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あの人に迫る

稲田弘 世界最高齢のアイアンマン

写真・木口慎子

写真

◆トータルで進化 タイム縮め証明

 「太平洋のビッグアイランド」の愛称で親しまれる米ハワイ島に、伝統のビッグレースがある。トライアスロンの最高峰レース「アイアンマン世界選手権」だ。3・8キロ泳ぎ、自転車で180・2キロを進み、最後にフルマラソンを走る。年代別の日本代表で稲田弘さん(84)が昨年十月、世界最高齢となる八十三歳での完走を果たした。究極の体力と集中力、みなぎる活力。年を重ね、進化を続ける鉄人に聞いた。

 −五輪競技でもあるトライアスロンと、ハワイのアイアンマンとの違いは。

 まず距離が全く違います。五輪はスイム(水泳)1・5キロ、バイク(自転車)40キロ、ラン(マラソン)10キロの計51・5キロで競う。これはワールドカップ(W杯)をはじめ、日本選手権や国民体育大会でも同じ距離です。一方、アイアンマンは四倍以上の226キロ。激しく順位を争うスピード対決の51・5キロに対し、ペース配分を重視し、制限時間内での完走を目指す持久力勝負の226キロ。ここまで違うと、全く別の競技とも言えそうです。

 −アイアンマンの制限時間は。

 通常は十七時間。長い長い一人旅に出る覚悟で号砲を待ちます。午前七時、透き通ったハワイの海を泳ぎだします。続いてバイク。これが一番、きつい。コースは上り下りが延々と続き、さらに「コナウインド」と呼ばれる現地特有の強烈な風が吹く。正面からまともに受けると、スピードは歩くほどに落ちます。そしてフルマラソン。とっぷりと日が暮れ、真っ暗な道を走り続けます。午前零時のタイムアップを常に意識し、ゴールの瞬間を何度も頭に描きながら、ありったけの力を振り絞ります。

 −トライアスロン初挑戦は七十歳の時。

 ふと考えます。若い時にこの過酷な競技に出合っていたら、ここまで続けてこれたかな、と。大学を卒業後、NHKの記者となり、取材に走り回りました。特に事件取材はハードでした。警察に張り付き、夜討ち朝駆けの日々。殺人事件の現場で血だまりを目の当たりにした経験は数えきれません。山歩きが趣味で体を動かすのは好きでしたが、本格的なスポーツとは無縁。仕事一筋でした。定年の六十歳を機に、すっぱり辞めました。

 妻が難病を患い、寝たきりに近い状態になったんです。介護のためですね。自宅にこもりましたが「たまには運動もしなきゃ」と、自宅の目の前にできたスポーツジムへ。これがすべての始まりです。

 水泳のマスターズ大会に出るようになり、六十五歳の時に初めてスイムとマラソンを連続するアクアスロンに挑戦。泳いだ後、走る。これが刺激的でした。この二種目にバイクを加えたトライアスロンを知り、かっこいいな、と憧れたんです。年がいもなく、思いきって競技用の自転車を買ったのが六十九歳。七十歳を迎えた時、初めてトライアスロンのスタートラインに立ちました。

 −そして超難関のアイアンマンへ。ハワイには六年連続で出場中。

 七十九歳になる年に初挑戦した時はスイムで呼吸困難に陥り、リタイア。折り返しを過ぎた2キロ手前で救助ボートに収容されました。陸に上がり、バイクを引き、宿泊先のホテルへと一人、トボトボと戻りました。悔しくて、情けなくて。こらえ切れず、泣きながら歩きました。ホテルの部屋でも涙が止まりません。どんな時も熱心に助言をくれたコーチ、日本をたつ前に盛大な壮行会を開いてくれた練習仲間に申し訳なくて、まともに顔を上げられないほどつらかった。二度とこんな思いをしたくないと、強くリベンジを誓いました。この時のリタイアが、今も大きな心のバネになっています。翌年、八十歳になる年に完走し、年代別の優勝を手にしました。でも、その後はバイクトラブルに見舞われたり、脚のけいれんがあったりと、なかなか制限時間をクリアできませんでした。

 −「不運の完走」と世界各国のメディアが取り上げた伝説のレースがある。

 二〇一五年、八十三歳になる年に挑んだ五回目のハワイです。ゴールの約五十メートル手前で意識もうろうとなり、崩れ落ちました。完全なエネルギー切れ。当時の記憶ははっきりしません。励ましの大歓声も覚えていません。映像では、前に進もうともがいています。

