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あの人に迫る

笹本恒子 日本初の女性報道写真家 

写真・坂本亜由理

写真

◆戦争避けるため、声を上げるべき

 日本初の女性報道写真家として百二歳の今も現役を貫く笹本恒子さんは、戦中、戦後という激動の一世紀をカメラを通して見つめてきた。男女の差が激しかった時代に、男ばかりの写真の世界に飛び込んで八十年近く。穏やかな語り口に、困難な時代を生き抜いたしなやかな強さが垣間見えた。

 −写真家を志したのは、二十四歳のとき。当時、女性が働くうえで大変な苦労をされたのではないですか。

 写真家をやることに父や兄は反対でした。母は賛成してくれましたが、写真家になってすぐに亡くなってしまいました。今考えても、明治生まれの母は偉いと思います。「私は無学な田舎者だ」っていつも言っていましたけども。無学だってモノを見る目はあったのね。

 戦争になると当時は早くお嫁に行かないと行き損なっちゃう、という空気でした。でも母は私に「何も急いで結婚なんかしなくていいのよ。やりたいことがあるならやって、そしていい人に出会ったら結婚すればいいのよ」って言ってくれた。だから、私は絵も写真もできた。ジャーナリズムの仕事をするときも黙って応援してくれました。ありがたかったです。

 −絵も描かれていたのですね。

 そうですね。本当は画家になりたくて絵を描いていましたからね。写真協会に入る前、女性の絵描きの中でもかなり有名な三岸節子先生に、ちょっと絵を見ていただいたりしたの。そのとき、私が少し乱暴な絵を描いていたものだから「何もね、男のまねをしなくていいのよ。女には女のセンスがあるのだから」と言ってくださって。

 なるべく力強い絵を描きたかったから、暗い色を使って山のように絵の具をなすりつけたりしてね。それを見て、先生は「あなたのセンスで描く方がいいのよ」と言ってくださいました。そこで別の水彩画を見せたら「ほら、こっちの方が素直なあなたが出ているのよ」と。先生の言葉は大きかったですね。

 −その後、報道写真家の道へ。

 当時、東京日日(現・毎日)新聞で絵を描いていたことがきっかけで写真協会の林謙一さんにお目にかかってね。「写真家になりませんか」と言ってくださったの。そこでの苦労や葛藤は言い尽くせないくらいありますよ。

 例えば「あんたに写せるの?」みたいなことは言われました。そのころは大きなカメラを持って行くので、わからない人はそういうふうに言いましたね。男の助手さんなんかを連れて行くと、みんな助手さんが写すと間違えるわけ。悔しいより、おかしかったわね。

 林さんにも「女性の目で見たものをお撮りなさい」と言われました。男女同権ではなく、男性の方が優位だったので、つい男性に負けまいと頑張っていたものだから。改めて、女性には女性のセンスがあるとわかりましたね。

 −今の女性たちに言いたいことは。

 男女同権なんだからうらやましい。女の人が飲み会に行くって言える時代だから。でもやっぱり大変ね。結婚してお子さんがいて、働いている方もいる。偉いと思います。今は、男性も手伝ってくれる方もいるみたいですけどね。昔は飯風呂茶って言って男は何もしなかったですから。だけど「女性は女性」という本質を忘れてはいけません。第一、感性が違うのだから。花を見て「きれいね」って思ったり、洋服を着るときにいろんな色を考えたりする。それは大事ですね。

 −ご自身が出演するドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」が公開中です。むのさんとの出会いは。

 (むのさんが発行していた新聞の)「たいまつ」を読んだときに「偉いな」って思いました。その前から「終戦と同時に朝日新聞を辞めちゃった人がいる」とは聞いていました。「たいまつ」に「私は上司の命令でうそを書いていた」と書いてあったの。たぶん、日本は勝つって書いていたことでしょう。国民にうそをついていたから、とぱっと辞めちゃう。「ちゃんと根性のある方がいらっしゃるんだなあ」と思いました。

