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あの人に迫る

稲葉光行 えん罪救済センター代表

写真・川北真三

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◆科学鑑定を駆使 再審の壁越える

 弁護士や学者などが科学鑑定を駆使して無実の罪を晴らす米国発祥の非営利活動「イノセンスプロジェクト」が、各国に広がっている。日本でも昨年四月、立命館大(京都市)に拠点を置く「えん罪救済センター」が発足した。情報科学の専門家でありながら冤罪(えんざい)の解決を目指す代表の稲葉光行さん(52)に、思いを聞いた。

 −えん罪救済センターとは。

 冤罪の相談を受け付け、DNA鑑定やビデオ分析などの科学鑑定で冤罪を証明できるか検討しています。証明できそうだと判断したら、冤罪被害者を支援しますが、今のところ再審まで持ち込めた事件はありません。中心メンバーは、法学者や心理学者、弁護士、元科学捜査研究所(科捜研)の研究員など三十人ほどで、全員がボランティア。運営は寄付金に頼っています。

 設立から一年半がたち、約二百五十件の相談が寄せられています。冤罪被害を訴える人がこんなに多いことに、驚きました。でも、客観的な証拠がどうしても手に入らないものが多い。例えば、事件から時間がたちすぎ、DNAが残っていないケース。そもそもどんな証拠が採取、保存されているのかも分からない。科学的な証拠を武器に冤罪を証明しようにも、その証拠自体にアクセスすることが難しいのです。

 −もともとは人工知能(AI)の研究者です。なぜ冤罪に関わるように。

 十数年前まで言葉を理解する人工知能を研究し、今でいうSiriの原型のようなものを作っていました。でも、十年やっても大した物ができず、あきらめてしまいました。

 その後、言葉を理解するコンピューターの機能を、文章の分析に生かす研究を始めました。二〇〇九年ごろからは心理学者と一緒に供述分析をするようになり、公選法違反が問われた志布志事件の国家賠償請求訴訟に関わりました。十三人が最大一年に及ぶ長期の取り調べを受けて起訴されたのですが、弁護団も読み切れないほどに膨大な調書がありました。

 当時の私は、志布志事件が何かすら知らなかったのですが、膨大な情報を処理するのはコンピューターの得意分野ですからね。では処理してみましょう、と。

 まず事件を理解するため、現地で起訴された人に話を聞きました。公判中に体調が悪化し、亡くなった方の家にも行きました。すると、おばあさんが「旦那は警察に殺された」と泣きだしました。それを見た私は、もう何が起きているんだと。冤罪という言葉は知っていたけど、こんな普通の人が巻き込まれるのかと。

 取り調べ途中で自殺未遂した人にも、話を聞きました。事実無根の容疑なのに自白を迫られ、取り調べに耐えられず、滝つぼに飛び込んだんですね。それなのに、調書に「死んでおわびしようと思った」と書かれていた。警察が、事実と違う調書を書く。そんなことが本当に起きるのかと、信じられませんでした。

 最初は膨大な文書を処理したいという技術屋的な動機でしたが、これはなんとかしなきゃいけないと思いました。冤罪事件は、誰にでも起こりうる。事実無根でも警察に引っ張られ、取り調べを受けて自殺未遂に追い込まれることもある。そういう冤罪の構図に、衝撃を受けました。

 その後、心理学者と一緒に鹿児島の強姦(ごうかん)事件にも関わったのですが、この事件では警察のDNA鑑定に疑念を感じました。

 科捜研の鑑定結果は、精液が誰のものか判別不能。ところが、大学の先生が再鑑定すると、基本的なテストでいきなり第三者のDNAが出た。科捜研も同じ機械で同じテストをやっていたのに、結果は判別不能。ある人が犯人ということに矛盾する証拠を出さなかったのではないか、と疑念を感じました。科捜研という名なのに、全然科学的ではないと思いました。

 そこで私は、心理学者に「犯人が誰かは科学的に判断すべきでは」と言ったんです。すると、その学者は「それに近いことを米国のイノセンスプロジェクトがやっている」と教えてくれました。早速、米国に行き、プロジェクトに参加する弁護士から科学鑑定で有罪判決を覆した話を聞きました。まるで科学者の話を聞いているようでした。まさに科学的な視点で司法を考えている、と感じました。

