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あの人に迫る

友枝康二郎 移住アドバイザー

写真・野村和宏

写真

◆大自然に囲まれ 不便楽しみ生活

 都心からの移住先として人気が高い八ケ岳のふもと、長野県原村に、移住者のカリスマがいる。二十九歳の時に脱サラして都内から週末移住し、東日本大震災を機に完全移住に切り替えた移住アドバイザー、友枝康二郎さん(59)。都会に暮らす老若男女の心に火を付ける人生観を知りたく、紅葉が目にまぶしい山麓を訪ねた。

 −脱サラして八ケ岳に暮らし、三十年。社会の変化は感じますか。

 この別荘地に二十九歳でログハウスを建てた時、手入れされていない木がうっそうとして、うらぶれていて、住民もお年寄りばかり。まるで姥捨山(うばすてやま)。その分、土地は安かった。坪一万円。三百十坪を三百十万円で買った。当時は、定年後の別荘住まいが一般的で、若くして暮らすのはよほどのボンボンだけ。

 いま移住してくるのは普通のサラリーマン。定年後の別荘ライフではなく定住型で、一番多いのは三十代の子育て移住。名古屋からも多い。沿岸部に住んでいて、南海トラフ地震から逃げてくる。

 −なぜ、二十九歳の若さで別荘を。

 熊本郊外の田舎から、東京にあこがれて上京し、イベント企画や店のデザインなどをする会社で、寝る間も惜しんで働いた。

 気付いたら、十人ぐらい部下がいた。会社が少しずつ大きくなり、僕に管理職に回れと言う。それまで好き者の集まりで、社長がお山の大将だったのに。なんかちょっと違う。会社でやり尽くした感もあったから、「三十にして立つ」じゃないけど、「つまんないから辞めます」って。

 僕はトップデザイナーだったから、すごく引き留められた。毎日幹部に飲みに連れ出され、社長にも呼び出されて。「元の会社に戻してくれないといやだ」と直談判したけど、もちろん無理。結局、五年でつぶれちゃったな。

 この辺にはよくツーリングで来ていた。別荘を持っていたら、テントを張らなくていいなって。独立記念にログハウスを建てた。

 −五十三歳まで週末移住の日々。そこに東日本大震災が起きる。

 3・11で、きれいに仕事が無くなった。販売促進など複数のコンサル契約はゼロに。しばらく新規の仕事も無理だろうと。放射能の心配もあったし、家族と一緒に暮らせば、お金もいらない。

 ただ、こっち来て、やることがない(笑)。毎日写真をバンバン撮って。「夕日がきれい」「ご飯がおいしい」とブログに書いていたら、「あんたみたいな生活をしたいんだ」と人が訪ねてくるようになった。

 −田舎暮らしの不安は仕事や病気ですか。

 仕事はある。エプソンのおかげでIT系は多いし、観光、農業、飲食も。そば屋やパン屋さんとか。病院は、諏訪日赤や諏訪中央など大きな病院が四つもある。

 よく「できない理由」を述べる人がいる。階段を上がれなくなったら、車の運転ができなくなったら、車いすになったら…。そんなに心配なら、都会にいたほうがいい。車いすに乗りたくなければ、よく散歩して、体鍛えて。運転が不安なら、今から知り合いをたくさんつくっておかなきゃって。「ちょっとそこまで送ってってよ」と言えるような。そのころには、車も、自動運転が常になっているだろうけどね。

 −移住者は、みな富裕層ですか。

 新築で建てると土地代込みで四千万円ぐらい。皆さん、三十年ぐらいのローンを組む。中古でサマーシーズン専用の別荘を買っても冬が越せない。手を入れるなら新築のほうが安い。

 大阪から来た三十二歳の人が、二千万円までしかローンが組めないと相談に来た。手取り十五万〜十八万円で、いまは家賃に五万円弱払っていると。「家は建つけど文句は言うな。全部お任せだよ」と言って、三百六十坪の敷地に、建坪二十坪の家を建ててあげた。いまは毎日、風呂から甲斐駒(ケ岳)が見え、「サイコーっす」だって。

 −人生観を聞かせてください。

 都会は仕事最優先で、生活がくっついている。ここでは、気持ち良い生活のために仕事する。思い描く人生を過ごすために仕事がある。住み始めれば、そんなにお金はいらない。物価は安いし、まきストーブのまきも、登録しとけば、ただでもらえる。その代わり、自分で運び、汗をかく。都会の人はジムに行って汗を流すけどね(笑)。