 ずっと会いたいと思っていたけど、会えたのは百歳になってからね。想像はしていましたけど、すごい方でした。私と対談するために来てくださったのだけど、途中で私をほったらかして、身ぶり手ぶりで聴衆に語りだして。戦争に対する批判でしたね。戦争は嫌いだけど、新聞社にいたから仕方なくある程度やっていた、というようなことを話していました。

 −戦時中、自身もジャーナリストとして同じ思いを感じていましたか。

 本当に私もそうでした。暗室で現像しながら若い人と戦争に批判的な話はしていました。でも外へ出ると知らん顔して、戦争に協力しているような顔をしていました。

 それこそ、立ち話で戦争の話をして、誰かに聞かれて密告されるとすぐ捕まえられちゃう。まして軍服を着ている人のそばでうっかり「今の戦争はねえ」と言ったらすぐキャッチ(捕まる)されちゃう。

 ニュースや写真でおかしいな、やらされているなと思うことはいっぱいありました。私が靖国神社の鳥居をバックに戦争未亡人が千人針をやっている写真を撮ったら、すごく褒められて。「写真週報」の記事に使われました。時勢が時勢だからそういうふうにした方がいいと思ったのですけどね。そういう時代だったの。

 −ジャーナリストとして、今の時代をどう見ていますか。

 私は難しいことはわかりませんけど。若い人たちが国会前でデモをしていましたね。反対するのはいいことです。私も六〇年の安保闘争のときは毎日、国会に通っていました。最後の自然成立の瞬間まで。あの時のように、戦争にならないよう努力すべきでしょうね。今はみんな言わないでしょう。新聞も。(首相の)安倍さんだって、難しくてわからないように言っている。それがわれわれの命につながっていくことがわからない。だから、声を上げるべきです。

 −偽ニュースが広まり、メディアへの信頼が揺らいでいます。メディアは再び、むのさんが掲げた「たいまつ」のように時代を照らす光になれるでしょうか。

 メディアはなるように努力すべきです。右とか左とか関係なく、正しい目で。難しいですけどね。メディアの中にいたら、大変でしょうけど。そうしないと、やっぱり何となく怖い世の中になるんじゃないかと思います。

 とにかく、新聞で書くこと、テレビで放送することよりほかにないですね。一人でもいいから、意思を伝えること。たとえ一人でも、その人がまた別の一人に伝えていくの。駄目だって思わないで。小さなところから努力していくべきだってことですね。

◆あなたに伝えたい

 一人でもいいから、意思を伝えること。たとえ一人でも、その人がまた別の一人に伝えていくの。駄目だって思わないで。

 <ささもと・つねこ> 1914年、東京都生まれ。40年、財団法人写真協会に入り、日本初の女性報道写真家となる。終戦後に千葉新聞、婦人民主新聞の嘱託を経て、47年にフリーランスの道へ。三笠宮ご一家や社会党の浅沼稲次郎書記長(当時)らを撮影した。絵画教室や服飾デザインを手掛け、一時期は写真活動から離れるが、85年に写真展「昭和史を彩った人たち」で完全復帰。2016年、写真界のアカデミー賞といわれる「ルーシー賞」を受賞した。昨年8月に亡くなったジャーナリストのむのたけじ氏と自身を取り上げたドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」が全国で順次公開中。

◆インタビューを終えて

 男と女は違う生きものだと、聞いたことがある。脳の構造も体力も違うのだから、できることが違う。それは差別ではなく、区別なのだと。女は女らしく。笹本さんの言葉を聞いて、そんなことを思い出した。

 政治家が悪い。軍が悪い。国民が悪い。最後まで、戦争や男女差別に対するそうした批判はなかった。「そういう時代だったの」。こぶしを振り上げるでも、口角泡を飛ばして熱弁を振るうでもない。だが静かな言葉は、有無を言わさぬ気迫に満ちていた。

 誰のせいにもせず、ただ真っすぐに過去を見つめる。ジャーナリストの端くれとして、忘れてはならないことだと思う。

 (住彩子)

 

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