクターを戦場で使うアイデアが出て、その研究が戦車の開発につながった。戦車はトラクターなしでは誕生しなかった。第二次世界大戦では、トラクター工場で戦車がたくさん造られた。

 また、化学の力で空気中の窒素から窒素肥料が作れるようになった。その窒素を肥料に変えていく技術は火薬作りにも使えた。大量に肥料を作る過程が、大量の火薬を作ることと重なり、大量の火薬を使う大型爆弾や機関銃が生まれた。

 戦争で使う毒ガスは、逆に農業に転用された。毒ガスは、第一次世界大戦で塹壕から敵をあぶり出し、戦意を喪失させるために作られた。呼吸を止め、皮膚をやけどのようにただれさせ、血液に作用して体に酸素を取り込めなくする。第一次世界大戦で米国が血液に作用する青酸ガスを大量に作ったが、終戦後に余った。それが南部の綿花畑を荒らす害虫の駆除に転用された。人間を生かすための農業技術が、人間を殺す戦争と密接に結びついている。

 −農業技術や兵器は、人間を変えましたか。

 昔と今の戦争は根本的に違う。昔は人を狙って撃ち、命を奪う強い感覚が人を縛り続けた。ところが、第一次世界大戦で活躍した機関銃は、特定の人を狙うことなく人々をなぎ倒した。今はモニターを見てボタンを押すと、敵を画像の中で爆破でき、非常に軽率に人を殺せる。自然や敵を抽象化し、早く大量に手を加えていくという行為の根っこは、戦争も農業も同じ。人間は技術を使って自然を改変し生きていると思っているが、実は技術によって人間は使われている。

 戦争がなければこういう転用は起こらなかった。戦争に勝つため巨費がかけられている技術なので民間転用しやすい。私たちの便利でスマートな生活を支えているのは戦争であることは間違いない。一方で、戦争で発展した技術で生きて本当に心地よいのかという問いも立てねばならない。

 −今の民主主義、資本主義がフェアで幸せを生み出しているか疑問だが、ほかの制度があるかというと難しい。安倍政権を批判する先にどんな世界を描くか。

 自分たちの生活は肉体レベルから資本主義に縛り付けられている。まず自分の感覚的な違和感を発見することが必要だと思う。そのうえで個々人が生きやすいように仕掛けを作り直していくことが必要だ。その仕掛け作りこそ政治だ。

 私が日本政治にメッセージを発しようとしたのは、考え抜いた結果というより、生理的に受け付けなかったから。ナチスには「指導者原理」という考えがある。指導者には一も二もなく従えと言って議論を否定することで、できるだけ早くものを動かそうとするシステムだ。ナチス研究者がそれを知っていて、現代政治の稚拙な決定の仕方に何も感じないのはあり得ない。

 民主主義は機能不全に陥っている。金利がずっとゼロなのは、人間がお金に価値を見いださなくなっているから。常に右肩上がりを求める資本主義のマーケットは、欲望がないと死に絶える。いま資本主義の延命措置のために、私たちは「もっと欲望せよ」とカンフル剤を打たれ続けている。本来は売ってはいけないものもたくさん売られている。人間も売られ、内臓まで切り売りされている。そして、武器。武器を売ってもうけたい、それで株価を上げ経済を活性化したいと考える人が、世界の政治の中枢に居座っている。今の政治は欲望が消えた世界で、欲望をもう一回作ろうとしている人たちの悪あがきだ。資本主義を守ろうという悪あがきが私たちを苦しめている。あがいているのは富を持っている人たち。富は増えていくという幻想がまだ彼らにはある。彼らはルールさえ変える。競争社会は出来レースになっている。最初から圧倒的な資本を持っている人がいるえせ競争社会がひずみを生んでいる。悪あがきする人たちは触れてはいけない部分にもどんどん触れている。反発を抑えるため、人々を守るためだと偽って監視し、言論の自由も規制する。

 −未来像はどうなる?

 次々に新しい商品を作って消費する悪循環に私たちは組み込まれている。それとは違う、自分たちが好きな人のため仕事ができるようにする仕掛けづくりが必要だ。英国在住の保育士でライターのブレイディみかこさんの本に、貧しい保育園で食事を作るスーザン・ボイル似の女性が登場する。彼女は精神障害があり、体臭がきついが、料理がすごくうまい。みんながもっとほしいというと笑顔になる。でもけなすと暴れる。おいしいと言われることが自尊心になっている。

 これは譲れないという自尊心が人々に認められる社会が住みやすい。過度な競争の中で、生き方も過度に制限されている。自尊心があれば画一的な競争から降りていきやすい。みんな一緒ならもっと降りやすい。

 これからの時代は雄弁に天下国家を語るより、地域で新しいモデルを作ることが大切だ。地域でやっていることをかっこいいと思ってもらえれば、自然に広がっていく。私も滋賀で地域の活動に参加している。放射能に汚染された地域の子どもたちの保養キャンプをしたり、政治に関する意見交換をしたり、ゆっくり読書会をしたり、どの集まりも活発で楽しい。自分たちが楽しんでいないと他には伝わらない。同じような動きが各地にある。似た考えを持つ人のネットワーク作りが活発化している。

 −それが戦争しないこととつながる?

 お金への欲望が弱まる中で、武器を売ることに突破口が見いだされている。それは戦争に陥りやすい国だ。軍事産業は一方でたくさんの生活物資も作っている。カンフル剤によって生かされたくないと考える人たちのネットワークは、そういう製品をできるだけ使わないように助け合って暮らしている。巨大な経済の大量生産システムでは生きづらい人たちが結びつくことで、軍事産業の土台をちょっとずつ、しかし持続的に弱らせる戦略を私たちはとっている。

 <ふじはら・たつし> 1976年北海道生まれ、島根県で育つ。99年京大総合人間学部卒。京大大学院人間・環境学研究科中退、東京大講師を経て、京大人文科学研究所准教授。農業や食が軽視されている現状を問題視し、「食べること」を主軸にした学問の再構築を提唱する。戦争もテーマにする原点は小学生で訪れた広島の平和記念資料館。皮膚が焼けただれた人形や写真を見て「何でこんなことを大人はやるのかという感覚が、今も残っている」。子どもが生まれ「戦争はどういうメカニズムで起こり、人々が巻き込まれていくのか知りたい」と強く思うように。今年「戦争と農業」「トラクターの世界史−人類の歴史を変えた『鉄の馬』たち」の2冊の新書を出版した。

◆あなたに伝えたい

 今の政治は欲望が消えた世界で、欲望をもう一回作ろうとしている人たちの悪あがきだ。資本主義を守ろうという悪あがきが私たちを苦しめている。

◆インタビューを終えて

 「今のシステムを変えて、誰もが楽しく生きられるほうがいい」と藤原さん。私は「楽しく生きるとは」と尋ねた。漠然とした質問に戸惑いながらも、「楽しさは、森さんと私の間に存在して、炎のように燃えさかる。人間と人間、人間と自然の間に起こる即興的なやりとりの活発化が楽しい」と答えてくれた。

 取材中ずっと笑顔で、つたない問いにどう答えるか考えを巡らしてくれた。大学の外と触れ合うのが、本当に楽しそう。地に足を着け、柔軟に人々と交わることで思索を深める。自身の思想の通り、短期的な研究成果を求める時流を離れた、豊かな研究生活だと感じた。

 (森耕一)

 

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