 −ここで育ったお子さんたちはいま、どうしていますか。

 長女は隣の茅野(ちの)市で仕事。長男は東京のベンチャー企業に就職し、次男は東京の大学院で建築を学んでいる。長男、次男にも、東京でしかできない仕事をさんざんやって、ゆっくりこっちに来いと言っている。

 −どうしたら、若者にも田舎の魅力を伝えられるでしょうか。

 「おしゃれ」と「かっこよさ」。ださくて、つらい所には誰もいたくない。ここは自然環境が日本離れしている。カナダ人は「プチ・カナダ」といい、欧州人は「北欧やドイツに似ている」という。植生や山のバランスに優れている。決して、ひなびた田舎じゃない。

 いまは若い世代が高原朝市や星空の映画祭、キャンプ、フリーマーケットなどを企画しているけど、僕から見てもかっこいい。

 この地域は、もともと民度が高い。人のために町をきれいにする。体裁を繕うっていうのかな。自宅周りを草ぼうぼうにしていたら、注意される(笑)。

 文化学園大(東京)の八ケ岳セミナーの講師を務めていて、毎回、学生には村のPRポスターをつくってもらう。ちょうど、稲穂が雨で光って、黄金色に輝いていて。全員感動して、写真を撮りまくりだよ。学生も口をそろえて「こんな景色見たことない」「初めて原村に来たけど、ぜひ住みたい」。なにがいいって? 「美しい」「きれい」「おしゃれ」だと。

 定住した人たちが異口同音に言うのは、八ケ岳は冬が一番きれい。まきストーブでがんがんに暖まった部屋から眺める、氷点下の真っ白な世界。移住者の先輩に言われたね。冬は春を楽しむためにあるんだよって。冬を耐えて、ご褒美がある。苦労、不便を楽しむってことだよね。

 −地方の疲弊が叫ばれて久しい。助言はありませんか。

 考え方一つ。人を呼びたいのなら、どうやったら来てくれるのか、考えないといけない。大事なのは、できる人に委ねること。せっかくの良い企画も、行政が口出しすると失敗する。若い世代に言いたいのは、助成金なんかに期待するな。きついかもしれないけど、できることから、自分たちだけでやったほうがいい。

 大好きな実話がある。北海道の湖畔に、老夫婦だけで、ほそぼそとやっているロッジがあった。老夫婦の孫が、ニューヨークのジャズミュージシャンに実情を記す手紙を書いたら、本当に来てくれたんだ。

 その著名ミュージシャンに引き寄せられ、ほかのミュージシャンや客も湖畔に集まってくる。やがて恒例になって、街おこしにつながった。

 おしゃれで、かっこよくて、心地良ければ。ちょっとしたきっかけ、ちょっとしたアレンジで、いきなり輝きだすことがある。

 (豊田雄二郎)

 <ともえだ・こうじろう> 1958年、熊本市生まれ。熊本県立第二高校美術科卒。専門学校・桑沢デザイン研究所(東京)を経て、イベントやショップデザインなどを手掛ける会社に就職。29歳で脱サラし、あこがれだった長野県原村の別荘地にログハウスを建てる。週末移住を始め、41歳の時、家族は完全移住。平日東京、週末原村の暮らし。53歳の時に自身も完全移住。モリッシュカントリー代表として移住相談に応じ、移住者はこれまでに60組強。フェルトクラフト作家の妻と2人暮らし。子どもは2男1女。著書に「週末移住からはじめよう 田舎に小さな家をもつ2拠点ライフ」(草思社)。原村観光連盟副会長、原村地域創生検討委員。

◆あなたに伝えたい

 おしゃれで、かっこよくて、心地良ければ。ちょっとしたアレンジで、いきなり輝きだすことがある。

◆インタビューを終えて

 人を引きつけるには、それなりの理由がある。引き出しが多い人なのだと思う。自分の足元を大事にして。熊本でも、東京でも、もちろん八ケ岳でも、笑顔の絶えない暮らしを心掛けてきたに違いない。

 多くの人が、田舎暮らしにあこがれるだろう。秋の八ケ岳山麓はまた見事だった。

 空気は澄み、山も建物も街全体が凜(りん)としたたたずまいで。ここでの暮らしを想像するだけでうっとりもする。

 ただ大切なことはきっと、田舎暮らしにあるのではない。私自身も、終(つい)の棲家(すみか)を探し続けているが、ちょっとだけ整理整頓し、鉢植えを増やしてみたら、わが家も少し輝いた。

 

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