 帰国後に開いた勉強会がマスコミで報道され、翌日から冤罪の相談や問い合わせが相次ぎました。「設立はまだ先」とも言えず、「とにかく話を聞きましょう」となり、あっという間に日本版イノセンスプロジェクトの設立です。

 −海外のプロジェクトは、既に科学鑑定を駆使して数々の冤罪を証明しているそうですね。

 世界最初のイノセンスプロジェクトは、二十五年前にニューヨークで生まれました。その団体のホームページには、全米でこれまで三百五十一件の冤罪をDNA鑑定で証明したと紹介されています。機能も多彩で、事件を受任する部門だけでなく、裁判の担当部門、冤罪被害者の社会復帰を支援する部門、政策提言部門もあります。

 米国には州ごとにプロジェクトがあり、複数ある州もある。多くは法科大学院が母体で、中には元検察官やジャーナリスト、DNA鑑定の専門家が立ち上げた組織もあります。他にも、私が知るだけでもフランスやカナダ、英国、アルゼンチンにもあります。台湾は、まだ発足五年ですが、勢いがある。台湾では昨年、イノセンスプロジェクトの働き掛けで、(冤罪を確かめるために)DNAの再鑑定をする権利を保障する法律も制定されました。

 −それだけ、冤罪が解決すべき問題と認識されているのですね。一方、日本では再審のハードルの高さが指摘されます。

 そう思います。私が米国で参加したイノセンスプロジェクトの世界大会には、弁護士や裁判官、検察官も出席し「冤罪を百パーセント避けることは不可能だが、いかに少なくするかを考えよう」と語っていました。司法の信頼性を揺るがす冤罪を減らすことは、捜査機関や裁判所にとっても良いことなのです。

 どんな分野でも人間である以上、間違いを百パーセントは防げない。それは司法も同じはずですが、日本の司法は基本的に間違わないという前提を、司法の側が持っているように思えます。私も司法に携わるまではそうでしたが、市民も司法は間違わないと思っている。でも、実際は危ない判断が行われていて、結果的にその判断が間違っていても、間違いを認めないことが多いように思います。

 科学に従って判断しても、冤罪を百パーセントなくすことはできないと思います。データや証拠を集める段階でも、ヒューマンエラーが起きるからです。それでも、科学的な手順の中で起きた間違いなら、後で原因を検証できる。原因が分かれば、次から同じ間違いを防ぐことができる。

 例えば飛行機事故があれば、技術屋が徹底的に原因を究明し、原因が分かったら世界中の航空会社が対策を取ることで、事故を減らします。えん罪救済センターの活動を続けることで、司法の世界もそうなることを期待しています。

 <いなば・みつゆき> 1965年、青森県生まれ。立命館大政策科学部教授。専門は情報学。同大文学部を卒業後、ハワイ大大学院でコンピューター科学を専攻し、ハワイ大と富士通で人間の言葉を理解する人工知能を研究。2010年、志布志事件の現地調査で冤罪被害の深刻さを実感し、情報技術(IT)の司法への応用を研究し始めた。11〜12年に発覚した兵庫県尼崎市の連続変死事件でも、弁護団の依頼で供述分析を担った。16年4月、日本版イノセンスプロジェクト「えん罪救済センター」を設立し、代表に就任。共著書に『供述をめぐる問題(シリーズ「刑事司法を考える」第1巻)』(岩波書店)、『尼崎事件 支配・服従の心理分析』(現代人文社)など。

◆あなたに伝えたい

 警察が、事実と違う調書を書く。そんなことが本当に起きるのかと、信じられませんでした。

◆インタビューを終えて

 米国では、イノセンスプロジェクトが無実の罪を次々と明らかにした結果、一部の州で死刑制度の見直しや司法制度改革が進んだという。有罪判決を受けた人にDNA鑑定を請求する権利を認めたのも、その一つ。プロジェクトの活動が、司法判断が間違い得ることを示したからだろう。

 「冤罪を百パーセントなくすことはできない」。冤罪の救済を目指す人の言葉としては少し意外だった。でも、冤罪被害を見逃さないためにも、より良い司法制度をつくるためにも、最初の一歩となる大切な意識だと思う。動き始めたばかりの稲葉さんたちの活動を応援したい。

 (豊田直也)

 

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