 気力で立ち上がろうとしたのでしょうか。何とか立ち上がり、フラフラと進みますが、あと一歩、ほんの一メートル手前で再びダウン。しばらく両膝をついた後、はうようにゴールしました。その「完走」が認められないと知ったのは翌日。わずか5秒、遅かった。記録は16時間50分5秒。その年に限り、制限時間が例年の十七時間ではなく、十六時間五十分の設定だったんです。

 −壁にぶち当たっても、絶対にあきらめない。

 いいえ、まったく違います。スポーツは好きでしたが、昔からどれも中途半端。中学や高校で陸上の短距離をやりましたが、ずっとリレーの補欠で長続きしませんでした。体操は鉄棒で背中から落ちて「才能がない」と断念。サッカーは大きな選手にドーンとぶつかり、けがが怖くなってやめました。剣道や空手、柔道もかじりましたが、失敗やけがのたび、翌日から練習に行かなくなりました。大学時代もそう。ボクシングに挑戦しましたが、新人戦でノックアウト負け。二度とリングに上がりませんでした。あきっぽいし、打たれ弱い。だけどアイアンマンだけは違う。どんなに苦しくても、何度失敗してもあきらめられない。

 −その魅力はどこに。

 スイム、バイク、ラン。この三種目があるから、一種目がダメでも他の二種目でカバーできる。トータルで記録が縮み、進化を実感する瞬間がたまりません。この年になっても「次はもっと速くいけるかも」とどんどん欲が出てきます。その夢を子どものように追いかけていくんです。しぶとく続けますよ。少しでも弱気になった時、進化が止まる気がするんです。

 あと三種目の絶妙な組み合わせに、つくづく感心します。スイムは心拍を上げすぎず、全身に刺激を与える。ウオーミングアップになり、次のバイクにスーッと入れる。最後はランだからこそ、ゴールで応援の人たちとハイタッチしたり、両手を上げてテープを切ったりと完走の喜びをかみしめることができる。本当にうまくできています。

 −今後の目標は。

 年を重ねても、記録は更新できると信じ続け、それをハワイで証明し続けていくことです。ただ自分では分かります。体力は確実に落ちています。最近は一年一年というよりも半年ごと、いや一カ月前と比べても落ちています。一日も欠かさずに練習しているから、敏感に感じ取れるのです。

 それでも記録は縮むから、アイアンマンは不思議です。三種目ではなく、どれか一種目だけだったら、この年になって自己新記録は難しいでしょう。スイムのフォームを動画で確認し、効率的な呼吸方法を研究します。ペダルを踏み込む力を微妙に調整し、リラックスして走り続けることができる腕の振りを探します。

 どうやったら一分でも、一秒でも速くなれるかを考えて試し、失敗し、考えてはまた試す。それが純粋に楽しいのです。だから一日二十四時間、常にスイム、バイク、ランをイメージしています。頭の中は100%アイアンマンなんです。

◆あなたに伝えたい

 あきっぽいし、打たれ弱い。だけどアイアンマンだけは違う。どんなに苦しくても、何度失敗してもあきらめられない。

 <いなだ・ひろむ> 1932年、大阪市生まれ。早稲田大を卒業後、NHKに入局。大阪や和歌山、千葉、広島、札幌など各地に赴任した。2011〜16年、アイアンマン世界選手権の年代別日本代表(年齢区分は12月31日現在)。12年、80歳になる年に日本人初の年代別優勝者に。当時の完走タイム15時間38分25秒は現在も80代部門の最速記録。練習拠点は、3大会連続で五輪出場中の上田藍選手と同じ「稲毛インターナショナルトライアスロンクラブ」(千葉市)。登山が趣味で日本百名山のうち、72を踏破した。得意は語学。英語のほか、インドのヒンディー語、バングラデシュなどのベンガル語、パキスタンなどのウルドゥー語を操る。身長161センチ、体重53キロ。千葉県八千代市在住。

◆インタビューを終えて

 プロレスは詳しくない。けれど赤いウエアの鉄人を前に「闘魂」が浮かんだ。グッと迫るまなざし。身を乗り出すように語り、豪快に笑う。三年ぶりの再会。「元気ですか」と握手を求められ、あらためて思った。「元気があれば何でもできる!」

 練習の虫。五年前から半減したというが、今も一週間にスイム一万メートル、バイク三百五十キロ、ラン六十キロにも達する。だから食べる。よく眠る。気取らずシンプルに夢を追う。この姿をコーチの山本淳一さん(43)は「プロ意識」と称する。昭和一桁のアスリートは今秋、七度目のハワイで自己新記録を狙う。

 (前口憲幸)

 

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